2011/04/24

ブライアリー企画終了














はい!無事、ブライアリー企画終了しました。左が振付・演出のブライアリー、右がイギリス人バレリーナのルーシー。真ん中がアジアの筋男こと京極です。青い目の二人は赤目なってるね~


こんな穏やかな顔で写ってますが、この三人での稽古は本当に大変でした。お互いに違うバックグラウンドを持ち、言語も文化も違うもの同士、作品を作ることの難しさと、面白さをビシビシと感じました。




そして舞台写真!!







ともあれ、終ったぁ~!!




で、早速新しいニュースが二本。ひとつは京都で震災のためのチャリティーイベントに参加します。


そして二つ目はポーランドでの『カイロー』映像の上映が決定しました。


詳しくはNEWS欄をご覧下さい!


今後もガンガン頑張ります!

2011/04/21

ブライアリー企画初日!


ブライアリー企画、初日が終了しました。
何つーかやっぱり本番はやっぱり楽しいです。
お客さんもたくさん来てくれて、今日は本当に幸せな一日でした!

作品は明日からますますよくなっていくはずです。なんせ日本語の分からないルーシーに冗談、通じるぐらい仲良くなったし、チームワークはどんどん向上しています。
ぜひこの異色のコラボレーション作品『川と出会い』を体感しに、アトリエ春風舎にいらしてください!

2011/04/13

怒涛の一週間が終わりました。

怒涛の一週間が過ぎ、明日ようやっと通し稽古です。
いや、本当、未だかつてない経験をさせてもらっています。

イギリスロイヤルバレエのバレリーナに徹底的にリフトを教わり、英語、日本語、フランス語の入り交じった中でリハーサルをし、それをyoutubeにアップしてNYの作曲家に曲を作ってもらったり、花見したり、クレープパーティしたりの、
もりもり沢山の一週間でした。
明日から一旦京都に戻ります。来週の本番、ぜひ多くの方に見て頂きたいです!

この一週間の、もはや国際交流プロジェクトと言っていい稽古期間の中で、楽しいことも、つらいことも沢山ありました。中でも強く感じたことは、やはり人間同士のつながりについて。まだこれから一週間が勝負ですが、その戦いを乗り切る指標として、ひとまず今の考えをまとめてみようと思います。

ダンスで外国人と体を合わせるとき、そこには体の違いはもちろん、文化の違いがどうしようもなくあって、さらに個人の考え方や行動の違い、振付とのバランスなどが加わり、単なる外国人と日本人という構造には置き換えられない、複雑なひずみが発生します。

ダンスの場合言語を解さない分、国境を越えてわかりあえるという考えは、ある部分では当たっていますが、結局、このひずみに向かい合わなければいい作品にはならない事は、確か。
ある程度で済ませてしまうか、それでも手を伸ばし続ける意志を持続させるか。その意思をいかに持続させるかが、キモ。
もうこうなると外人だろうがなんだろうが関係なく、人間同士の根性比べになってきます。

毎日、壁にぶち当たるなかで、少しづつ気づくことは、わかりあえないという絶望をまず受け入れる事が、希望を紡ぐ鍵になる。ということ。
二つの異なる手は一つになる事は出来ないが、互いに掴んで離さないでいることは出来る。その筋力を鍛える事も、離れにくい掴み方を探る事も「離したくない」と強く思えば思うほど、自然と身についてくる。ということ。

こうして僕はこの一週間で体脂肪率は減り、体重が増えたので、実際筋肉がついたわけだが、それはさておき・・・

現実に萎える事は誰にでも出来る。それよりは、もう少しいい夢をみたい。その夢を見るために、どうしようもない現実に目を向け、考える事を止めてはいけない。それは誰の為にって、作品よりも何よりも、きっと自分の人生のためになんだろうと思う。


2011/04/06

ダンスリハーサル本格始動!


今日から東京にて青年団若手自主企画 vol.49 ブライアリー企画 『川と出会い』リハーサル始まりました!
そして今日、NYから初来日したルーシーとの初稽古でした。

今回僕とルーシーのシーンはかなり多いので、今日から早速二人で振付を考えました。
バレエダンサーの体は繊細で、リフトなどをする時、本当に精密機器を扱っているようでした。

同時に一緒に踊っている自分の体への意識もかなり繊細になります。

にしても、ルーシーのアクテビティー!
今日14時間のフライトを経て、初めて日本に来て、さっそくリハーサルに参加するという。
こちらも夜行バスで7時間、京都から来たのです!負けてらんねー


2011/04/01

東京→京都→日本


京都に帰って来ました。震災後はじめて帰省した東京は暗い駅構内と、商品のないコンビニが印象的でした。
それでも劇場の灯を絶やさぬよう活動する舞台関係者と、それに賛同する観客の姿がとても印象的でした。

舞台は、やる側と見る側の共犯関係の上に成り立つといいますが、その関係が共犯という言葉をもってして語られる時の「いかがわしさ」みたいなものの意味が、こういった状況下では大いに変わってくるのだろうと思います。

ある意味で、普段から「いかがわしい」職業である役者やダンサーは、どんな状況下であろうと「いかがわしさ」を奪われることなく「いかがわしく」あり続けます。それはなんびとたりとも犯すことはできず、どんな天災もそれを奪うことのできない、舞台へ向かう者の特権です。

だから、そもそも「いかがわしい」ものとしての劇が、こういった状況下でやたらと神聖化されることには、違和感を感じます。
普段見向きもしない人が、殊更に取り上げて、声高に叫ぶ事の方が、よっぽど「いかがわしい」と感じてしまいます。
私たちは「フツー」に狂ったことをしてきたから、現実が狂ったとしても「フツー」に狂って見せよう。望む人がいる限り。なんつってーのは、カッコつけすぎですが・・・

ともあれ状況が状況だけに、今、私達は、私達を取り巻く環境と、舞台の虚構との狭間に横たわる「いかがわしさ」の変動に無意識でいることは出来ない状況にいます。誰もこのことからは逃れられません。

相対的な意味での日常が覆り、そのバランスが大いに崩れるとき、日常からの逸脱であったはずの劇が、なにやら杖のように現実を支えはじめたように見えます。

しかし僕はそのことは一時的なことと考えていて、それよりもこれから先の長期的な変化に注目したいと思っています。
もう東京はかつての都市機能を取り戻すことはないだろうし、様々な「あたりまえ」が少しずつ変わっていくこととなると思います。もちろんそれが見るもの、見られるものの共犯関係にも大きく影響することは間違いありません。

今回の震災は表現活動を続けて行くものに限らず、日本を取り巻く全てのことに、良くも悪くも、様々な形で影響を及ぼして行くこととなると思います。決して楽観的ではいられないかもしれません。それでもその変化を良くとるか、悪くとるかは、これから生きて行く私たちに委ねられています。

ひとまずは来週、NYからバレリ-ナを迎え、東京でのリハーサルが再会します。これは冷静に考えて今の状況下では希有なことです。今できることを精いっぱいやるのみです。