2018/09/06

神河町の身の回り

兵庫県神河町に夫婦で移住してからはや一年が経とうとしています。
何だかんだ月に一回は東京や京都に仕事で行ったり来たりしていましたが、今年の夏は一か月ずっと神河にいました。山と川に囲まれた神河の夏は暑かったけれど、コンクリートに囲まれた東京の夏よりは爽やかで、山から吹く風が心地よい夏でした。

こちらでアルバイトもしつつ、朝7時過ぎには起きて夜12時過ぎには寝る。食事は三食自炊、野菜は畑から、庭からはイチジク、水は湧き水、家事の合間に山や川でトレーニングをし偶にプールで泳ぐ。みたいな生活をしています。本当に豊かな生活とは金銭的な問題ではなく、身の回りが相応に整うということかもしれません。
 
しかし、正直に言えば「本当にこれでいいのだろうか?」という不安は完全になくなったわけではありません。
傍から見たら隠居みたいな生活をしていますが、私の中には「欲」も「不安」もたっぷりあります。
相変わらず金銭的な安定はなく、何の保証もない生活であることは東京にいたころと変わりませんし、仕事の中心はやはりまだ東京にあり、自分に嫌気がさす日もあれば、これでいいのだ!という日もあります。その両方が現在です。そんな日々を過ごす中でこの夏、私にとっての大きな事件が二つ起きました。
 
一つは、ここ数年、毎年秋に東京芸術劇場で行われている「アジアパフォーミングアーツフォーラム2018」(以下APAF)の国際共同制作ワークショップ上演会にてインドネシア、フィリピンの演出家と並び、日本の演出家として作品を発表させて頂く事になったことです。
詳細はこちら↓
http://butai.asia/ja/info02/
APAFでは毎年「アジアの舞台芸術を通じた相互理解と文化交流の促進、アーティストの相互交流による舞台芸術の創造と水準向上、優れた人材と作品の発掘と、アジアにおける芸術・文化の振興に貢献すること目的に、様々なプログラムが組まれているのですが、私の参加する国際共同制作ワークショップ上演会とは、日本、タイ、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシアからオーディションで選出された役者、ダンサー達と共に約一週間の合宿を経て15分の作品を制作し、東京芸術劇場で発表するというもので、今年初めて行われた日本人演出家の公募で、選出していただきました。「いつか多国籍メンバーでの創作をしてみたい!」と思い、2015年頃から「海外で発表、制作をする」事にこだわってきた私の夢が一つ叶う形になったのです。
 
選出結果を聞いたとき、二つの感情が込み上げました。まずは期待と興奮、感謝といった純粋にポジティブなもの。そしてもう一つは「東京で仕事をもらったこと」に対してホッとした自分への疑問です。この感じは何なんだろ?と思うと、そこは案外深くて、まだまだ掘っていける気がするのですが、今のところ浮上したのは二つ。
一つは夫婦のパワーバランスの問題。そしてもう一つは地域コミュニティでの体裁の問題です。
 
以前ブログにも書きましたが、奥さんはここ神河町に地域おこし協力隊としてきており、私は彼女のおかげで今こうして生活できているわけです。今のところ私の稼ぎは東京、京都での出稼ぎと、兵庫での僅かなバイト以外ありません。そうなると必然的に私の中で、家事をめっちゃ頑張ってるだけでは盛り返せない“うしろめたさ”のようなものが生まれていきます。
加えて日々、慣れない土地で奮闘し、地域のために、住民のために頑張っている奥さんと、地域のためには、未だに特に何もできていない私は、「東京での仕事」によって、ある種の夫婦間のパワーバランスを保った気がしてホッとしたのだと思うのです。
そしてもう一つは田舎の地域コミュニティーで重要になってくる体裁。つまりは「京極さんちの旦那さん何してるの?」という問いに対しての“返答の定型文”が一つで来たという安心感が私をホッとさせたのだと思います。そしてそれは奥さんの体裁を守ることにもなります。
この(東京者には)特殊な地域コミュニティーで「東京」という言葉を出す事の「破壊力の良し悪し」に関しては、またいつか書きたいと思っていますが、今回は見送ります。
 
こう書いてみると改めて「自分、ちっせぇな」と思ったり「東京がなんぼのもんじゃい!」という気持ちにもなりますが、単純に東京は私の生まれ故郷でもありますし、私の中でその存在は当然のごとく大きいのだということを今回のことで改めて感じました。
そして今回のAPAFに話を戻せば、フィールドは広く「アジア」なので、とにかくいいものを作る事に集中したいと思います。そしてそんな風に集中することのできる環境を許してくれている奥さんに感謝したいと思っていた矢先に、第二の事件は起こります。
 
先日、夜、奥さんが急に具合が悪くなり、最寄りの病院にはその日の夜は整形外科医しかおらず、救急車を呼んでも1時間かかる。とにかく救急車より速く行ける夜間外来を探し出し、車を出そうというところで、奥さんもだいぶ落ち着き、結局大事には至らなかったのですが、こういう時、田舎に住んでいると心細いものです。
しばらくの間、奥さんのお腹と頭に手を当てながら、以前人から教わった「立禅」の呼吸を試してみました。
本来は一人で合掌して、腕を通して「気」の流れを循環させ、呼吸で悪いものを体外に出すというものですが、合掌する手と手の間に奥さんを挟んで気を循環させてみました。
ハッキリ言ってこんなこと初めてやりましたし、いわゆる「スピリチュアル系」のことって普段、半信半疑なのですが、この時はとても明確に「いい気」と「悪い気」が感じられ、奥さんの中の「悪い気」が私の腕に入り、私の吐く呼吸と共に空中に出ていくのを感じました。
 
踊りをやっていると「イメージ」という言葉を良くも悪くも使います。自分でも半信半疑ですし、イメージほど個人差があるものはありません。私が感じた「いい気」「悪い気」なんかも、ただの私の妄想でしかないといってしまえばそれまでで、奥さんに触れながら呼吸をしている時、涙が止まらなくなったのも、単なる感情移入だし、段々奥さんの様子が安定したのも時間経過によるものかもしれません。
ただ私はこの経験を通して、あたりまえだけど夫婦って身体的に深くつながっているんだなと実感しました。
まるで同じ体を共有しているように、片方が「悪い」とき、片方はそれを「良く」しようとしますし、片方の「良さ」が片方に影響して両方良くなる、その逆も然り。私がどんなに東京で仕事をもらっても、金銭的に豊かになっても、離れていては意味がない。夫婦のパワーバランスって、経済力や発言力というようなPOWER的なことだけでなく、安らぎや、暖かさといったENERGY的な事も含めれるんだな、なんてことを思った「スピ系」の夜でした。これが第二の事件。
 
そしてここまでダラダラと書きましたが、というか、書いていて気が付いたのですが、この二つの出来事は全然違う話のようで、両方とも夫婦の話という点で共通しています。冒頭に「本当に豊かな生活とは金銭的な問題ではなく、身の回りが相応に整うということかもしれません」と書きました。私にとっての“身の回り”は神河町であり、東京でもある(もちろん京都、最近では神戸も)。そして、その“身の中身”は実は私だけでなく奥さんも含まれているということ。それらが相応に整うとはどういう状態を指すのか?まだその答えは明確には見つけられていません。
しかしこの秋出合う海の向こうのアジアの人々、そして移住して一年が経った神河町、離れて一年経った東京。それらの一見バラバラに思えるものたちが、実は私をハブに繋がり、私の“身の回り、身の中身”になっていくとき、世の中にあふれる定型文とは違う“私の身の回りの整い方”が見つかるのではないかと予感しています。
 そしてそれが私がこれから作る作品にも大きく影響してくると思うと、自分自身とてもワクワクしています。今後も良い作品が作れますように。そして多くの皆さんに再びお会いできますように。頑張りたいと思います。
 
毎度長文にお付き合いいただきありがとうございます。
そんな私の今後の予定をNEWS欄にまとめましたので是非チェックしてみてください。

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