京都に帰って来ました。
舞台は、やる側と見る側の共犯関係の上に成り立つといいますが、
ある意味で、普段から「いかがわしい」職業である役者やダンサーは、どんな状況下であろうと「いかがわしさ」を奪われることなく「いかがわしく」あり続けます。それはなんびとたりとも犯すことはできず、どんな天災もそれを奪うことのできない、舞台へ向かう者の特権です。
だから、そもそも「いかがわしい」ものとしての劇が、こういった状況下でやたらと神聖化されることには、違和感を感じます。
普段見向きもしない人が、殊更に取り上げて、声高に叫ぶ事の方が、よっぽど「いかがわしい」と感じてしまいます。
私たちは「フツー」に狂ったことをしてきたから、現実が狂ったとしても「フツー」に狂って見せよう。望む人がいる限り。なんつってーのは、カッコつけすぎですが・・・
ともあれ状況が状況だけに、今、私達は、私達を取り巻く環境と、舞台の虚構との狭間に横たわる「いかがわしさ」の変動に無意識でいることは出来ない状況にいます。 誰もこのことからは逃れられません。
相対的な意味での日常が覆り、そのバランスが大いに崩れるとき、日常からの逸脱であったはずの劇が、なにやら杖のように現実を支えはじめたように見えます。
しかし僕はそのことは一時的なことと考えていて、それよりもこれから先の長期的な変化に注目したいと思っています。
もう東京はかつての都市機能を取り戻すことはないだろうし、様々な「あたりまえ」が少しずつ変わっていくこととなると思います。もちろんそれが見るもの、見られるものの共犯関係にも大きく影響することは間違いありません。
今回の震災は表現活動を続けて行くものに限らず、日本を取り巻く全てのことに、良くも悪くも、様々な形で影響を及ぼして行くこととなると思います。決して楽観的ではいられないかもしれません。それでもその変化を良くとるか、悪くとるかは、これから生きて行く私たちに委ねられています。
ひとまずは来週、NYからバレリ-ナを迎え、東京でのリハーサルが再会します。これは冷静に考えて今の状況下では希有なことです。今できることを精いっぱいやるのみです。
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