2013/05/11

アフタートークゲスト、松井智恵さんにお会いしてきました!

先日、今回の『理想の森』のアフタートークに、ご出演いただく美術家の松井智恵さんにお会いしてきました。
今回京都芸術センターにアフタートークゲストのコーディネートを依頼して来ていただくことになったので、今回が初対面でしたが、共通の友人も多く、夢中で話しているうちに、あっという間に時間が流れてしまいました。

キャリアとしては先輩も先輩!僕の生まれた年には既に作品を様々な場所で発表されており、貴重なお話がたくさん聞けました!

今日はリハーサルが休みだったので、ダンサー紹介は次回にしまして、松井さんとお話しさせていただいた中で、印象的だった事について書きたいと思います。

それは、作品を作る自由と、不自由について。

作品を作ることは基本的に「自由」です。
作ったって、作らなくたっていい。
それなのに何故か「作品を作りたい」という初期衝動はいつしか「作品を作らなければならない」と変換されてしまい、どんどん不自由になってしまう。

そもそも僕はいつも、生きていることの中で「もっとこうだったらいいのに」とか「こんなことが嫌だ」という「不満」から作品を立ち上げます。その「不満」があるからこそ自分は作品づくりに向かうのだとも思います。

しかしながら、作っていく過程でなぜか、無意識にこの初期衝動は“横滑り”し、変換されていってしまうのです。
それはなぜか?それは日常とは、常にその“横滑り”の連続であり、人はそうすることでそつなく日常を送ることができるからです。

社会生活においては、時に衝動をおさえなければならない事が多々あります。
その衝動と、それができないストレスや不満を難なく忘れながら生きていく事。
それは意識の安全装置として、人に強く備わっています。

この強固なシステムによって「こんなものは面白くない」「自分だったらもっとこうする」といった受容体験への批評も、いつの間にか自らの中に取り込まれ、気が付けば「面白くない」と思っていたものに抗うのをやめ、いつしかむしろ、それらを模倣している場合さえあります。

作品を作ることはやはり日常の延長にあり、日常とは切っても切り離せないものです。
しかし作品づくりの現場は、僕の場合、稽古場だけはそういた普段飼いならされた感覚から、少しだけ逸脱した場であって欲しいと思うのです。

子供のころ、砂場が無限に広がる想像の海だったように、ダンスが、決められた振付だけでなく、即興的な広がりに漕ぎ出すように、作品づくりの現場は「自由」であって欲しいと思うのです。

この強固な日常をやり過ごすためのシステムと、そこから「自由」になろうとすること。
この二つがあるからこそ創作は続き、この二つの葛藤はどこまで行ってもなくならないということ。
そして同時に、どこかで見たこと、好きだと思ったことも作品の中に無意識に取り入れられていきます。
そのことに気付くたびに、作家は作品を作る自由と、不自由について考えさせられるのです。

松井さんと話していて、作家として創作を続けていくということの意味をもう一度深くかみしめた様な気持ちになりました。

本番まであと一週間、まだまだその葛藤は続いています。
それでいいのだと思います。
松井さんとのアフタートークは19日15:00の回、終了後です。
観客の方々からもご質問承ります。是非にお越しください。

★アフタートークゲスト情報

5月
18日19:00 原 摩利彦さん(音楽家)http://www.marihikohara.com/
19日15:00 松井智恵さん(美術家)http://mem-inc.jp/artists/matsui_j/
http://www.chie-matsui.com





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