2019/01/01

2018年振り返りと2019年の欲望

新年あけましておめでとうございます!
相変わらずご無沙汰ぶりのブログです。相変わらず機械に疎い私ですが、先日奥さんに作ってもらったロゴから、今年のブログをスタートさせてみようと思います。
例のごとく長いですが、どうぞよろしくお願いします!


<はじめに>
 
先日、ある方に忘年会で「京極君の欲望は何か?」と聞かれました。今までの人生の中で、この質問よくされるんです。どなたも決まって私のことを思って、心配げに尋ねられるこの「欲望」という言葉。かねてより自覚はあるのですが、私は「欲望」というものが表に出にくい体質で、「欲」がないわけではないのだけれど、それを表に出すことに躊躇いや、思い切りの良さがない。そのことが「おおらかさ」として良く働く場合もあるんですが、時としてその速度の遅さがアーティストとして致命的な欠陥となることもあります。
 
「人様に欲望をさらけ出すことは行儀のよいものではない」と日本の義務教育は教えます。しかし芸術活動をする上では、「欲望」は必要不可欠です。それを出さなければ表現できないことがあることも確かです。
しかし日本に生きていて、実に厄介なのは、子供のうちから「欲望」を去勢しておきながら、大人になった時に、その「欲望」が抑えきれない人々を変人扱いし、逆にステレオタイプな「欲望」を押し付けてくる、この国の社会と教育です。
発達障がい児の療育に長くかかわっていると、子供たちが如何に親の欲望、世間の欲望に圧をかけられているか?を肌で感じます。「普通じゃないことが如何に普通か」がわからない人や社会が生み出す、謎のプレッシャー。アーティストにも、その圧はかけられています。
 
私もかつて「人様に欲望をさらけ出せない」私はアーティストではないのではないか?と悩んだ時期もありましたが、ダンスを始めて10年、様々な国、様々な価値観の人々と出会う中で私が出した結論は「自分の欲望は、あなたの期待する欲望とは違うし、違っていい」という至極、あたりまえのことでした。この「あたりまえ」が日本ではなかなか許されないのが現実です。
 
話を「京極君の欲望とは?」に戻しますが、最近、自分の「欲望」を積極的に人に話すようにしていることもあって、段々私も自分の「欲望」を表に出せるようになってきました。
そしてそのことによって自分が思ってもいなかった可能性が発見できています。
 
しかし、ひねくれた私はこうも考えます。「あなたの欲望は何ですか?」という質問の裏には、前記した、謎のプレッシャーが隠されている。
つまり、この質問をする側には
「あなたには欲望を持っていてほしい。できれば私の期待するような」
という親心のような感情が含まれています。
 
今まで私がこの質問をされてきたシチュエーションを考えると常に、話し手にはこの文章の前半部分「あなたには欲望を持ってほしい」に暖かな親心が含まれていました。これはとても有り難いことで、そのことに私は救われてきたし、今も自分に問う時、その人達の顔が浮かびます。「良い質問は既に良い応えを持っている」といいますが、まさにその人達の問いは今でも私の応答を引き出してくれます。
 
しかし、問題はこの文章の後半部分。「できれば私の期待するような」という部分が気になっている齢34になった私です。
 
私が今まで日本で経験してきた「若手育成事業」を謳ったものはたいがい、この後半部分のプレッシャーが凄くて辟易することもしばしばありました。「育成」という「愛」ゆえに逆に若者の道を狭めてしまうこの現象は、どの業界でも起きていることと想像します。この「愛」に私は育てられてきて来たのは紛れもない事実ですが。
 
しかし、もうすでに世間的には「若手」扱いされなくなってきた今日この頃、私自身、年齢的にも、誰かの相談を受けたり、指導をするような立場で、逆に「あなたの欲望は何か?」という質問をしなければならない側になることが増えてきて、この「愛」について、本当に気をつけないとな、と思うと同時に「欲望」という言葉をもう一度、自分自身に問うてみようと考えました。
 
そして、この「欲望」という言葉が、実は2018年の私を振り返る上で重要なキーワードの一つであることにも、この文章を書き始めて気が付かされました。
 
かなり前置きが長くなりましたが、今回は新しい年を迎える上でこの「欲望」というキーワードで2018年を振り返ってみようと思います。ここから毎度の長文が始まるわけですが、もしお時間ありましたら、最後までお付き合いいただけると幸いです。
 
2018年を振り返る>
東京から兵庫に移住することから始まった2018年、私はずいぶん自分の欲望を出せたなと思っています。
3月、自分の中では新たな挑戦となったソロダンスの製作、発表を兵庫で行ったこともその一つです。
東京のサイクルとは異なる場での創作、発表は今までもありましたが、拠点を変えた今、自分の創作を新たな場所でリリースできたことは、とても手ごたえのあるものでした。山や川に囲まれた修行のようなリハーサルもとても新鮮でした。
 
また、6月~7月、ダンサーとして参加した梅田宏明さんのSomatic Field Projectが東京だけでなく、兵庫県の城崎国際アートセンターで合宿リハーサルをしたことも、今後、兵庫県でどのように活動していきたいか、東京との距離をどう図っていくかのヒントを沢山もらえる機会でした。合宿リハーサルの有効性もひしひしと感じました。
そして、ダンサーとして作品の中で、与えていただいた役割の中に自分の欲望を深く注ぐことが出来たのも、このプロジェクトの懐の深さおかげだと思っています。
 
そして“懐の深さ”でいったら私の中での2018年ダントツの一位は、東京芸術祭のアジアパフォーミングアーツフォーラム、通称APAFの新ディレクターである多田淳之介さんです。
APAFのプログラムの一つである「国際交流制作ワークショップ」の演出家公募において、ダンサー、振付家である私を選出して頂いたことは、本当に在りがたく、ここ数年で一番、嬉しかったことでした。
 
おかげでこのAPAFでは私がここ数年、海外での製作を行ってきたことの、ある種の集大成的な作品が出来ました。
日本での製作に行き詰まりを感じて海外に飛び出した2015年からの三年間、私は自分の欲望を「欲望」としてではなく「desire」「ambition」又は「hope」として様々な形で表出する方法を得ました。
 
このおかげで私は自分の「欲望」というものを一度、国外に輸出し、逆輸入することで租借したように思っています。
日本で出にくいことは海外に行ったら更に出にくくなる。しかしそんな状況に追い込まれたからこそ、逆に出るものがあることを、私は様々な困難の中から学びました。
 
と、ここまで書いて昨年はいいことだらけだったように思えますが、よくよく思い返せば、危機ともいえる状況も確実に在りました。当たり前ですが、移住一年目に困難は付き物です。
 
出来るだけポジティブに書けば、今年の8月、移住して初めて一か月以上、町内で過ごした時、私は私の「欲望」を見失い、「欲望」自体を「渇望」しているような状況でした。
 
去年の8月の時点で私は兵庫県に仕事はなく(農業のアルバイトはちょくちょくさせていただいていましたが)今年から少しずつ地域おこし協力隊である奥さんの力を借りて、学校や公にワークショップを行うことになったり、加東市の文化財団と繋がり、地域の伝統芸能発表会の演出をさせて頂けることになったりしましたが、去年の夏は東京での仕事もなく、悶々としていました。
 
東京との往復生活、不安定な収入、地域との関わり、将来設計、すべてが停滞しており、今もさほど改善はしていないとはいえ、当時は移住後初めて仕事が途絶え、精神的にかなり傾きました。
その時の自分の心境は最悪で「仕事がなくなったのは移住したせいだ」「移住は本当の自分の欲望ではなかった」など、とても酷いことを考えはじめ、奥さんにも悲しい思いをさせたり、喧嘩したりしてしまいました。窮地に追い込まれた時の性分ってなかなか変わらないもので、これが昨年最大の反省です。
 
しかし、このことのおかげで私は現在の状況における「自分の欲望とは何か?」を考えることができました。
それはこの一年で、明らかに東京にいた時とは変わってきています。
 
例えば、東京で舞台業界人と出くわした時、必ず聞かれるのが「次回作は?」という質問です。
生産と消費のサイクルが早い東京では、アーティストは常に新作、次回作を期待されています。
しかしその期待の主は実は不在で、その正体は東京の呪いのようなものだと私は思っています。
この業界人の「次回作は?」という質問は逆に言うと、そのこと以外、話すことがない、希薄な関係性の上に浮かぶ沈黙を埋めるための常套句のようなものです。
 
その言葉を口にしている本人ですら無自覚で、その出所を知らない言葉。沈黙を恐れ、常に前に進み、発展し、向上しなければならないという呪いのような何かが、確かに東京を覆い尽くしています。
私が高校生だった90年代、既に東京にあったこの呪いは、近年現実社会よりもネット上でさらに色濃くなってきているように感じます。
 
この呪いに対して、若い東京のアーティストがとらなければならない態度は極端に言えば二つ。
自覚的に呪いを超えていくか、呪われて死ぬかです。
 
しかし若いアーティストには、この呪いを自覚しながらも超えていくという作業はハードルが高すぎる。これは何も東京に限ったことではなく、東京志向の地方都市でも同じことが起きています。
 
この呪いがどんなに辛いことか、私にも覚えがあります。東京で活躍する同世代がどんなに輝いて見えるか、お金のためだけに働くことがどんなに辛いか、己の中に醜い嫉妬心を発見した時、どんなに惨めか、私も知っています。
しかし、この呪いは教科書に載っていないどころか、二次会、三次会に付いていっても先輩からは語られません。それはその先輩自体も呪われているか、その呪いと格闘している最中だからです。
 
少し話がずれましたが、この「呪い」が夏の私にも覆いかぶさっていたことは確かで、今でも正直、その呪いから解き放たれてはいませんが、確実に言えることはこの呪いとの付き合い方が変わってきたからこそ「自分の欲望とは何か?」が変わってきたのだ、ということです。
 
実を言えばこの呪いがあったおかげで私は、前記した東京国際芸術祭APAFへの準備を狂ったように進めることができました。資料を集め、映像や音楽をあさり、創作準備を練りに練ったおかげで11月の創作はかなり充実したものになりました。
 
重要なのは「呪われ具合」だなと、私はこの夏学びました。呪いはモチベーションにもなりえるし、決して消えることのないこの呪いとは、この先も上手く付き合っていかなければならないということを学びました。
 
どこに移住しようと本当の意味で人は変わりません。ただその自分を客観視するチャンスが、移住にはあります。
移住しなくても、旅や、普段と違う帰り道、新しい服の中にも、そのチャンスはあります。私の例は極端かもしれませんが「自分の欲望を改めて見直す」ってことは人生で度々必要なことなのだと思います。
 
そんなこんなで気が付けば年末を迎え、今年は初めて年越しを神河町で迎えることになりました。
何もないと思いきや、自分にとって、今必要なことが詰まっているこの町で年越しをすることになったのも、変化の兆しなのかもしれません。(去年は夫婦それぞれの実家に帰ってました)
 
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、最後に今年の私の「欲望」を記してこの文章を終えたいと思います。
 
それは私たち夫婦が移住した神河町に、自分たちの活動拠点を持つということです。まだどんな施設になるかはわかりませんが、スタジオとしての機能とレジデンスとしての機能を兼ね備えた小さなアートセンターのようなものを構想しています。
 
自分自身がこの一年で経験したことを踏まえて、改めてこのような拠点を持ちたいと思うようになりました。もともとこの構想は、移住前からありましたが、一年かけてその「構想」を「欲望」にしたといった感じでしょうか。逆に言ったらこれを言えるようになるまでに、一年もかかったということです。
 
これだけ情報が溢れかえる世界に生きていたら、私の世代ですら難しいのに、今の若い世代が「欲望」をうまく持てなかったり、表出できなかったり、時間が相当かかるのは当たり前で、ある意味で仕方がないことです。
昔とはわけが違う、この若い世代の苦しみを、世の中がもっと理解した方がいいし、その苦しみを、まずは本人が自覚することができるチャンスが与えられて然るべきです。幸運にも私はそのチャンスを何度か先輩方に頂いたからこそ、今があると思っています。
 
そして移住してきた神河町にも「自分の欲望を改めて見直す」チャンスをたくさん貰いました。
特に有機農業教室で完全無農薬の野菜を一年育てたことは大きく影響していると思います。(この話をしだすと長いのでどこか別の機会に)
 
そして何より、浮き沈みの激しい夫を、そばで見守ってくれていた奥さんにも何度もこのチャンスを与えてもらい、感謝しています。
 
小さな町の小さなアートセンターが、若者世代のみならず、子供からお年寄りまで、様々な世代にチャンスを与えられる場所になったら、おそらく自分にとっても、町にとってもいいんじゃないかと思っています。これは「誰かの欲望」でもなければ「誰かの期待に沿う」ことでもない、今の「自分の欲望」です。
 
もちろんその他にも小さな欲望は沢山ありますし、呪いに便乗した欲望も山ほどありますが、2019年、私はそれらの「自分の欲望」を静かに見守っていこうと思っています。
 
今まで私を見守り「京極君の欲望とは?」と尋ねてくれた方々への恩返しは「私自身が私の欲望を見守ることができること」にあるような気がしています。
 
とはいえ、今年も各方面、お願い事や、ご迷惑も含め沢山お世話になると思いますが、どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
 
                      2019年 元旦 京極朋彦