2011/06/20

京都に帰ってきました。

はい。京都に帰ってまいりました。

東京では有意義な打ち合わせが出来、夏のイベントの詳細も決定しました!詳しくはNEWS欄に掲載しました。

今回の企画は夏のサミットやTPAMの時とは違い、小さいけれど、自分の手で一から実現までこぎつけた企画です。

一人で活動していると、特にソロダンスとかをやっていると、どうしてもショーケースに出たり、イベントに参加するという形でやっていくことが多くなるのですが、今回企画段階から自分の手で出来たことは、とても嬉しいです。もちろん多くの方の手助けあっての実現ですが。

そして今回のことは自分の活動のちょっとした転機になるかもしれません。というのは今まで、「アーティストたるもの、刺激的な新作を生み出してなんぼ」みたいな気負いが、どこかにあった気がして、妙な焦りとか、お金の問題とか、頑なな部分が自分の中にあったのですが、それが少しずつ変わってきたように思うからです。

特に震災以後、できることをやればいいと。
焦らずにその、できることの範囲を広げてもいいし、深めてもいいし、とにかく決めて、やればいい。
というスタンスになってきました。
チャリティーイベントだろうがなんだろうが、興味があるなら、やればいいと。

だから前回のlove songsも、音とかあんまり使ったこと無かったし、中原中也よろしく、恋愛詩なんて、、とか思ってましたが、やると決めて、やったら楽しかったっていう。

少しずつではありますが、呼吸が出来るようになってきたような、そんな気分です。それはとても小さな規模で、至極私的な出来事ではあるのですが。

それらの背景には、その呼吸を後押ししてくれるような出来事が多くありました。

一つは去年あたりからなぜか、日本人以外の友人が増えまして、彼、彼女らと話したり、一緒に仕事をするようになって、物事を相対的にとらえる筋肉が鍛えられたというか、単純に新鮮な感覚や意見を吸収することができるようになったということ。

今回の帰省でも、フランス人の友人と原発の話をしてみたり、アメリカ人の友人と日本酒を酌み交わしてみたりする機会があって、そんなことを感じました。

もう一つは東京の元気なアーティストやその周辺に集まる人々にたくさん出会えたということです。

なんだかんだ仕事や打ち合わせで、震災以後、今回含めて5回東京に行っていることになるのですが、人や街の感じが、震災直後の無気力な感じと、今では少しずつ変わってきた気もします。

そして今回、あるイベントで「今まで誰も経験したことのない状況下で、誰もがどうしていいかわからない。そんな中で、何をするかってことを決めて、実行することって本当に難しいことだ」ってことを、だいの大人の口から聞けたことも、よかったし、東京の人々が原発の不安を語りあい、健全にネタにしてふざけたりできる場が出来てきたってことも、一時的ではあれ、いき詰まりを解消するって意味でいいなと思ってみたり。

とにかく収穫の多い帰省でした。そして明日からは私はバイトザンマイの日々が続くのです。それはそれで、やるしかないよねぇ~


2011/06/17

東京週末日記

さて、京都でのlove songs(in kyoto)を終え、東京にやってきました。


今回のイベントは本当に楽しかったです!普段作品で音を使うことが無いので、久々に音楽で踊る楽しさや、人と踊ることの喜びを感じることが出来ました。

そして何より半年ぶりとなる京都公演に、たくさんの方が遊びに来てくれたことが本当に嬉しかったです。 やっぱり僕のホームは京都なんだなと、つくづく思います。

出演してくれた和田聖来さんも、僕のムチャ振りに耐えながら、本当に頑張ってくれました。
なので今回とても彼女の評判がよかったのは、振付家冥利につきます。

パフォーマンスの動画をyoutubeにアップしました。残念ながら見に来られなかった方はぜひのぞいてみてください。
パート1

パート2

さて今回東京に来たのは、今年の8月に東京で踊る企画の打ち合わせのためです。
詳細はNEWS欄にアップしました。

今回のイベントは東日本震災のためのチャリティーイベントとして、震災以後、会場のオーナーさんと、その周りに集まるアーティストさんたちと共同で、少しづつ準備してきたものです。

なので今回の収益の一部は赤十字を通して、東日本震災の復興支援に寄付されます。

震災以降、自分には一体何が出来るのか?という事をずっと考えながら、この企画を進めてきました。このイベントをしたからといって、今まさに苦しんでいる人たちを直接、救うことは出来ませんが、東京で不安な気持ちを抱えながら生活している人や、被災地のために何かしたいと考えている人たちにアクセスできたらと思います。

会場では復興支援の募金もする予定ですので、ぜひ遊びに来てください!
といいながら、展示の会期は決っているものの、タイムテーブルはまだ決っていません。。。

詳細決り次第ブログとツイッター(kyo59)で配信していきますので、ぜひチェックしてみてください。

2011/06/11

love songs in Kyoto

今日は街に出る用事があったので、ふらっとアバンギルドに寄ったら、ライブが始まる前だったので会場を下見することが出来ました。
「今度出演させていただくものですが、ちょっと中、下見してもいいですか?」
「あ、どうぞ~」
このユルい感じがいいですね。京都って感じがします。京都っていうか人ですね。いい場所にはいい人が集まるもんだ・・・と思いながら中に入ると、やっぱり狭いな!(笑)

何かいつも客として来るときはあまり考えなかったけれど、いざ踊るとなるとこんなに狭かったっけ!?ってなります。
ともあれ、ばっちりイメトレしてきたので大丈夫!本番楽しみです。

そうそう、今日で震災から三カ月経ちましたね。

京都は夏めいた爽やかな天気で、鴨川では子供たちが遊び、老夫婦は手をとり散歩しています。当たり前のように時間が流れています。平和です。

鴨川沿いを自転車で走っていたら、若い夫婦と赤ちゃんがいて、そのあまりにも当たり前の平和、当たり前の幸せを目にした時、涙が出そうになりました。

この「当たり前」を瞬時に奪われた人たちがいて、この「当たり前」は近い将来、日本人全てが奪われるであろう「当たり前」なのかもしれないと思った時、悲しくなりました。
そして、目の前の赤ちゃんを見て、これから育っていく命に対して自分はどう向き合えばいいのかわからなくなってしまいました。

目の前の現実に対して一体踊りに何が出来るって言うのか?については散々考えてきましたが、未だにハッキリとはわかりません。さらに今回の震災で、この問いは、根本的な問いの立て方から覆されたような気がして、しばらくは無気力状態、あるいはそれを隠すために、わざと忙しくしてみたり、やたらと人と会ったり、落ち着きませんでした。

そして三か月。震災があった日も今も、僕はダンスを踊っています。そして答えは何も出ていません。そんな中、来週はlove songで踊ります。

僕はもともと東京の人間なので、今も僕の大切な人、愛する人が東京に沢山います。東京は今、放射線の問題に揺れていて、その話を聞くたびに胸が詰まります。

それでも僕は京都で踊っている。

僕にとってダンスは人と繋がっていくための手段なので、これを止めてしまったらあまり人と合わなくなってしまうような気がして、踊りに何が出来るのか?という以前に生活の中に踊りが必要なのです。

それ以上でも以下でもない。
だから変わらず踊るわけですが、今や繋がっていく肝心の人が、大切な愛する人々が、危険にさらされているならば、踊りなど止めて、その人のそばにいるか、一緒にどこかに逃げた方がいいのかもしれません。

どちらにせよ、この現実を前に、やはり今までと同じように踊ることはできないのかもしれません。

だからせめて来週は、出来るだけの愛で、広い意味での愛について踊ることが出来たらと思うばかりです。

2011/06/06

「見える」「見えない」の話

夕日が山の向こうに消えていき、月が光々と輝きだすまでの少しの間、春と夏の間、山と川の間から吹く風が心地よい季節になりました。
写真は北白川の、僕の好きな本屋、ガケ書房の向かいを写したものです。夕方から夜になる直前の空の青と、月の白。ラーメン屋の黄色と信号の赤。ひそかに好きな風景です。もうすぐ始まる夏にドキドキすると同時に、過ぎ去っていく春に少し淋しさを感じます。
そして、こんないい季節に、また新しい作品に取り組めることの楽しさったらないのです!

いよいよ来週に迫った京都Urbanguildでのイベントに向けて現在、稽古中です!

今日は一緒に踊るダンサーさんと、衣裳を探しに出かけました。相手の衣裳はいいのが見つかったのですが、問題は僕です。。。毎回衣裳には苦労します。。。

ともあれ稽古は順調。ダンサーさんに助けられながら、へなちょこ振付家は奮闘しております!
ぜひ来週14日(火)は京都Urbanguildへ遊びに来て下さい~


そして、突然ですが、稽古をしていてふと思ったことをひとつ。

我々ダンサーと呼ばれる職種に就くものはどこかで「身体一つで、見えざるものを体現したい」という欲望を持っていて、それが「見てはいけないモノ」であればあるほど、よりその欲求は強まるのではないではないか?ということ。

動くことで、あるいは動かないことで観客の知覚に働きかけ、イメージを紡いでゆく。生みだしていく。

特にコンテンポラリーダンスと言われるものは、何か具体的なモチーフを、ジェスチャーのように伝えるのではなく、その抽象性をもって観客との間に「見えざるもの」を立ち上げていく行為なのではないかと思います。

果たして「見えざるもの」とは何か?

それは普段、見落としている感覚であったり、努めて見ないようにしている事柄だったり、そもそも定義できない、理解しえないモノだったりして、ある人にとってはそれを見ることが苦痛だったり、恐怖だったりするもの。またある人にとっては夢だったり、希望だったりする事柄。

そうなると踊るということは、この「見えざるも」のを扱う職業である気がします。
そして、その扱い方は「見えない」がゆえに、かなり慎重にならなければなりません。

その一方で、「見えざるもの」を体というメディアを通して体現して見せるのが、ダンスの面白さであり、「見てはいけないもの」を召喚する特権なのかもしれません。

僕の初めてのダンスパフォーマンスは渋谷のスクランブル交差点で、普段着のまま即興で踊るというものでした。はじめは周りの人は異常者がいると思って、見て見ぬふりをしていましたが、次第に人だかりができ、「見る、見られる」の関係が成り立ち、挙句には交番からお巡りさんが来るという事態になりました。
それは「見てはいけない」異なるものが現われた故の結果だったのでしょう。スクランブル交差点で踊ってはいけませんという法律は無いにしろ「よくわからないこと」は起きてはいけなかったのです。

ちょうどそのころ日本は「テロ」という言葉にかなり敏感で、わからないモノは排除する、理解しえないモノは敵みなすという欧米から吹き荒れる空気にかなり影響されていましたから、わけのわからない踊りを踊っている僕は交番に任意同行され、荷物検査をされました。

まあこれは、完全に若気の至りの迷惑行為に他ならなかったわけですが、そんな渋谷は今「見えざるテロの恐怖」ではなく「見えざる放射線の恐怖」にさらされ、自粛の名のもとに、夜も光々と、昼のように明るかったセンター街はとても暗く、今まで表に「見えて」来なかった原発反対ののろしは、ハッキリと立ち上っています。

「見えなかったものが見えてきた時」それは興奮でもあり、恐怖でもあります。
「見えざるもの」は「見えない」がゆえ、怖いものであり、いかがわしきものであり、社会というルールを乱すものなのかもしれません。
だからこそこの、社会の名のもとに「見えてしまっては不都合なもの」は隠され、それらを「見えるもの」としようとするものは、いつの時代も排除されてきました。

ダンスとこれらのことを関係づけて考えるのはいささかオーバーかもしれませんが、確実に言えることは、やはりこの「見えざるもの」には強烈な魅力があり、私たちはいつまでもこの「見えざるもの」を「見たい」という欲求に揺り動かされているということ。

ダンスの欲求はこういったところに根ざしていると、僕は思います。

作品を作るときに、やはりこういったことは無視できません。どんなにお気楽な、おバカな作品も、世に出るからには必ず、程度の差はあれ、ココを通過していきます。

何を「見せて」何を「見せない」か?何が「見えて」何が「見えない」のか?そんなことを考えながら、訥々と、作品を作っています。

そういえば京都の北白川では、ホタルが飛び始めました。薄暗い川辺に、ホタルの光が「見えたり」「見えなかったり」して、夏の到来を告げているようです。

2011/06/02

6月、稽古の始まり

さて6月になってしまいました!今年がもう半分終わっちまうよ!

そして明日からとうとう京都urbanguild love songs( in kyoto!!) のリハーサルが始まります!

「ダンサー達がそれぞれのラブソングで踊る!」というこの企画。ラインナップも本当に豪華です。

作品はと言いますと、本番まで二週間しかないですが・・・もう頭の中では完成してるので大丈夫!

今回は京都造形の後輩に当たる女性ダンサー、和田聖来さんとのデュオ作品で参戦することになりました。
今回初めてご一緒しますが、以前彼女が踊っているのを見てとても印象的だったので、今回、急きょ声をかけさせて頂きました。本当に楽しみです。と、同時に緊張します。初めての共演!初めてのurbanguild!テンションは不安定です笑

とにもかくにも、いいものを作る気満々なので、是非6月14日(火)は、京都urbanguild(へ遊びに来て下さい!