2010/06/29

「バストリオを見る」

今日は大阪まで大学時代の友人である「バストリオ」のパフォーマンスを見に行って来ました。
ten minutes afterというイベントでライブや展示などもありました。

場所は北堀江club vijon。大阪のクラブ事情には全く疎いのですが意外に広く、クラブというよりはライブハウスですな。

バストリオは大学時代に共に宮沢章夫さんのクラスを受講し、舞台での共演もした事のある今野くんと和歌子さんのユニットで東京で仲間と共同生活をしながら映像や舞台の作品を作っています。

言葉で言えることのギリギリと言葉で言えてしまうことの戸惑いについてのドラマ。既存の表現形態をどう使うかの実験。そんな事を思いました。

普段は東京で活動している彼等が大阪でパフォーマンスを。夏には京都で活動している僕が東京でソロダンスを。なんだかとても嬉しい事です。

続けて行く事で見えてくるものがある。むしろ僕らは始まったばかりで、これからもっと面白くなる。今日は彼等に沢山勇気をもらいました。

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2010/06/27

サミットディレクターは茅ケ崎の太陽に焼けた小麦色の肌をしている

今日はサミットディレクター杉原邦生氏とミーティングでした。
久しぶりに会った彼は完全に茅ケ崎のヤンキーでした(笑)

ミーテイングと言っても、いつものようにダラダラとだべっているだけなんですけど(もちろん実のある話もしてます!)

こうして作品のことや、最近のこと、くだらないことから、割と真面目な、これからのことなどを、一気に同じテンションで話せる人もあまりいないので、貴重です。

外は梅雨空でジメジメしますが、夏に向けて色々なことが動き始めていてワクワクします。気がつけば今年でアゴラサミットに参加するのも三回目。三年連続、夏はアゴラで過ごしているわけで、不安もありますが、今はワクワクする方が大きいかと思います。直前にはヒーヒー行ってるかもしれませんが・・・

そんなわけで、一時間半、お互いの喋りたいことを喋りつくしてミーティングは終了。
いつもくだらないことに話が逸れて、肝心なことを話忘れてしまうパターンが多いので、今日は事前に要点をまとめて書き出しておいてよかったです。危うく下ネタエレベーターと共に地下三階ぐらいまで下ってしまう所でしたが。踏みとどまりました。

ディレクターの名を汚さないように、良い作品を作ります!まずは京都で試演会。7月28、29日。場所は京都、アトリエ劇研です。詳細決まり次第NEWS欄にアップしますので、しばしお待ちを。。。。

2010/06/25

踊りの「入り口」、踊りの「出口」

稽古場でふと「踊りの入り口に立った。」と思うことがあります。それは、ストレッチの最中、あるいは即興で踊る中で、ふと現われる、上手くは言えないけれど、何となく確からしく感じられる不思議な感覚です。しかもそれが現れた時、頭の中は当惑します。「何でこんなことになっちゃったの?」と。しかし体は過ぎた「入り口」に、目もくれず「出口」まで進んでいきます。

稽古場に向かい、稽古着に着替えて、ストレッチをし、トレーニングをし、創作をし、休憩をし、再び始め、折を見てクールダウンし、稽古場を出る。
その工程の中の、どこに踊りの「入り口」が、さらには「出口」があるのか?

そんなこと、どうでもいいという考えもあるのです。「生きてることが既にダンスです。」と言う人もいるし、「ただ、踊ってる」とキッパリと言う人もいる。

自分がそこまでこの「入り口」「出口」にこだわるのは、踊る事に、何かしらの「甲斐あるもの」を見出したいからなんだと思います。そんなもん無いと潔く言い切りたい半面、どうしてもこの「甲斐あるもの」への欲求はおさまりきらないのです。

しかし「甲斐あるもの」を生みだそうとすると踊りの「入り口」は現れず、逆にショーモナイことの先にぽっかりと現われることがあります。一度出た「出口」からは入る事ができなかったり、「入り口」の先にまた「入り口」が見つかったり・・・

多くの建物は入口と出口が一緒だったりするので、この問題、本当はどうでもいいことなのかもしれません。大事なのは「中身」だろと言われれば、確かにそうかもしれません。しかし自分は今、どうしてもココに拘らなければならない気がするのです。

今回のソロダンスの初演のタイトルは『回廊』でした。めぐる廊下に出口はあるか?あるいはどこから入って行くか?

当分はこの「入り口」「出口」問題と付き合っていかなければならないのかもしれません。

何度も行きたくなる場所

今日は朝から晩までハードスケジュールでした。

バイトを終えて稽古、その後、別の稽古場の申請をしに行ってから、ジュンさんのクラスを受けて帰宅。

その合間に僕のひいきにさせてもらっているCafe「efish」に立ち寄りました。


鴨川沿いに寄り添うように立っているビルの一階と二階には、オシャレなインテリアだけでなく、雑貨やCDが置かれており、販売もしています。

もちろん窓際の席からは鴨川の眺めが一望でき、コーヒーも美味しいというパーフェクトなCafeです。

ここに来ると何も考えずに済みます。気づけばメニューが差し出され、オープンキッチンの中は暖かで、ボーっと眺めていると注文したものが運ばれてきて、さりげなくBGMや空調がコントロールされている。

当たり前のように流れて行くその時間は、かなり気遣われている時間だということに、気づくのは店を出るとき。だからまた来たくなるのです。でもまた来た時はそんなこと、きっと忘れているから、また店を出るときふと、温かな気持ちになる。そんな繰り返しで、ついつい足を運んでしまいます。

「おもてなし」と言うと仰々しい感じがしますが、お客さんの時間を「持て」「成す」ということは実はささやかであればあるほど、深く、温かいものなのかもしれません。

今日一日あっという間でしたが、このひと時があったおかげで随分充実した気になりました。今日でちょうど、本番二カ月前です。僕のダンスも、お客さんにとって、充実した時間になるように頑張ります。

2010/06/21

少しずつ失われつつも、積み重なって行く事柄について

今日は以前から親しくさせてもらっている現代美術作家の方と「ご飯食べに行こー!」ってことで、同志社大学の寒梅館にあるCafeに行ってきました。
オシャレな割に値段が学食並みというすばらしいお店。学生には嬉しいですね。もう二人とも学生ではないですけど、学生気分を堪能してきました。
その後、稽古へ。ふと窓から見える風景に目がとまります。

ビルの間に挟まれた公園で遊びまわる子供たち。その動き、配置、テンションは、いつまででも見れてしまうから不思議です。ついつい見とれてしまいました。

「こんな作品が見てみたい」とも思いました。でもこうして写真で見るとなぜか子どもたちは窮屈そうです。「作品にする」ということと「無為」ということはやはり正反対の行為なんでしょうか?

写真に撮った時点で子供たちからは何かが失われてしまったようにも見えます。そんな事とは関係なく子どもたちはただ遊びまわり、疲れたら帰ります。

僕も稽古を終えたら帰ります。稽古場では何が積み重ねられ、何が失われていくでしょうか?積み重ねて行くものに触れながらも失われていくものに耳を傾けている。そんな状態をうまく保存できないだろうか?そんな考えはコソクだろうか?

などなど、考えつつ帰宅している途中にふと、アイデアが浮かぶ。食い下がる根性だけは、まだまだ失われていないようです。

2010/06/20

Aydan Turker dance performance 『together』

Aydan Turker dance performanceのタイトルが『together』に決定しました!詳しくはNEWS欄をご覧ください。

この『todether』はトルコのダンサーAydanさんが、三か月の日本滞在を経て、京都のダンサーと共に制作する作品で、なんと一度きりしか上演されません!未だに作品の全貌は明らかになっていませんが、稽古は充実しています。チラシも出来て、様々な場所に配布されると思うので(関西限定ですが)ぜひお見逃しなく。本当に一度きりです!!

2010/06/17

憧れ力

最近本当に過ごしやすい日が多くて助かります。日照時間が長くなり、夜になっても涼やかで、気持ちのいい日が続いている京都です。
今朝も幸福な二度寝、三度寝を繰り返し、午後からAydanさんのリハーサルへ。今日はサウンドの方も稽古を見に来られました。
Aydanさんはわざわざ日本に来ているだけあって、好奇心旺盛です。リハーサルがない時はお寺を巡ったり、草履づくりを体験したりと、大忙しです。そんな日本での体験が作品にも大いに影響を与えているようで、毎日様々なアイデアが稽古場を駆け巡ります。
その思考性は、常に開け放たれた稽古場の窓のように風通しがよく、彼女の踏むステップのように柔らかです。

ここ何年か、僕はこの「風通しのよい体」や「柔らかな思考」というものに憧れつづけてきました。

今度の夏のサミットで、ソロダンスの再演が決まったとき「初演を超えるモノを作るには、体ごと変わらねば!」と思い、益々その思いは強まって行きました。

そして幸いにして、チョン・ヨン・ドゥ氏や今回のAydanさんといった素晴らしい先輩方の「背中」に出会うことが出来ました。
まだまだ彼らの「背中」に届くには程遠いですが、目標となるような人に間近で出会えたことは本当に幸福なことです。

ベタではありますが何かに「憧れる力」って一番自分の背中を押してくれる力な気がして、別に何でもかんでも憧れろってことじゃないけど、自分がそれでよりよい方向に進めるなら利用しない手はない力だなと思います。

まあ、出会えたことに満足していてはダメなんですけど・・・ソロの稽古も地味に頑張ります。

あと、地味にチケット予約が始まってます。詳しくはNEWS欄をチェック!!

2010/06/15

眠いとき、冴えてるとき

先週末から今日にかけて色々あったのですが、最近とにかく眠い!睡眠時間削ってるわけでもないのですが、食後とかすぐ寝てしまい、困ったもんです。
さて、先週末はAydanさんの公開稽古がありました。彼女の持っている問題意識みたいなものがうっすらと垣間見えた気がします。その問題にどうアプローチしていくかというところで、やはり作家の生きている環境とか、積み重ねてきた歴史や記憶、受容体験と言ったモノが深くかかわってくるようです。

言ってみれば問いのたて方とそのアプローチの仕方の組み合わせは無限にあります。
その中で何を選ぶかと考えてしまうと、途方もない。そんな状況でも作家は何かしら選択して、進んでいくわけですが、その選択を手助けするものが環境や歴史、記憶といった作家の受容体験であるとしたら、作品を共作するうえで、問題意識を共有するということは人間同士を知るということであって、そう簡単ではないんだなということを改めて感じました。

で、昨日は久しぶりに会う友人と、スタバで長ばなし。古くからの友人にはいつも「変わらない」といわれます。なんか嬉しいような淋しいような。本人はいろいろ変ったつもりではいるんですけどね・・・ この友人との付き合いも、かれこれ七年目ぐらいになります。なんでも話してきたように思いますが、大学を卒業して三年がたち、年に一度ぐらいしか会わなくなりました。
けれど、会ったとたんに以前と変わらない雰囲気が醸し出されて、久々な気が全然しません。何なら昨日も会ってたように会話が滑り出します。楽しい時間でした。

で、今日は梅田哲也展『デッドストック』に行ってきました。この人について全く知らずにただ『デッドストック』というタイトルに惹かれてふらっと訪れたのですが、かなり興味深いものでした。

会場に行くと案内係の人に「中は真っ暗ですので、しばらく目が慣れるまで動かないでください」と言われます。
段ボールで遮光された、たたみ10畳分くらいの二階建て吹きぬけの空間(これははいってしばらくしてわかる事ですが)は本当に真っ暗で、わずかにもの音がするだけ。

最初は何がなんだかよくわかりません。フライヤーには「廃材を使ったインスタレーション」とあったのですが、その廃材すら見えません。
しかししばらくすると、目が慣れて来るとともに、知覚が少しずつこの空間に働き始めます。
定期的に訪れるビー玉くらいの鉄球が床に落ちる音、細い鉄素材の何かと何かがわずかに触れ合う音。そしてたまに訪れる光。
それらが実際の感覚と、「見えない」という演出によって豊かになる想像力とをともなって、立ち現われてきます。
それれが、どれほどに計算されているのかはわかりませんが、とにかく知覚が揺さぶられる体験でした。この受容体験を誰かと共有するには「見に行って!」っていうしかないんやろな。

2010/06/12

self-tought artist in Kyoto

今日は寺町通にあるギャラリー、ギャルリー宮脇へ「ベン・シャーン版画展」を見行きました。三階建ての細長いビルの中には大きな螺旋階段があり、その壁面に展示物が展示されているため、階段を登りながら作品を鑑賞することになります。

さらに今回の展示は20世紀のアメリカを代表する画家ベン・シャーンがドイツの詩人ライナー・マリア・リルケが書いた「マルテの手記」からの一編を引いて制作されたもので、一つ一つに詩が引用されています。
詩の進行とともに作品を味わい、また作品の進行とともに、螺旋階段を上って行くのがとても面白く感じました。

ただ、僕が一番関心をもったのは、このギャラリーの最上階。

最上階にはギャラリーのオーナーの趣味と思われる展示物が割とざっくりと展示というか、ほぼ置かれている状態だったので、その感じも好きだったのですが、その中に、これまた何気なく置いてあった本があり、何気なく覗いてみると、そこに新しい発見がありました。

本はアウトサイダーアートに関する文献で、世界各地のアウトサイダーアーティストと言われる作家たちを、その作品と共に紹介しているものだったのですが、その中の一説に「これらのアウトサイダーアーティストの多くは独学でその技法や技術を会得している場合が多く、そういった人々をセルフトートアーティスト(self-tought artist)と呼ぶ」とありました。
アウトサイダーアーティストという言葉は知っていましたが、セルフトートアーティストという言葉は知りませんでした。

以前、振付家の山下残さんに「京極君はいきなり作品つくり始めるよね」と言われたことがあり、思えば自分も沢山の先輩方からの教えは受けつつも、半ば独学でダンスをやってきた感じがあり、まさにself-toughtダンサーなのかもしれないと思いました。
ただの無知の思い上がりかもしれませんが、意外なところで、ちょっとだけ勇気をもらった気がします。

2010/06/11

人の力、自然の力

今日、目覚めたのは午後3時だった。知らないうちに疲れがたまっていたのか、昨日のパフェがたたったのかは定かではないが、とにかく最悪の目覚め。天気は最高の青空だというのに。
気を取り直してAydanさんの稽古に向かう。太陽の黄色、空の青、木々の緑がそれぞれ眩しく、それらにエネルギーをもらい、稽古場に着くころにはいろいろなダメージが回復してました。自然の力はすごい。

今日の稽古には共演者であるニイさんとヒロミさんも参加。やることは今までと同じですが、人が増えるとずいぶん感覚が変わります。

目覚めたのが遅かったので随分短い一日でしたが、自然の力、人の力に助けられた一日でした。改めてそのありがたさを実感しています。

2010/06/10

からふね屋ジャンボパフェに挑戦


今日は三条のからふね屋にてジャンボパフェに挑戦!
バケツ一杯分ぐらいあるパフェに10人で挑みます!
このボリューム!
制限時間は一時間半。意気揚々とやっつけにかかるトミー。
結構食べたと思いきや、まだまだ先は長い。。。
果てしない戦いと思われたパフェ戦争も1時間15分で見事完食!
言い出し隊長のながらちゃんもご満悦でした。ワールドカップみたいに掲げてます。
ちなみにこの後隣のテーブルでは同じパフェに6人で挑戦しているお客さんが!10人でも全員が満腹になったというのに!?

2010/06/09

「待つ」という時間について

今日は京都芸術センターでAydanさんのワークショップを受けた後、造形大で夏のサミットに向けて制作会議。その後、稽古という一日。
芸術センターから造形大学に向かう途中、寺町通にて、梅雨を待ちきれず、咲き誇る紫陽花を発見。

そこで、この前読んだ鷲田清一氏の本に現代人は「待つ」事が出来なくなったという一説があったのを思い出した。

現代人は、手帳を予定でいっぱいにし、常に効率を優先し、携帯電話で時間を飛び越え、未来は今から「待つ」ものではなく、未来から逆算するように今を生きている。


今自分も様々な場面で「待ちきれない」でいる。常に前傾姿勢で悠長に「待って」などいられない。


「待つ」ということは単なるストレスとか、無駄であるように思えるが、実は「待つ」ということはとても豊かな時間であると、その本には記されていた。

日本語に雨の呼び名が多いように「待つ」にも沢山の呼び名がある。待ちわびる、待ち望む、待ち焦がれる、待ちぼうけ、待ちくたびれるなどなど。

踊りでも、特に即興で踊る場合などは特に、次の踊りが踊られるまで「待たなければならない」と感じるときがある。理由は分からない。ただそういう時間がある。

一体その判断はどこでなされているのか?その時間、体は何を「待って」いるのか?

そんな得体のしれない時間と対峙しながら、今自分は、良い踊りが踊られるその瞬間を「待って」いる。

もうすでにジリジリと「待ちきれない」でいるが、もう少し落ち着いて「待つこと」を味わってみようと思う。

2010/06/08

『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと』展から一日経って

昨日までの経験が少しずつ言葉になりかけてきたとき、こういった体験を言葉におさめてしまってよいものか?という疑問が湧き始めました。

今まで様々な公演に出演してきましたが、打ち上げの最後に、それぞれがそれぞれに豊かな言葉を抱えながら誰もしゃべらず、静かな時間が流れるような公演は数えるほどしかありません。

一日経って、まだ言葉にならないものは、もう感覚として保存する以外ない気がします。いまさら言葉で名づけてもきっと間違うから。昨日までの経験はまさにそういうものでした。

そのことに関連してもう一つ。

僕は今までダンスという分野に関わりながら、どうしても自分をダンサーと呼べないでいました。その訳は、ダンサーと呼ばれる人は踊る事を常とする人で、踊る事と生活することの間に境がない人のことであって、自分はそうじゃないと思っていたからです。

しかし、今回のことでいろんなことがブッ飛んでしまって、自分はもうダンサーでしかないと思いました。頭は良くないし、言葉も拙い。別にダンスがうまいわけではないけれど、恐らくダンスしかできない。そうして生きて行く時間が既に、自分の生活になっているのを実感しています。それは頭でというよりも体で。いまさら?というツッコミを自分で入れつつ。

そして今日も、というか今日こそ、どんな写真を載せたらいいのか、わからないありさま。

2010/06/07

「わたし」と指差した方向の行く先はつづく

今日はGALLERY RAKUにて倉田翠企画展『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと』に僕のダンスの先生であった山田せつ子さんがゲストで踊りに来るということだったので見に行きました。

が、踊りに巻き込まれ、その後のトークになだれ込み、打ち上げまでのフルコースを味わいつくした一日になってしまいました。いや、望んで巻き込まれたのは自分なので誰のせいでもありません。
ただ、グループゲストで一回、僕単品ゲストで一回、今日のセッションで一回、計三回の経験としか言いようのない時間は、本当に貴重な時間でした。

ゲストで誘われた時には、こんなことになるとは思ってもみなかったのですが、メンバーみんなが本当に頑張っている(こんなひとくくりの言葉でまとめてしまっては良くないと思いつつも他に言葉が見つからない)ので、本気でぶつかって行くよりありませんでした。

それはことのほかストレスでこの一週間、寝ても覚めても、このことばかり考えていて、どうしようもありませんでした。その分、得たものはあったし、しっかり傷ついたし、体験として残るものがありました。

考えてみれば今の自分に、失うものなんてない。
そもそも失うほど積み上げたものがないのだから、得るモノしかないし、残るのは、よっぽど嬉しいことか、傷のどちらかです。

今回は傷の方が多かった気がします。「自分、ほんとどうしょうもねーな」とか、どこかで見て見ぬふりをしてきたあれこれについて、ほじくり返されました。

正直嫌でしたが、今となって言えることですがそうやってみて見ぬふりし続ける方が嫌やなと思います。ほんとこれはほじくり返されたからこそ言えることですが。

別に、こうやって書くことで武勇伝を語りたいわけではないけれど、このブログは夏のソロに向けて立ち上げたブログであって、それが終わった後、消去されるかもしれないけれど、それまでに、ソロが観客の前で踊られるまでに、自分の体に起きたこと、その体になるまでに起きたこと、その踊りがどういった経緯を経て踊られたのかを、今後も、なるべく記録しておきたいと思うので、書きます。後で見返したら恥ずかしいやろうけど。

あと写真とか少ないのは、今後、努力します。

2010/06/05

「わたし」と指差した方向の行く先

今日はGALLERY RAKUにて倉田翠企画展『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探すこと』にゲスト出演しました。

この空間、本当に手ごわいです。でも魅力的。もう脳みそと体をフル回転で、本番何日間か終えたぐらいのボリュームでした。
自分は何を求めているのか?今の自分に何が出来るのか?求めているものと今やっていることとの距離について、心底問われる経験はなかなかない。それっぽいことは山ほどある。その経験の中でどれを信じ、どれを経験値とするかは、自分次第。

明日はゲストに山田せつ子さん、トークイベントに八角聡仁さんがいらっしゃいます。

2010/06/04

背骨男とトルコの女

今日はバイトもなく、朝から天気がよかったので掃除、洗濯を済ませ、外でヨガストレッチするというパーフェクトな朝。午後からRAKUに岩下徹さんがゲストダンサーで参加するのを見に行きました。

明日は自分もここで踊ると思うとヒヤヒヤ、ワクワクします。明日は頑張ります!!

その後、京都芸術センターでAydanさんと稽古をしました。
七年前、役者になりたくて京都に来た自分が、今トルコ人のダンサーと三時間半もの間、二人きりでダンスの稽古をしているなんて、一体どこで道を間違えたのでしょうか?ともあれ、とても豊かな時間でした。


彼女の興味は今のところ「背骨」にあり、とにかく背骨を動かすことから何が生まれるか?を探るという作業でした。

こういうマニアックなことを追求する作業は入口が狭い分、その先に思わぬ展開が生まれたりするものです。


冷静に考えれば三時間半、背骨動かしている日本人の男と、それを見ているトルコ人の女という意味のわからない状況ですが、一ヶ月後には何らかの形で作品になっていることでしょう。たぶん・・・

2010/06/02

ダンスによって出会うもの

今年はなんだか外国人の振付家に縁があるようです。

今日以前からワークショップを受けていたトルコ人のダンサーAydan Turkerさんの公演にダンサーとして参加することになりました。Aydanさんは京都芸術センターのアーティストレジデンスプログラムで三カ月日本に滞在し、作品を作っています。

Aydanさんの動きはとにかく滑らか。体重移動の仕方、体の使い方がとても魅力的で、ぜひその技術を体得したいです。もちろんへなちょこな英語力も、鍛錬せねばなりません。

公演詳細は後日NEWS欄にUPする予定なので、ぜひチェックしてみてください。

そして今日はGALLERY RAKUにて倉田翠企画展『今あなたが「わたし」と指差した方向の行く先を探す』にゲストとしてダンサー二人と一緒に出演しました。写真はそのうちの一人T氏とのツーショット。

三人とも「夏を先取り」というノーテンキなテーマで即興ダンスしました。短パンにアロハでアイス食べながら踊る一時間。常設メンバーとの温度差は激しかったけど、楽しかったです。
次回は6月5日17:00に今度は僕一人、単品ゲストで踊ります。また違った趣向で臨むと思うので、お時間ありましたら是非のぞきにきてください。
問い合わせ GALLERY RAKU 0757919182
        http://www.kyoto-art.ac.jp/raku/

なんだかんだでダンスやってなかったら出会わなかったであろう人たちと日々刺激しあいながら生きている今日この頃です。大げさだけどたまに世界が普段と違って見えるとき、ダンスやっててよかったなぁと思います。そんな時、たまにしかないけど・・・

dots 『Unknown Theory,Still in Progress』を見る

今日はdots の『Unknown Theory,Still in Progress』という公演を見に行きました。
dotsの公演をものすごく久しぶりに見ました。映像がキレイでした。

ダンスとか見てると、次の瞬間どうなるかがわかるときがあります。
瞬間的に立てた仮説と、その直後に起こる事を天秤にかけながら、また次の瞬間のことを考えるという高度なことを、人間の頭はやってのけます。

それってすごいことだなぁと思いつつ、作品を作るということは、そんな瞬間、瞬間を構成し、流れて行く時間と向かい合うことなんだとつくづく感じました。

そしてもうすぐ夏のサミットのチラシが自宅に届きます。今から本番中の一瞬一瞬のことを考えるのは気が速すぎる気がしますが、こうやってブログとか書いてる時間の延長上に公演日があって、踊りが踊られる瞬間があると思うとちょっとソワソワします。