2019/05/29

来月に迫った梅田宏明+Somatic Field Project公演とAPAF2019出演者募集について

先日、行われた京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンスダブルビル公演にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。自分の中では近年稀に見る豊かな時間でした。
今もふとした瞬間にカフェ ムリウイの屋上でお客さんと過ごした一時を思い出して嬉しくなります。

 

今回の公演は、枚数限定の事前決済制にしたということもあり、ひと月前にチケットがほぼ完売しただけでなく、お客さんが前々から楽しみにして下さっていた感じが、客席に溢れていて、少人数でしたが「待つ」事で醸造された豊かな空気が流れている、とても幸せな公演でした。
改めて「量より質」が自分には合っているなと感じたので、次回また開催する際にはより、この豊かさを味わってもらえるよう頑張りたいと思います。おそらく次回も量は少ないですが、、、。
 
そして、ご来場していただいた方々にはお知らせしましたが、今回ご一緒させていただいた永田桃子さんが、現在、クラウドファンディングをしています。
 
ベルギーを拠点とする世界屈指のダンスカンパニー「ピーピング・トム」の全世界オーディションの一時選考を通過した彼女は6月ベルギーに二次選考を受けに行きます。これ、全世界から2300もの応募があるような大規模なもので、そこから一次を勝ち抜いたって、本当にスゴイことです!!
 
私もかつてクラウドファンディングを利用して、メキシコに公演をしに行きましたが、今は当時に比べて「クラウドファンディング」という言葉がかなりメジャーになってきたこともあり、ファンディングするダンサーも増えてきていますが、これ、やる方も結構勇気が要るものです。
 
そして何より、ダンサー、振付家にとって、これほど普段から気にかけてくださる方々のありがたさを感じる体験はないので、応援した側は一生感謝されます(私はしています!)と、いうことで、是非彼女の世界デビューを応援してあげてください!!
 
ファンディング詳細はこちらです
 
 
「普段から気にかけてくださる方々のありがたさ」という話が出ましたが、実は最近、こんな私のブログを楽しみにしてくださっている稀有な方が存在するということを知り、びっくりしています。
 
このブログはどちらかというと自分の整理のために書いている節が強いのですが、人が読んでいるという緊張感で更に整理される思考があるので、引き続きマイペースに書き溜めていこうと思っています。
 
とはいえ、ちょっと意識はしますよね、、、「読んでるよ!」といわれるとね、、、。
 
だからというわけではないのですが、いつも徒然なるままに、書き溜めているこのブログには珍しく、今回はテーマを決めて書いてみようと思います。
 
 
今回のテーマは「オーディション」「海外」「思考の拡張」の三本立て。
 
 
三つめの「思考の拡張」が急に飛躍した話のように思えますが、毎度の長文に最後までお付き合い頂けた方には、話が繋がってわかってもらえるのではと思います、、、。
是非お時間のある時に、最後までお付き合いいただければと思います。
 
 
 
ということで、まず最初のトピック「オーディション」について。
なぜ今、「オーディション」について書くかというと、ちょうど永田さんがオーディションに挑戦しているということもありますが、実は今、私も、日本全国から応募者を募るオーディションに関わっているからです。
 
今年の東京芸術祭、アジア舞台芸術人材育成部門 APAF2019(アジアパフォーミングアーツファーム)APAF Exhibitionで、フィリピンの演出家Issa Manalo Lopezと私の共同演出作品に参加して頂ける出演者とスタッフを現在、募集しています。(同プログラムの別企画APAF Lab.参加者も同時募集中)
 
昨年私とフィリピンの演出家Issa、インドネシアの演出家Dendiの三人はAPAF国際共同制作ワークショップという企画で一週間、静岡県のSPAC静岡県舞台芸術公園に合宿をし、東南アジアから集まった総勢13人のダンサーや俳優と共に20分ほどの作品をそれぞれ制作し、東京芸術劇場で発表しました。
 
今年はその中から選出されたメンバーと共にIssaと私の共同演出でフルレングス作品(長編作品)を制作し、再び東京芸術劇場で発表します。
 
アジア各国から選ばれた役者、ダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値は十分あると思います。
ぜひ応募してみてください。締切は612日!!
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして下さる方をお待ちしています!
 
詳細はこちら
 
 
そして、ここからが裏話ですがダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値はあると思います。
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして
実は私、20代で一回APAFワークショップ参加者のオーディションに落ちています。当時のAPAFは今とディレクターも方針も違いますし、オーディションで何をやったか、今となっては思い出せないぐらいなのですが、、、。
 
そんな私が去年初の、演出家の公募に受かり、今年は参加者を選ぶ側に回っているというのは、とても不思議なことです。まさか自分が落ちたオーディションをやる側になるとは普通思いません。
 
つまり何が言いたいかというとオーディションというものは半分は「偶然と時の運」で出来ているということです。
受ける人の持っている実力や運だけでなく、誰もコントロールできない偶然と、時の流れ、タイミングみたいなものがあって、その流れに偶々引っかかったり、かからなかったりするということです。
 
実際、去年の演出家公募の際、背中を押してくれたのは奥さんでした。もし私が結婚していなかったら、応募すらしていなかったかもしれません。
 
もちろん何かに選出されるには、それ相応の実績や経験が必要ですが、その時、その作品に何が必要とされているかどうか?や集まった人たちの男女比、年齢、バランスによって結果は大きく左右されることがほとんどなので、決してその人の優劣を決めるものでもなければ、ステータスを図るものではないということです。
 
分かっちゃいるけど落ちたら落ち込むのがオーディションなんですけどね、、、。
 
僕もかつて様々なオーディションに落ちてきましたが、幸い自分も作る側の人間だったので、この「時の運セオリー」を理解はできました。
 
とはいえ「時の運」だけに任せてもいられない部分というのも実はあって、今回のオーディションには年齢制限(原則35歳以下)や英語力など、誰もが通れる道ではないことは確かです。
 
よくこういった海外との共同事業の募集要項には「英語ができなくても気持ちがあれば大丈夫!」と書いてあります。それはもちろん一理あります。
 
ただ僕は正直、この文章は英語ができるやつが書いている文章だと思っていて、僕の経験上、英語ができなければその分、クリエーションでの困難は増えますし、コミュニケーションの質は落ちます。それに伴って孤独感や劣等感が生まれ、本来のパフォーマンスが落ちることもあります。
 
だから僕は個人的には今回のオーディションでは事前に「気持ちだけでは無理です」と付け加えたい(オフィシャルには「英語を話す意思のある方」であれば応募OK
 
それは何も「あきらめてください」という意味ではなく、それ相応の準備が必要だということです。今は便利な翻訳アプリが山ほどあるし、結局、コミュニケーションの問題は、下手くそでも言ったもん勝ちみたいなところがあって、良くも悪くも、それが言語の持つ力だとも思うので、自分の言いたいことに、どれだけ気持ちと手間と技術を詰め込めるかが勝負です。どれが欠けてもダメです。
 
そして一番難しく、一番重要なのが「言葉に頼りすぎないこと」。
 
それって結局のところ表現にも通じることで、技術のない気持ちだけの演技は伝わらないし、高い技術でも気持ちの入っていない踊りは面白くない。そして、手間暇かけた時間は舞台上で決して無駄にならないが、経験だけに頼りすぎてはいけないということと同じです。
 
で、ここまで偉そうなことを言っておきながら、実は僕は英語が得意ではありません!
 
中学高校では結構勉強した口ではありますが、後は2012年から毎年一回ぐらい海外に出て実践する中で何とか「できる風」を装っていますが、とにかくグーグル先生と二人三脚で何とかやってきました。
 
海外では観光もせず、ひたすらWi-Fiのあるカフェで翻訳作業したりして、正直むちゃくちゃ大変です。
 
それでも私がこの数年間「海外」ということに拘って創作を続けてきたかというと、そこにダンスの本質を見つける鍵があるような気がしたからでした。
 
 
そしてこの流れからそのまま二つ目のトピック、「海外」の話に移行していきますが、私が「鍵」と呼んでいるものは日本より海外の方が文化や設備が優れているとか、そういう話では、もちろんありませんし(ダンス界において日本が海外に比べて遅れていることは多々ありますが)私自身、世界中隈なく見て回ったわけではないので、偉そうなことは言えないのですが、その「鍵」とは主に、自分の中の話。
 
どういうことかというと、「海外」には言語の違いだけでなく文化や宗教、歴史認識の違いなど様々な「思いもよらないこと」が溢れています。そこを経由することで自分の「思いもよらない思考」にたどり着ける可能性があるのです。
 
私の場合、英語を話していると、日本語を話している時よりも明確に自分の中に「言葉」への疑いがあることが見えてきます。
これだけグーグル先生にお世話になりながら翻訳して「言語化」しているにもかかわらず、やればやるほど言語を疑うようになる。これは一見、矛盾しているように思われるかもしれません。
 
頼みの綱である「言語」にしがみつきながら、どんどんその綱のもろさを手の感覚で感じ始めるのです。どんなに「言葉、言語」を尽くしても埋まらないものがある。ただ、それを埋めてからしか始まらないことがある。
 
私は海外での制作を重ねるごとに、私にとって言語は「言語以外の空白を炙り出すためのツール」なのだということがわかってきました。
 
その空白に何かしらの真実があると思っているから、言語を埋めていかないと浮かび上がってこないその空白を求めて、せっせと言語化をしているのだと思うのです。
 
そして、私が良く作品で使う「デタラメ語」(参考動画)も言語だけでは埋まらない更に細かい隙間を埋めるための粒子の細かいパテのようなものかもしれません。
ともあれ言語化、あるいはデタラメ語化で埋めていった先にどうしても埋まらないモノの一つが、僕にとってのダンスなのかもしれません。
 
海外での制作が自分にあっているのは、英語が得意ではない分、逆に物事をストレートにしか言えなくなるということと、更に言語化に労力がかなりかかる分、言葉がより「ツール化」して、何が言葉で何が真実かがわかるというか、「真実」とか言った時点で胡散臭いですけど、とにかくすごく言語、言葉と「その隙間」に、普段より敏感になることができるからなんだと思います。
 
日本語思考では意外と見落としてしまう、というか日本語化できすぎて埋まっちゃう、言語化できない隙間をすごく意識することに、結果的に、なるんです。
 
「ダンスに言葉はいらない」とよく言われますが、僕はこれに否定的で、ダンスだからこそ言葉は尽くされるべきだし、その言語化できない隙間にしか「ダンスでやる意味があること」はないのではないかと思っています。「言葉にできない」がダンサーの言い訳になるまでには、本当に言葉を尽くして詰める必要がある。
 
 
話が結構なところまで進みましたが、これが今回の三つめのトピック「思考の拡張」につながってきます。
 
日本語だけで考えていては浮かび上がらない隙間を意識して作品を作ることは、作品をすべてコントロールしようとする欲求からの自由を生み出します。
つまりは自分の思い通りになりすぎない部分に自分でも「思いもよらない」可能性が眠っている。
得てして国際共同制作というものは思い通りになんかならないものです。だから面白いし、可能性がある。
 
なぜ自分がここ数年意識的に海外で仕事をするようになったかの答えが、今になってぼんやりと見えてきました。当時はただの感覚でしかなかったんですが。
 
そして「思い通りにならない」のが面白いなんて思えるようになったのはハッキリ言ってここ最近の話です。
今まで様々な国で、様々な困難と、それを凌駕する素晴らしい体験をしてきたからこそ、こんなことが言えるんだと思います。それまでは自分の思い通りにならないのは本当に辛い事でした。
 
そんな私は去年のAPAFの発表後のラップアップで、自身の創作した作品について「もっと手放せる部分があって、それを手放していたら、より面白くなっていたかもしれない。」と語っていました。今でもそう思います。
「思い通りになる」ことは快感ですが、その先は「手放すこと」が新たなフェーズではないかと思います。
 
そして今年、そのチャンスが訪れました。今年のAPAFは演出家がツートップの国際共同制作です。昨年に増して、混迷を極める展開が予想されます。(既に連日Issaとのメールのやり取りは始まっています。)しかしこの状況が更にハードな「言語化」を必要とし、更なる「手放し」を生み、私の「思考の拡張」を促進してくれることと思います。
 
そんな「手放す」フェーズに入ってきた最近ですが、実は同じようなことがダンサーとしても起きてきていて、「思考の拡張」に関連する、ダンサーとしての大きな発見があったので、そのことも記しておこうと思います。
 
それはここ数年関わらせていただいている梅田宏明+Somatic Field Projectでのこと。
このプロジェクトは以前このブログでも紹介しましたが、そもそもこの梅田宏明+Somatic Field Projectのオーディションを受けたことで私は永田桃子さんとも出会っていますし、梅田さんは一年のほとんどを海外で過ごされている作家さんで、まさにここ数年の私の思考の拡張に多大なる影響を与えているプロジェクトです。
 
その中でよく梅田さんが仰ることがあります。詳細は過去の私の記事を見て頂けると、よりわかりやすいと思いますので省きますが、私の言葉で言うと
 
「知らない動きはできない」ということです。
 
は?
 
ってなりますよね。至極当たり前のこと過ぎて。
 
もう少し説明すると、例えば自分が知覚できない速さの動きは、実は能力的にはできるはずの動きでも、脳みそがブレーキをかけてできなくしてしまう事がある。ということです。
 
「言語化できないものは存在しない」という哲学のロジックを思い浮かべるとわかりやすいのですが(例えば「いぬ」という言葉がなければ「目の前のもふもふした毛の塊のような生き物」は存在しなくなってしまうというようなロジック)「知らない動きはできない」は言い換えれば「知覚できない動きをコントロールすることはできない」逆に「知覚できる動きは、コントロールできる」ということです。
 
どんなに難しそうな動きや速い動きでも、細分化して一つ一つを知覚して、頭で捉えることができれば、できるようになる。逆にそれができないと一生できないということで、それってすごく物事をぎりぎりまで言語化していってその隙間を埋めていく作業と似ているんです。
 
そしてその言語化が進むと、その先の言語化できない部分も味方につけることができる。
 
ちょうど私が英語を使って海外のダンサーと作品を作るときのように、言語化した先の「隙間」が語り始める。
 
体の中にアクティブ(能動的)な部分とパッシブ(受動的)な部分が出来て、その両方をコントロールできるようになる。
意識を高めていくと、無意識の領域が動きを助けてくれる。
 
つまりは動きが本当の意味で、できるようになるということ。
 
これは梅田さんがワークを通してずっと教えてくれていることなのですが、実践はなかなか難しい。しかし私は最近、言葉や言語化、思考の拡張といったキーワードから何となくその輪郭を掴み始めたように思っています。
 
とても話がマニアックになって来てしまいましたが、僕の中で海外で制作をすることと、この体の可能性を探ることは同じことで、どちらも未知なるものに具体的なアプローチをすることで、「思考を拡張」していくことに他ならないのです。
 
梅田宏明+Somatic Field Projectにかかわって三年。ひたすらに体を動かす中で、さらに、どうして自分は今まで言葉、言語というものに拘ってきたのかがわかるようになってきました。
 
それは言語の先に「何かがある」(としか言いようのない)ことを潜在的に知っていた、あるいは子供たちが元々知っていて、大人が忘れてしまった「言葉の不思議」みたいな感覚を未だに引きずっているからなのかもしれません。(ピーターパン症候群的な、、34歳、かなりイタイですね)
 
昔っからノートを書きまくる癖も、ここから来てるのかもしれません。
以前恩師に「書き溜めたノートを河原で燃やして来い!」といわれたことがありますが、正に私はノートを燃やすという行為のために書いていたのかもしれません。(実際は燃やせなかったので、古紙回収に出しましたけどね 笑)
 
ということで、私の思考は拡張しているのか退行しているだけなのかよくわからなくなってきたところで、ここからは潔く宣伝です。
 
そんな私が関わって三年目になる梅田宏明+Somatic Field Projectの新作公演が来月、池袋、あうるスポットであります。梅田さん自身のソロダンス、私たちの出演するグループ作品に加え、梅田さんのメソッドをヒップホップダンサーに移植した意欲作とインスタレーション作品の4本立てという豪華ラインナップです。
 
<詳細>

 
 
APAFも梅田さんも、開催は池袋の西口、東口です。兵庫県に移住してこんなに池袋に行くことになるとは思ってもみませんでしたが、兵庫と東京の往復で拡張されている思考や、今年行く「海外」として、韓国のアーティストインレジデンスの話があるのですが、それらに関しては、また別の機会に書きたいと思います。
 
また長くなりすぎました。
最後までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました。
ぜひ、様々な場所で皆さんにお会いできるのを楽しみにさせて頂きます。
 
京極朋彦

2019/04/10

京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンス ダブルビル公演によせて

https://www.facebook.com/events/849019145441726/
画像をクリックすると公演詳細ページにとびます。
 
久しぶりに東京で自作を発表します!

昨年、神戸で初演したソロダンスです。
この作品は2017年に韓国に滞在した時に、現地の伝統舞踊に強く影響を受けて作り始めた作品でした。
それがなんと今年、再び韓国で、現地の伝統舞踊のダンサーと共に滞在制作を行い、デュエット作品に発展させるプロジェクトが動き出しました!

そんなタイミングもあって、今回もう一度、この作品を自分でしっかり踊っておきたいと思いました。
しかも東京ではまだ発表していない作品だったので、移住してから一年半のご挨拶も含めて、東京のお客さんにも見てもらってから、自信を持って韓国に行こう!ということで今回の企画を立てました。
そして以前から気になっていた、とても素敵な場所、カフェ ムリウイさんで公演を実現できることになり、とても嬉しく思っています。

そして何より、今回一番嬉しいのは、永田桃子さんとダブルビル公演をすることになったことです。

彼女は、年の差はあれど、気心の知れた友人であり、私が今「大人げなく本気で挑みたい相手」でもあります。

永田さんとは2年前、梅田宏明 主催 SomaticField Projectで出会い、今まで何度か共演やイベントのゲストとして、ご一緒させていただきましたが、その才能は素晴らしく、おそらく長くは日本に留まらないだろうと思っていたので、このタイミングでご一緒できて本当に嬉しいです。

そしてもう一つ嬉しいことは、彼女が今回、習作として踊るソロダンスのタイトル『喪服を洗う女』は、私が今年2月に開催した「踊る体の写生会 vol.8」で彼女が即興で踊った踊りに、私がその場でポロッと口にした言葉がそのまま使われていることです。

「そのタイトルでソロダンスが作りたいです。」

その時すぐに永田さんがものすごく「まっすぐ」に言ってくれたのを、私は鮮明に覚えていて、それが今回の企画の始まりでした。
今思えば私は、その時、単純に嬉しい気持ちと同時に、彼女の「まっすぐさ」に10年前の自分を思い出していたのかもしれません。

10年前。24、5歳の時。
私は、お金もなければ、場所もない、技術も見せ方も、とっ散らかっていたけれど、ただただ作品を世に送り出したい一心でした。
粗削りだけど「ダンスにまっすぐ」だった10年前。
今の私も、果たして当時と同じようにダンスに「まっすぐ」でいられているだろうか?
あまりにも「まっすぐ」な永田さんを見て、おじさんはハッとしたのでした。

そしてこれも後から気が付いたのですが、10年前、私がソロダンス『カイロー』を作った時と、今の永田さんはちょうど同じ年齢でした。
(念のため言っておくと10年前の私と、今の永田さんは比べ物にならないぐらい技術も精神も永田さんが上!!)

偉そうなことは言えないのですが、若い頃の「まっすぐさ」でしか作れない作品というものが、この世にはあって、永田さんの今回の作品が、ここからどんどん発展していけば嬉しいなという思いもあって、今回の企画を進めています。

少し話はズレますが、東京には若手育成事業やコンペティション、助成金や劇場、そして様々な情報が溢れています。
私が20代前半の頃よりもそれらは多く、手厚くなっているはずです。それは数々の先輩たちが切り開いてくれた財産です。
しかし、今の若いダンサーにとってこの状況が実は逆に「ダンスにまっすぐ」でいることを難しくしていないだろうか?と思うことが最近あります。

もちろんサポートや環境の整備は重要な社会課題ですし、若手育成事業そのものを否定するわけではありません。わたしもその恩恵にあずかってきたうちの一人でもあります。

しかし若いアーティストが何かに出会って、その衝動をそのまま作品にするまでに、必要なものが用意されすぎているのも、逆にやりづらさもあるのではないか?
そんなことを、東京を離れて移住してから特に、よく思うようになりました。

そんなことを思っていた矢先、話を今回の企画に戻すと、そういったあれこれを吹っ飛ばすようなストレートさで作品に向かおうとしている永田さんを見て、私は「かつての自分」あるいは「アーティストの原型」に出会ったような気がして、とても勇気づけられたのと同時に、自分もそうありたいと思いました。そして、まっすぐにダンスと向き合う彼女と、ただただ同じ土俵に立ってみたい。立たせてください!という思いが沸き起こりました。

今回の永田さんのソロは始まったばかりの習作です。
これから長い時間をかけて育っていく新芽です。やがてすぐに大木になると思いますが。。。

そして私のソロは過ぎてしまった「まっすぐな時期」を超えて、まだなんと名付けたらいいのかわからないのですが「第二期」に突入した感のある作品な、気がします。。。
この遅咲きの芽も、隣国、韓国に根を張り、やがて二つの国を繋ぐ「蔦」のように成長してくれればと思っています。

おそらく今後も何らかの形で、彼女のソロダンスは発展していくことと思います。私が韓国から帰ったタイミングで、また何かしら発表の場を設けるかもしれません。が!

今の二人のダンスは今しか見られません!!

新緑の季節、平日の夜ですが、ぜひ二人のダンスを見に、会場に足をお運び頂けたらと思います。
美味しいドリンクと気持ちのよい空間、ダンスを肴にゆっくり話しましょう。

詳細情報はNEWS欄あるいはフェイスブックイベントページ京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンス ダブルビル公演をご覧ください。

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

京極朋彦
京極朋彦ソロダンス『DUAL』初演より 撮影:Jyunpei Iwamoto

2019/01/01

2018年振り返りと2019年の欲望

新年あけましておめでとうございます!
相変わらずご無沙汰ぶりのブログです。相変わらず機械に疎い私ですが、先日奥さんに作ってもらったロゴから、今年のブログをスタートさせてみようと思います。
例のごとく長いですが、どうぞよろしくお願いします!


<はじめに>
 
先日、ある方に忘年会で「京極君の欲望は何か?」と聞かれました。今までの人生の中で、この質問よくされるんです。どなたも決まって私のことを思って、心配げに尋ねられるこの「欲望」という言葉。かねてより自覚はあるのですが、私は「欲望」というものが表に出にくい体質で、「欲」がないわけではないのだけれど、それを表に出すことに躊躇いや、思い切りの良さがない。そのことが「おおらかさ」として良く働く場合もあるんですが、時としてその速度の遅さがアーティストとして致命的な欠陥となることもあります。
 
「人様に欲望をさらけ出すことは行儀のよいものではない」と日本の義務教育は教えます。しかし芸術活動をする上では、「欲望」は必要不可欠です。それを出さなければ表現できないことがあることも確かです。
しかし日本に生きていて、実に厄介なのは、子供のうちから「欲望」を去勢しておきながら、大人になった時に、その「欲望」が抑えきれない人々を変人扱いし、逆にステレオタイプな「欲望」を押し付けてくる、この国の社会と教育です。
発達障がい児の療育に長くかかわっていると、子供たちが如何に親の欲望、世間の欲望に圧をかけられているか?を肌で感じます。「普通じゃないことが如何に普通か」がわからない人や社会が生み出す、謎のプレッシャー。アーティストにも、その圧はかけられています。
 
私もかつて「人様に欲望をさらけ出せない」私はアーティストではないのではないか?と悩んだ時期もありましたが、ダンスを始めて10年、様々な国、様々な価値観の人々と出会う中で私が出した結論は「自分の欲望は、あなたの期待する欲望とは違うし、違っていい」という至極、あたりまえのことでした。この「あたりまえ」が日本ではなかなか許されないのが現実です。
 
話を「京極君の欲望とは?」に戻しますが、最近、自分の「欲望」を積極的に人に話すようにしていることもあって、段々私も自分の「欲望」を表に出せるようになってきました。
そしてそのことによって自分が思ってもいなかった可能性が発見できています。
 
しかし、ひねくれた私はこうも考えます。「あなたの欲望は何ですか?」という質問の裏には、前記した、謎のプレッシャーが隠されている。
つまり、この質問をする側には
「あなたには欲望を持っていてほしい。できれば私の期待するような」
という親心のような感情が含まれています。
 
今まで私がこの質問をされてきたシチュエーションを考えると常に、話し手にはこの文章の前半部分「あなたには欲望を持ってほしい」に暖かな親心が含まれていました。これはとても有り難いことで、そのことに私は救われてきたし、今も自分に問う時、その人達の顔が浮かびます。「良い質問は既に良い応えを持っている」といいますが、まさにその人達の問いは今でも私の応答を引き出してくれます。
 
しかし、問題はこの文章の後半部分。「できれば私の期待するような」という部分が気になっている齢34になった私です。
 
私が今まで日本で経験してきた「若手育成事業」を謳ったものはたいがい、この後半部分のプレッシャーが凄くて辟易することもしばしばありました。「育成」という「愛」ゆえに逆に若者の道を狭めてしまうこの現象は、どの業界でも起きていることと想像します。この「愛」に私は育てられてきて来たのは紛れもない事実ですが。
 
しかし、もうすでに世間的には「若手」扱いされなくなってきた今日この頃、私自身、年齢的にも、誰かの相談を受けたり、指導をするような立場で、逆に「あなたの欲望は何か?」という質問をしなければならない側になることが増えてきて、この「愛」について、本当に気をつけないとな、と思うと同時に「欲望」という言葉をもう一度、自分自身に問うてみようと考えました。
 
そして、この「欲望」という言葉が、実は2018年の私を振り返る上で重要なキーワードの一つであることにも、この文章を書き始めて気が付かされました。
 
かなり前置きが長くなりましたが、今回は新しい年を迎える上でこの「欲望」というキーワードで2018年を振り返ってみようと思います。ここから毎度の長文が始まるわけですが、もしお時間ありましたら、最後までお付き合いいただけると幸いです。
 
2018年を振り返る>
東京から兵庫に移住することから始まった2018年、私はずいぶん自分の欲望を出せたなと思っています。
3月、自分の中では新たな挑戦となったソロダンスの製作、発表を兵庫で行ったこともその一つです。
東京のサイクルとは異なる場での創作、発表は今までもありましたが、拠点を変えた今、自分の創作を新たな場所でリリースできたことは、とても手ごたえのあるものでした。山や川に囲まれた修行のようなリハーサルもとても新鮮でした。
 
また、6月~7月、ダンサーとして参加した梅田宏明さんのSomatic Field Projectが東京だけでなく、兵庫県の城崎国際アートセンターで合宿リハーサルをしたことも、今後、兵庫県でどのように活動していきたいか、東京との距離をどう図っていくかのヒントを沢山もらえる機会でした。合宿リハーサルの有効性もひしひしと感じました。
そして、ダンサーとして作品の中で、与えていただいた役割の中に自分の欲望を深く注ぐことが出来たのも、このプロジェクトの懐の深さおかげだと思っています。
 
そして“懐の深さ”でいったら私の中での2018年ダントツの一位は、東京芸術祭のアジアパフォーミングアーツフォーラム、通称APAFの新ディレクターである多田淳之介さんです。
APAFのプログラムの一つである「国際交流制作ワークショップ」の演出家公募において、ダンサー、振付家である私を選出して頂いたことは、本当に在りがたく、ここ数年で一番、嬉しかったことでした。
 
おかげでこのAPAFでは私がここ数年、海外での製作を行ってきたことの、ある種の集大成的な作品が出来ました。
日本での製作に行き詰まりを感じて海外に飛び出した2015年からの三年間、私は自分の欲望を「欲望」としてではなく「desire」「ambition」又は「hope」として様々な形で表出する方法を得ました。
 
このおかげで私は自分の「欲望」というものを一度、国外に輸出し、逆輸入することで租借したように思っています。
日本で出にくいことは海外に行ったら更に出にくくなる。しかしそんな状況に追い込まれたからこそ、逆に出るものがあることを、私は様々な困難の中から学びました。
 
と、ここまで書いて昨年はいいことだらけだったように思えますが、よくよく思い返せば、危機ともいえる状況も確実に在りました。当たり前ですが、移住一年目に困難は付き物です。
 
出来るだけポジティブに書けば、今年の8月、移住して初めて一か月以上、町内で過ごした時、私は私の「欲望」を見失い、「欲望」自体を「渇望」しているような状況でした。
 
去年の8月の時点で私は兵庫県に仕事はなく(農業のアルバイトはちょくちょくさせていただいていましたが)今年から少しずつ地域おこし協力隊である奥さんの力を借りて、学校や公にワークショップを行うことになったり、加東市の文化財団と繋がり、地域の伝統芸能発表会の演出をさせて頂けることになったりしましたが、去年の夏は東京での仕事もなく、悶々としていました。
 
東京との往復生活、不安定な収入、地域との関わり、将来設計、すべてが停滞しており、今もさほど改善はしていないとはいえ、当時は移住後初めて仕事が途絶え、精神的にかなり傾きました。
その時の自分の心境は最悪で「仕事がなくなったのは移住したせいだ」「移住は本当の自分の欲望ではなかった」など、とても酷いことを考えはじめ、奥さんにも悲しい思いをさせたり、喧嘩したりしてしまいました。窮地に追い込まれた時の性分ってなかなか変わらないもので、これが昨年最大の反省です。
 
しかし、このことのおかげで私は現在の状況における「自分の欲望とは何か?」を考えることができました。
それはこの一年で、明らかに東京にいた時とは変わってきています。
 
例えば、東京で舞台業界人と出くわした時、必ず聞かれるのが「次回作は?」という質問です。
生産と消費のサイクルが早い東京では、アーティストは常に新作、次回作を期待されています。
しかしその期待の主は実は不在で、その正体は東京の呪いのようなものだと私は思っています。
この業界人の「次回作は?」という質問は逆に言うと、そのこと以外、話すことがない、希薄な関係性の上に浮かぶ沈黙を埋めるための常套句のようなものです。
 
その言葉を口にしている本人ですら無自覚で、その出所を知らない言葉。沈黙を恐れ、常に前に進み、発展し、向上しなければならないという呪いのような何かが、確かに東京を覆い尽くしています。
私が高校生だった90年代、既に東京にあったこの呪いは、近年現実社会よりもネット上でさらに色濃くなってきているように感じます。
 
この呪いに対して、若い東京のアーティストがとらなければならない態度は極端に言えば二つ。
自覚的に呪いを超えていくか、呪われて死ぬかです。
 
しかし若いアーティストには、この呪いを自覚しながらも超えていくという作業はハードルが高すぎる。これは何も東京に限ったことではなく、東京志向の地方都市でも同じことが起きています。
 
この呪いがどんなに辛いことか、私にも覚えがあります。東京で活躍する同世代がどんなに輝いて見えるか、お金のためだけに働くことがどんなに辛いか、己の中に醜い嫉妬心を発見した時、どんなに惨めか、私も知っています。
しかし、この呪いは教科書に載っていないどころか、二次会、三次会に付いていっても先輩からは語られません。それはその先輩自体も呪われているか、その呪いと格闘している最中だからです。
 
少し話がずれましたが、この「呪い」が夏の私にも覆いかぶさっていたことは確かで、今でも正直、その呪いから解き放たれてはいませんが、確実に言えることはこの呪いとの付き合い方が変わってきたからこそ「自分の欲望とは何か?」が変わってきたのだ、ということです。
 
実を言えばこの呪いがあったおかげで私は、前記した東京国際芸術祭APAFへの準備を狂ったように進めることができました。資料を集め、映像や音楽をあさり、創作準備を練りに練ったおかげで11月の創作はかなり充実したものになりました。
 
重要なのは「呪われ具合」だなと、私はこの夏学びました。呪いはモチベーションにもなりえるし、決して消えることのないこの呪いとは、この先も上手く付き合っていかなければならないということを学びました。
 
どこに移住しようと本当の意味で人は変わりません。ただその自分を客観視するチャンスが、移住にはあります。
移住しなくても、旅や、普段と違う帰り道、新しい服の中にも、そのチャンスはあります。私の例は極端かもしれませんが「自分の欲望を改めて見直す」ってことは人生で度々必要なことなのだと思います。
 
そんなこんなで気が付けば年末を迎え、今年は初めて年越しを神河町で迎えることになりました。
何もないと思いきや、自分にとって、今必要なことが詰まっているこの町で年越しをすることになったのも、変化の兆しなのかもしれません。(去年は夫婦それぞれの実家に帰ってました)
 
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、最後に今年の私の「欲望」を記してこの文章を終えたいと思います。
 
それは私たち夫婦が移住した神河町に、自分たちの活動拠点を持つということです。まだどんな施設になるかはわかりませんが、スタジオとしての機能とレジデンスとしての機能を兼ね備えた小さなアートセンターのようなものを構想しています。
 
自分自身がこの一年で経験したことを踏まえて、改めてこのような拠点を持ちたいと思うようになりました。もともとこの構想は、移住前からありましたが、一年かけてその「構想」を「欲望」にしたといった感じでしょうか。逆に言ったらこれを言えるようになるまでに、一年もかかったということです。
 
これだけ情報が溢れかえる世界に生きていたら、私の世代ですら難しいのに、今の若い世代が「欲望」をうまく持てなかったり、表出できなかったり、時間が相当かかるのは当たり前で、ある意味で仕方がないことです。
昔とはわけが違う、この若い世代の苦しみを、世の中がもっと理解した方がいいし、その苦しみを、まずは本人が自覚することができるチャンスが与えられて然るべきです。幸運にも私はそのチャンスを何度か先輩方に頂いたからこそ、今があると思っています。
 
そして移住してきた神河町にも「自分の欲望を改めて見直す」チャンスをたくさん貰いました。
特に有機農業教室で完全無農薬の野菜を一年育てたことは大きく影響していると思います。(この話をしだすと長いのでどこか別の機会に)
 
そして何より、浮き沈みの激しい夫を、そばで見守ってくれていた奥さんにも何度もこのチャンスを与えてもらい、感謝しています。
 
小さな町の小さなアートセンターが、若者世代のみならず、子供からお年寄りまで、様々な世代にチャンスを与えられる場所になったら、おそらく自分にとっても、町にとってもいいんじゃないかと思っています。これは「誰かの欲望」でもなければ「誰かの期待に沿う」ことでもない、今の「自分の欲望」です。
 
もちろんその他にも小さな欲望は沢山ありますし、呪いに便乗した欲望も山ほどありますが、2019年、私はそれらの「自分の欲望」を静かに見守っていこうと思っています。
 
今まで私を見守り「京極君の欲望とは?」と尋ねてくれた方々への恩返しは「私自身が私の欲望を見守ることができること」にあるような気がしています。
 
とはいえ、今年も各方面、お願い事や、ご迷惑も含め沢山お世話になると思いますが、どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
 
                      2019年 元旦 京極朋彦