2019/05/29

来月に迫った梅田宏明+Somatic Field Project公演とAPAF2019出演者募集について

先日、行われた京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンスダブルビル公演にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。自分の中では近年稀に見る豊かな時間でした。
今もふとした瞬間にカフェ ムリウイの屋上でお客さんと過ごした一時を思い出して嬉しくなります。

 

今回の公演は、枚数限定の事前決済制にしたということもあり、ひと月前にチケットがほぼ完売しただけでなく、お客さんが前々から楽しみにして下さっていた感じが、客席に溢れていて、少人数でしたが「待つ」事で醸造された豊かな空気が流れている、とても幸せな公演でした。
改めて「量より質」が自分には合っているなと感じたので、次回また開催する際にはより、この豊かさを味わってもらえるよう頑張りたいと思います。おそらく次回も量は少ないですが、、、。
 
そして、ご来場していただいた方々にはお知らせしましたが、今回ご一緒させていただいた永田桃子さんが、現在、クラウドファンディングをしています。
 
ベルギーを拠点とする世界屈指のダンスカンパニー「ピーピング・トム」の全世界オーディションの一時選考を通過した彼女は6月ベルギーに二次選考を受けに行きます。これ、全世界から2300もの応募があるような大規模なもので、そこから一次を勝ち抜いたって、本当にスゴイことです!!
 
私もかつてクラウドファンディングを利用して、メキシコに公演をしに行きましたが、今は当時に比べて「クラウドファンディング」という言葉がかなりメジャーになってきたこともあり、ファンディングするダンサーも増えてきていますが、これ、やる方も結構勇気が要るものです。
 
そして何より、ダンサー、振付家にとって、これほど普段から気にかけてくださる方々のありがたさを感じる体験はないので、応援した側は一生感謝されます(私はしています!)と、いうことで、是非彼女の世界デビューを応援してあげてください!!
 
ファンディング詳細はこちらです
 
 
「普段から気にかけてくださる方々のありがたさ」という話が出ましたが、実は最近、こんな私のブログを楽しみにしてくださっている稀有な方が存在するということを知り、びっくりしています。
 
このブログはどちらかというと自分の整理のために書いている節が強いのですが、人が読んでいるという緊張感で更に整理される思考があるので、引き続きマイペースに書き溜めていこうと思っています。
 
とはいえ、ちょっと意識はしますよね、、、「読んでるよ!」といわれるとね、、、。
 
だからというわけではないのですが、いつも徒然なるままに、書き溜めているこのブログには珍しく、今回はテーマを決めて書いてみようと思います。
 
 
今回のテーマは「オーディション」「海外」「思考の拡張」の三本立て。
 
 
三つめの「思考の拡張」が急に飛躍した話のように思えますが、毎度の長文に最後までお付き合い頂けた方には、話が繋がってわかってもらえるのではと思います、、、。
是非お時間のある時に、最後までお付き合いいただければと思います。
 
 
 
ということで、まず最初のトピック「オーディション」について。
なぜ今、「オーディション」について書くかというと、ちょうど永田さんがオーディションに挑戦しているということもありますが、実は今、私も、日本全国から応募者を募るオーディションに関わっているからです。
 
今年の東京芸術祭、アジア舞台芸術人材育成部門 APAF2019(アジアパフォーミングアーツファーム)APAF Exhibitionで、フィリピンの演出家Issa Manalo Lopezと私の共同演出作品に参加して頂ける出演者とスタッフを現在、募集しています。(同プログラムの別企画APAF Lab.参加者も同時募集中)
 
昨年私とフィリピンの演出家Issa、インドネシアの演出家Dendiの三人はAPAF国際共同制作ワークショップという企画で一週間、静岡県のSPAC静岡県舞台芸術公園に合宿をし、東南アジアから集まった総勢13人のダンサーや俳優と共に20分ほどの作品をそれぞれ制作し、東京芸術劇場で発表しました。
 
今年はその中から選出されたメンバーと共にIssaと私の共同演出でフルレングス作品(長編作品)を制作し、再び東京芸術劇場で発表します。
 
アジア各国から選ばれた役者、ダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値は十分あると思います。
ぜひ応募してみてください。締切は612日!!
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして下さる方をお待ちしています!
 
詳細はこちら
 
 
そして、ここからが裏話ですがダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値はあると思います。
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして
実は私、20代で一回APAFワークショップ参加者のオーディションに落ちています。当時のAPAFは今とディレクターも方針も違いますし、オーディションで何をやったか、今となっては思い出せないぐらいなのですが、、、。
 
そんな私が去年初の、演出家の公募に受かり、今年は参加者を選ぶ側に回っているというのは、とても不思議なことです。まさか自分が落ちたオーディションをやる側になるとは普通思いません。
 
つまり何が言いたいかというとオーディションというものは半分は「偶然と時の運」で出来ているということです。
受ける人の持っている実力や運だけでなく、誰もコントロールできない偶然と、時の流れ、タイミングみたいなものがあって、その流れに偶々引っかかったり、かからなかったりするということです。
 
実際、去年の演出家公募の際、背中を押してくれたのは奥さんでした。もし私が結婚していなかったら、応募すらしていなかったかもしれません。
 
もちろん何かに選出されるには、それ相応の実績や経験が必要ですが、その時、その作品に何が必要とされているかどうか?や集まった人たちの男女比、年齢、バランスによって結果は大きく左右されることがほとんどなので、決してその人の優劣を決めるものでもなければ、ステータスを図るものではないということです。
 
分かっちゃいるけど落ちたら落ち込むのがオーディションなんですけどね、、、。
 
僕もかつて様々なオーディションに落ちてきましたが、幸い自分も作る側の人間だったので、この「時の運セオリー」を理解はできました。
 
とはいえ「時の運」だけに任せてもいられない部分というのも実はあって、今回のオーディションには年齢制限(原則35歳以下)や英語力など、誰もが通れる道ではないことは確かです。
 
よくこういった海外との共同事業の募集要項には「英語ができなくても気持ちがあれば大丈夫!」と書いてあります。それはもちろん一理あります。
 
ただ僕は正直、この文章は英語ができるやつが書いている文章だと思っていて、僕の経験上、英語ができなければその分、クリエーションでの困難は増えますし、コミュニケーションの質は落ちます。それに伴って孤独感や劣等感が生まれ、本来のパフォーマンスが落ちることもあります。
 
だから僕は個人的には今回のオーディションでは事前に「気持ちだけでは無理です」と付け加えたい(オフィシャルには「英語を話す意思のある方」であれば応募OK
 
それは何も「あきらめてください」という意味ではなく、それ相応の準備が必要だということです。今は便利な翻訳アプリが山ほどあるし、結局、コミュニケーションの問題は、下手くそでも言ったもん勝ちみたいなところがあって、良くも悪くも、それが言語の持つ力だとも思うので、自分の言いたいことに、どれだけ気持ちと手間と技術を詰め込めるかが勝負です。どれが欠けてもダメです。
 
そして一番難しく、一番重要なのが「言葉に頼りすぎないこと」。
 
それって結局のところ表現にも通じることで、技術のない気持ちだけの演技は伝わらないし、高い技術でも気持ちの入っていない踊りは面白くない。そして、手間暇かけた時間は舞台上で決して無駄にならないが、経験だけに頼りすぎてはいけないということと同じです。
 
で、ここまで偉そうなことを言っておきながら、実は僕は英語が得意ではありません!
 
中学高校では結構勉強した口ではありますが、後は2012年から毎年一回ぐらい海外に出て実践する中で何とか「できる風」を装っていますが、とにかくグーグル先生と二人三脚で何とかやってきました。
 
海外では観光もせず、ひたすらWi-Fiのあるカフェで翻訳作業したりして、正直むちゃくちゃ大変です。
 
それでも私がこの数年間「海外」ということに拘って創作を続けてきたかというと、そこにダンスの本質を見つける鍵があるような気がしたからでした。
 
 
そしてこの流れからそのまま二つ目のトピック、「海外」の話に移行していきますが、私が「鍵」と呼んでいるものは日本より海外の方が文化や設備が優れているとか、そういう話では、もちろんありませんし(ダンス界において日本が海外に比べて遅れていることは多々ありますが)私自身、世界中隈なく見て回ったわけではないので、偉そうなことは言えないのですが、その「鍵」とは主に、自分の中の話。
 
どういうことかというと、「海外」には言語の違いだけでなく文化や宗教、歴史認識の違いなど様々な「思いもよらないこと」が溢れています。そこを経由することで自分の「思いもよらない思考」にたどり着ける可能性があるのです。
 
私の場合、英語を話していると、日本語を話している時よりも明確に自分の中に「言葉」への疑いがあることが見えてきます。
これだけグーグル先生にお世話になりながら翻訳して「言語化」しているにもかかわらず、やればやるほど言語を疑うようになる。これは一見、矛盾しているように思われるかもしれません。
 
頼みの綱である「言語」にしがみつきながら、どんどんその綱のもろさを手の感覚で感じ始めるのです。どんなに「言葉、言語」を尽くしても埋まらないものがある。ただ、それを埋めてからしか始まらないことがある。
 
私は海外での制作を重ねるごとに、私にとって言語は「言語以外の空白を炙り出すためのツール」なのだということがわかってきました。
 
その空白に何かしらの真実があると思っているから、言語を埋めていかないと浮かび上がってこないその空白を求めて、せっせと言語化をしているのだと思うのです。
 
そして、私が良く作品で使う「デタラメ語」(参考動画)も言語だけでは埋まらない更に細かい隙間を埋めるための粒子の細かいパテのようなものかもしれません。
ともあれ言語化、あるいはデタラメ語化で埋めていった先にどうしても埋まらないモノの一つが、僕にとってのダンスなのかもしれません。
 
海外での制作が自分にあっているのは、英語が得意ではない分、逆に物事をストレートにしか言えなくなるということと、更に言語化に労力がかなりかかる分、言葉がより「ツール化」して、何が言葉で何が真実かがわかるというか、「真実」とか言った時点で胡散臭いですけど、とにかくすごく言語、言葉と「その隙間」に、普段より敏感になることができるからなんだと思います。
 
日本語思考では意外と見落としてしまう、というか日本語化できすぎて埋まっちゃう、言語化できない隙間をすごく意識することに、結果的に、なるんです。
 
「ダンスに言葉はいらない」とよく言われますが、僕はこれに否定的で、ダンスだからこそ言葉は尽くされるべきだし、その言語化できない隙間にしか「ダンスでやる意味があること」はないのではないかと思っています。「言葉にできない」がダンサーの言い訳になるまでには、本当に言葉を尽くして詰める必要がある。
 
 
話が結構なところまで進みましたが、これが今回の三つめのトピック「思考の拡張」につながってきます。
 
日本語だけで考えていては浮かび上がらない隙間を意識して作品を作ることは、作品をすべてコントロールしようとする欲求からの自由を生み出します。
つまりは自分の思い通りになりすぎない部分に自分でも「思いもよらない」可能性が眠っている。
得てして国際共同制作というものは思い通りになんかならないものです。だから面白いし、可能性がある。
 
なぜ自分がここ数年意識的に海外で仕事をするようになったかの答えが、今になってぼんやりと見えてきました。当時はただの感覚でしかなかったんですが。
 
そして「思い通りにならない」のが面白いなんて思えるようになったのはハッキリ言ってここ最近の話です。
今まで様々な国で、様々な困難と、それを凌駕する素晴らしい体験をしてきたからこそ、こんなことが言えるんだと思います。それまでは自分の思い通りにならないのは本当に辛い事でした。
 
そんな私は去年のAPAFの発表後のラップアップで、自身の創作した作品について「もっと手放せる部分があって、それを手放していたら、より面白くなっていたかもしれない。」と語っていました。今でもそう思います。
「思い通りになる」ことは快感ですが、その先は「手放すこと」が新たなフェーズではないかと思います。
 
そして今年、そのチャンスが訪れました。今年のAPAFは演出家がツートップの国際共同制作です。昨年に増して、混迷を極める展開が予想されます。(既に連日Issaとのメールのやり取りは始まっています。)しかしこの状況が更にハードな「言語化」を必要とし、更なる「手放し」を生み、私の「思考の拡張」を促進してくれることと思います。
 
そんな「手放す」フェーズに入ってきた最近ですが、実は同じようなことがダンサーとしても起きてきていて、「思考の拡張」に関連する、ダンサーとしての大きな発見があったので、そのことも記しておこうと思います。
 
それはここ数年関わらせていただいている梅田宏明+Somatic Field Projectでのこと。
このプロジェクトは以前このブログでも紹介しましたが、そもそもこの梅田宏明+Somatic Field Projectのオーディションを受けたことで私は永田桃子さんとも出会っていますし、梅田さんは一年のほとんどを海外で過ごされている作家さんで、まさにここ数年の私の思考の拡張に多大なる影響を与えているプロジェクトです。
 
その中でよく梅田さんが仰ることがあります。詳細は過去の私の記事を見て頂けると、よりわかりやすいと思いますので省きますが、私の言葉で言うと
 
「知らない動きはできない」ということです。
 
は?
 
ってなりますよね。至極当たり前のこと過ぎて。
 
もう少し説明すると、例えば自分が知覚できない速さの動きは、実は能力的にはできるはずの動きでも、脳みそがブレーキをかけてできなくしてしまう事がある。ということです。
 
「言語化できないものは存在しない」という哲学のロジックを思い浮かべるとわかりやすいのですが(例えば「いぬ」という言葉がなければ「目の前のもふもふした毛の塊のような生き物」は存在しなくなってしまうというようなロジック)「知らない動きはできない」は言い換えれば「知覚できない動きをコントロールすることはできない」逆に「知覚できる動きは、コントロールできる」ということです。
 
どんなに難しそうな動きや速い動きでも、細分化して一つ一つを知覚して、頭で捉えることができれば、できるようになる。逆にそれができないと一生できないということで、それってすごく物事をぎりぎりまで言語化していってその隙間を埋めていく作業と似ているんです。
 
そしてその言語化が進むと、その先の言語化できない部分も味方につけることができる。
 
ちょうど私が英語を使って海外のダンサーと作品を作るときのように、言語化した先の「隙間」が語り始める。
 
体の中にアクティブ(能動的)な部分とパッシブ(受動的)な部分が出来て、その両方をコントロールできるようになる。
意識を高めていくと、無意識の領域が動きを助けてくれる。
 
つまりは動きが本当の意味で、できるようになるということ。
 
これは梅田さんがワークを通してずっと教えてくれていることなのですが、実践はなかなか難しい。しかし私は最近、言葉や言語化、思考の拡張といったキーワードから何となくその輪郭を掴み始めたように思っています。
 
とても話がマニアックになって来てしまいましたが、僕の中で海外で制作をすることと、この体の可能性を探ることは同じことで、どちらも未知なるものに具体的なアプローチをすることで、「思考を拡張」していくことに他ならないのです。
 
梅田宏明+Somatic Field Projectにかかわって三年。ひたすらに体を動かす中で、さらに、どうして自分は今まで言葉、言語というものに拘ってきたのかがわかるようになってきました。
 
それは言語の先に「何かがある」(としか言いようのない)ことを潜在的に知っていた、あるいは子供たちが元々知っていて、大人が忘れてしまった「言葉の不思議」みたいな感覚を未だに引きずっているからなのかもしれません。(ピーターパン症候群的な、、34歳、かなりイタイですね)
 
昔っからノートを書きまくる癖も、ここから来てるのかもしれません。
以前恩師に「書き溜めたノートを河原で燃やして来い!」といわれたことがありますが、正に私はノートを燃やすという行為のために書いていたのかもしれません。(実際は燃やせなかったので、古紙回収に出しましたけどね 笑)
 
ということで、私の思考は拡張しているのか退行しているだけなのかよくわからなくなってきたところで、ここからは潔く宣伝です。
 
そんな私が関わって三年目になる梅田宏明+Somatic Field Projectの新作公演が来月、池袋、あうるスポットであります。梅田さん自身のソロダンス、私たちの出演するグループ作品に加え、梅田さんのメソッドをヒップホップダンサーに移植した意欲作とインスタレーション作品の4本立てという豪華ラインナップです。
 
<詳細>

 
 
APAFも梅田さんも、開催は池袋の西口、東口です。兵庫県に移住してこんなに池袋に行くことになるとは思ってもみませんでしたが、兵庫と東京の往復で拡張されている思考や、今年行く「海外」として、韓国のアーティストインレジデンスの話があるのですが、それらに関しては、また別の機会に書きたいと思います。
 
また長くなりすぎました。
最後までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました。
ぜひ、様々な場所で皆さんにお会いできるのを楽しみにさせて頂きます。
 
京極朋彦