2017/12/08

結婚記念日と移住について

神河町の山とススキ 
 この度、私、京極朋彦は妻、伊東歌織と共に兵庫県神崎郡にある神河町という町に移住しました。
今後は兵庫を拠点に、実家のある東京、10年住んだ京都を拠点に国内外含め様々な場所で活動を続けていきます。
本日が結婚一年記念日ということもあり、これまでの経緯をまとめて書いてみようと思います。


まず初めに言っておかなければならないことは、今回私たちが神河町に移住するに至るまでには妻、伊東歌織の大きな決断があったということです。
彼女が移住を決断しなければ、もしかしたら私はこの神河町を生涯訪れることはなかったかもしれません。
遡ること約二年前、伊東歌織は、この神河町の「シニア向けのご当地健康体操」を振付することになりました。そこには彼女が10代のころからお世話になっている兵庫県出身の先生の存在がありました。先生は現在東京在住で主に介護福祉や高齢者の健康作りのための体操を教えてらっしゃり、今でも頻繁に神河町を訪れて、体操を教えてらっしゃいます。

そんな先生から振付の依頼をされた伊東歌織が作った体操が「かみかわハート体操」でした。(名前は神河町の地形が綺麗なハート形をしている事に由来し、振付には農家の多い神河町の町民の日常生活での動作を取り入れると同時に、地域の特産である柚子や、美しい山並みや、ススキの広がる平原などがモチーフに振付されている。作曲は私達の結婚式でも演奏してくれた音楽家の佐藤公哉さん、演奏に権頭真由さんが参加。現在はPVも撮影し、地元のケーブルテレビで放映中。)

神河町は兵庫県のちょうどド真ん中辺りに位置する美しい水と空気、自然にあふれた町で、2005年に神崎郡、神崎町と大河内町という町が合併して出来た人口1万1千人程の町です。
それでもまだ兵庫県の市町の中では最も人口が少なく、住民の過疎化、高齢化が進んでいますが、町民の方々は本当に元気でやさしい方が多い町です。

私もアシスタントとしてこの「かみかわハート体操」に関わらせていただき、何度か町を訪れましたが、とにかく東京とは空気が違う。見渡す限りの山、川。夜は満天の星というとても気持ちのいいところという印象を持ちました。しかしまだ私はこの頃、まさか自分が、この町に移住することになるとは思ってもいませんでした。

ちょうどそのころ、伊東歌織は横浜ダンスコレクションという国際的なダンスのコンペティションに振付家としてノミネートされ本選に出演することになりました。
私はその作品にダンサーとして出演することとなり、本選に向けたリハーサルを開始しようとしていた頃、彼女から意外な提案を受けました。
「東京都内で舞台美術(畳一畳分ほどあるテーブル)を持ち運びながら稽古場を転々とすることが物理的にも経費的にもできないから、合宿しよう!」

横浜ダンスコレクションを含め、多くのダンスコンペティションでは、作品はノミネートされたものの、そのリハーサル場所、経費、ギャランティー等は支給されず、賞を受賞した場合のみ賞金が出るシステムをとる場合が多く、国を跨ぐ応募の場合、振付家は経済的理由で参加を見送ることもよくあります。私も以前、メキシコのダンスフェスティバルに招聘された時の渡航費はクラウドファウンディングで集めました。

私もその時、合宿はいいアイディアだと思いました。彼女が合宿先として選んだのは、島根県出雲市。かつて彼女と同じダンスカンパニーに所属し、現在そこに移住した女性ダンサーの住む町でした。聞けば彼女は初め「地域おこし協力隊」という国の制度に応募し、単独島根に移り住み活動を続け3年の任期を終える頃、現地の男性と結婚、定住しているということでした。

地域おこし協力隊とは人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度です。
2009年に総務省によって制度化され、2015年度には全国673の自治体で2,625人の隊員が活躍している、いわゆるIターンを狙って国が予算を出している事業です。
神河町も三年前からこの制度により、県内外から移住者を募って来ました。

「地域おこし協力隊」という言葉は耳にしたことがありましたが、私は実際にそれをされている方と会うのは初めてでした。10日間ほど冬の日本海と豊かな自然に触れながらリハーサルをする中で確実に体の感覚が変わっていくのを感じると同時に、実際に地域おこし協力隊として活動していた方の話を聞く中で、少しづつ私の頭の中に「東京」という場所を客観的にみる視点が生まれてきました。
横浜ダンスコレクションでは奨励賞という大変ありがたい賞を頂きました。が、敢えて書かせていただくと、奨励賞には賞金は出ません。合宿にかかった費用、スタッフの人件費、そしてダンサーとしての私の報酬。それらすべてを奥さんは自腹で出しました。それが現在の日本のダンサー、振付家の現実です。

その後、奥さんは仕事で何度か神河町を訪れるようになりました。彼女の頭の中にはそのころから既に「移住」の二文字があり、実際に私に相談もありました。
神河町にはすでに地域おこし協力隊の先輩方がおり、農業をされている方もいれば、観光課で働いている方。ゲストハウスを運営されている方などがおり、それぞれ異なるミッションもって活動されています。私が二回目に神河町を訪れたとき、この協力隊の一期で隊員として活動し、現在ゲストハウスを運営されている方のところに実際に宿泊させてもらいました。
奥さんがもし神河町で地域おこし協力隊として活動する場合、役所の健康福祉課に所属し「かみかわハート体操」を広めること、地域の健康促進のための体操やレクレーションのサポートなどが主なミッションであり、さらには町外、県外との懸け橋となり地域おこしに協力することになるということでした。

ところが私は奥さんに移住の相談を受けたとき、なぜかその話を遠い先のことのように考えていました。正直なところ今の状態で東京を離れることに不安があったからです。
奥さんはすでに神河町との関係ができている中で、スムーズに移住することができるかもしれないが、この町にとって私は完全なるよそ者です。もし私もこの町で地域おこし協力隊として働くのであれば、私は私で神河町での新たなミッションを考えなければいけません。
夫婦そろって役所に勤めて、生活は成り立っていくのか?
私は協力隊にならなかったとしたら、収入はどうするのか?キャリアはどうなるのか?踊りを続けられるのか?
どこかで現実と向き合おうとしない自分がいました。

18歳で「つまらない大人になりたくない」と息巻いて東京を離れ、京都に10年住み、最後の3年間、ダンスフェスティバルを主催。赤字で借金を作り、東京に戻らざるを得なくなってから3年。だんだん東京でも仕事がもらえるようになってきたタイミングで今度は兵庫に。とにかく迷いました。

こんな時、男脳というのはそんなつまらないことばかり考えるものです。
後ろ髪を引かれて、不確かな未来に手を伸ばして、今という地に足がつかない。
私は先日33歳になりましたが、移住を迷っているときのことを思うと、18歳で東京を出たときのほうがよほど軽やかだったなと思います。27歳でダンスフェスティバルを始めた時のほうがよっぽど自分に正直だったなと。まだ世間知らずだったこともそれらの一歩を踏み出す勇気を助けたかと思いますが、いろいろと経験してきた上で、踏み出せなくなった一歩を助けてくれたのは、過去の自分と、何より奥さんでした。

「貴方は貴方のやりたいことをやって欲しい」

奥さんにはそういわれました。5年前に出合い、去年末に結婚。私のことを誰よりも知っている彼女の言葉に託された意味を私は深く、重く、受け取りました。
私はこの言葉に後押しされ、少しづつ考え方を変えていきました。それは全く新しい考え方に変えていくというよりは、勇気がなくて踏み切れなかった考え方に正直に向き合うプロセスでもありました。

よい環境で、健康に暮らしたい。
豊かな環境で、時間をかけて作品を作りたい。
じっくり自分の体と向き合いたい。

2015年から私は毎年海外のフェスやレジデンスに受かる事が出来るようになり、日本では東京以外の都市に出向くことも多くなりました。
私自身、ダンスの活動をするときは「京極朋彦ダンス企画」と名乗っていますが固定のメンバーがいるわけではなく、逆に言えばダンサーは今まで仕事をしたウィーンに、メキシコに、韓国に中国にと、世界中にいると言ってもいい。
それだったら拠点を兵庫に移しても、活動は続けられるし、むしろダンサーである奥さんと時間をかけて作品を作ることができる。10年住んだ京都も近い。

そう考えていくうちに、移住の良い面をたくさん見出すことができたと同時に、自分が今まで忙しさや収入にかまけて、見て見ぬふりをしてきた事が炙り出されてきました。
それらすべてが移住によってすべて解決する事ではありません。むしろ移住に夢を持って始めたものの、その地域と合わず、帰ってきてしまう人は沢山います。私も正直まったく先は読めません。
しかし今回の移住に関して私は、奥さんに「生きていく」とはどう言う事か?という大きな問題と真剣に向き合うチャンスを貰ったと思っています。

今年の夏には母が亡くなったこともあり、今年はいろいろなことが私の生活の中で混ざり合い、「生きる」ということの意味を少しづつ変えていっています。
このタイミングで大きく生活環境を変えることが10年後、20年後振り返った時にどんな意味を持つのか?それは「その時になってみなけりゃ、わかんないじゃ~ん」と思っています。
今は今の感覚を信じて、そして奥さんを信じて、進んでいこうと思っています。


裏庭には柿の木、アジサイ、イチジクの木があります!


生まれも育ちも東京で親戚一同みんな東京在住の田舎暮らし初心者です。
まずは我が家の裏に、荒れ果てた庭があるので、雑草を抜き、土を耕すことから始めてみようと思います。
数年後、この庭にも、私たちの生活にも、一体どんな花が咲くのか、今から楽しみにしていきたいと思っています。

ということで長々と書きましたが、今後とも関西関東に限らず様々な場所で活動してまいりますので、夫婦共々、どうぞよろしくお願いいたします!!


2017年12月8日 京極朋彦、歌織

2017/09/13

人生がズシズシ

今年の春から秋にかけて。人生がズシズシと動いた。

そんな気がしています。1月から3月まで『K・テンペスト』でツアーをしていたことが遠い昔の事のようです。そこからブログもすっかりストップしていました。

気が付けば秋。なんとなく自分自身のことを振り返りたくなり、久々にこのブログにアクセスします。

直近の告知はNEWS欄にまとめましたので、ご覧ください

春から秋にかけて、私の人生は公私ともに様々な出来事がありました。
大切な人を失ったり、大切な人に助けられたリ、新らしく大切な人が出来たり、、、。
月並みですが、人生は出会いと別れの繰り返しなんだなと感じます。

出会っては別れる人たちと、何を分かち合うことが出来るのか?
出来ることなら出会う人、別れる人たちとの間に笑顔がありたい。
人を笑顔に出来る仕事をしたい。大切な人と自分が、いつも笑顔でいられるように暮らしたい。

そんな基本中の基本みたいなことがひどく胸に響く数か月でした。

なぜか既に今年も締めくくりみたいな気分になっているのですが、まだまだ今年やることは沢山あります。とりあえず明後日から2週間、終日、タイの振付家ピチェ・クランチェン氏とのクリエーションが始まります。

10月には縁が巡って念願のSUNDRUM、敦さんとのセッション、初めて訪れる仙台でのパフォーマンス、介護福祉大学でのワークショップと盛りだくさんです。

つくづくどこに向かうのかわからない人生。それでも大切なことを見失わなければ、自ずと向かう方向、たどり着く場所があると信じています。
何処に向おうと、何処にたどり着こうと大切なことはいつも同じです。

次はどこに向かうのか、いつもワクワクしていられる人生を選んだのだから、思いっきり楽しみたいと思います。

貯金はしますけどね 笑

2017/03/14

Kテンペスト2017 終了

Kテンペスト2017が終了しました。


今年の年明けからKAATで始まったリハーサルから一か月に及ぶ長野県松本市での滞在制作を経ての長野ツアー4か所。そしてKAATでの大千秋楽。ここまで長く、集中的な創作の現場は初めてで、しかも普段とは異なるフィールドである演劇の現場は本当に刺激的なものでした。

リハーサルの前半はとにかく「声」に関するインプットと話し合いの時間。とにかく出演者同士が車座になって沢山話をしました。集団で何かを創作するときにそれぞれの能力ももちろん大事ですが、いかにチームとして作業が出来るか?ということはもっと重要で、KAATでの半月間をとにかくチームとしての「下地」を作ることに時間をさけたのは本当に財産でした。
ダンスでもこういう作り方が出来ればいいのですが、限られた時間と場所、予算によって中々このような時間を作るのは東京では難しいように感じます。

そして今回私が一番贅沢に感じたのはプロの役者さん達の「言葉」の扱いに間近に触れることが出来たことでした。
私自身もダンス作品の中で「言葉」あるいは「デタラメ語」を使用することが多々ありますが、今回触れた役者さんたちの扱う「言葉」は根本的にダンスの「言葉」とは違いました。


KAATのリハーサル中にも話したのですが、「言葉」を扱うようになったとき人間はある種の「魔法」を手に入れたのではないか?と思います。「名指す」ことでそこに「存在」生み出す魔法。「嵐!」と言ってしまえばイメージの中で「嵐」が現出すること。それらすべてが演劇の「魔法」であるように感じました。
普段ダンスを生業にしている私にとって「言葉」について、「発話」について、「演劇」について学ぶことが沢山ありました。

そして、意外だったのは串田さんの作品の作り方は、少しダンスに近い部分があったことです。
俳優である以前に一人の人間であり、人類の一部、自然界の一部でもあるというスケール感。表情や感情みたいなこと以外に強くイメージを持つこと。そしてある時は「形」から入り、ある時は「感情」から形をつくること。(ここら辺は振付に近いものがあります)そしてフィクションの位相を行き来する自由さ。ありとあらゆる手段が許されるような現場でした。
これってとってもダンスの現場に近い気がして、演劇素人の私も何とか食らいついていけたような気がします。

また、同世代の役者さん、大先輩の役者さん、ミュージシャン、スタッフの皆さんと同じ演目を出来たことは本当に楽しかったです。
大先輩が楽屋でポロッと演技のアドバイスを下さったり、ミュージシャンの方が踊り用に作曲してくださったりして、本当にありがたい時間を過ごさせていただきました。

そして旅先では一緒にご飯食べたり、全然関係ない話を沢山して、何というか、10年ダンスを必死でやってきたご褒美が意外な形で返ってきたような、幸せな時間でした。
そして松本の劇団「TCアルプ」の皆さんに出会えたことも僕にとっては財産です。
自分も東京出身で京都に10年住み、今再び東京で活動している身なので、都市と地方に関して思うとは多々ありますが、彼等の背中から沢山のことを学んだ気がします。


と、まあ書き出したらきりがないのですが、一先ずの一区切り。
明日からまた違う海に航海に出発します。
実は今回の演目に参加したことによって生まれた新しい企画も動き出しました。追々その情報もブログで公開できると思います。
今後の出演、振付情報をNEWS欄に記載しました。サボりがちなブログですが、ちょいちょい更新しますので、ぜひチェックしてみてください!!