2015/11/26

ウィーン滞在、talking about it Vienna editionを終えて

「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」は似ているようで全く違う。欲望として前者は僅かな遅れをとり、後者は先制をとる。

「先制をとる」という言い方はあまり穏やかでないが、人と何かを成し遂げるとき、人を動かす立場になった時、「先制をとる」ことは「クリアーな物言い」と言い換えられる。
互いの尊厳を守りつつ、大事な事は包み隠さず、クリアーに伝える。それが出来る関係性を築く事も含め、これが出来てやっと人と対話が始まるのだと思う。

人を動かすのは「会話」ではなく「対話」だ。

もちろんクリアーな物言いが出来る関係性を築くまでには「会話」という潤滑油は必要ではあるが、会話だけでは結局、表面上の形式的な関係性で終わり、その人自身を動かす事ができない。
制度や給料で辛うじて繋ぎ止めていられるだけで、それらが崩れれば、関係性も終わる。
人を動かす事ができなければ結局、自分が忙しく動く事になり、全体のパフォーマンスは落ちる。


逆に自分が誰かの為に動く時、「自分が何がしたいか?」が時として邪魔になるのは、一度でも人の上に立つ立場になった事のある人なら察しがつくだろう。
だからと言って「自分に何が出来るか?」だけを考えすぎていても、相手との創造的な未来は見えてこない。

上に立つ立場の者とその下につく者。図式的にはピラミッド型になりがちなこの関係性を、より良いものにする為には両者の間に横たわる、明確な関係性が重要になる。

「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」
前者には繊細なアンテナが、後者には鈍重な豪腕が必要になる。

私は合計二ヶ月に及ぶウィーン滞在において、このことを改めて実感した。文化も言葉も違う相手と何かを成し遂げるという、途方もない作業の中で私が学んだ事は大きい。

そして他者との対話の中で、己の欲望を如何に練り、如何に精製出来るかで、人との関係性はもちろん、作品の強度も変わってくるということを身をもって体感した。

今回私はウィーンのダンサー達に、今まで日本人ダンサーにはぶつけられなかった言葉を無意識のうちに吐いて来たように思う。
それは単に私の英語力がないため、遠慮した表現が出来ないという事もあるが、それだけの事ではない。

この作品の初演は三年前で、ウィーン再演が決まってから京都と東京でクリエーションワークショップをそれぞれ24時間やった。同じ作品を異なるダンサーと共に何度も上演する内に、私の中で練られた言葉と、三年前に言えなかった言葉がやっと朧げに、表に出て来る感覚があった。

正直に言えば私は今まで、作品作りに於いても、先制を欠いていたのだ。
つまりは「自分に何ができるか?」に脚を取られ「自分は何がしたいか?」というクリアーな言葉を吐けずにいた。
それがやっとウィーンという異国の地で追い詰められて、初めて吐き出されて来たのだ。
全く自分のスローペースぶりには幻滅させられるが、それだけこの作品には私の根本的なダンスへの思いが込められていたのだと思う。複数のダンサーに振り付けた初めての作品だけに思い入れも強い。

こちらでのリハーサルで、ある時、自分の言葉がダンサーの中で弾ける瞬間を見た。それは本当に音がしそうな程の炸裂具合で、私は振り付けの意味を初めて知ったように感じた。
言葉は己の欲望を体内で精製し、結晶化した弾丸のようなものだ。使い方を誤れば人を殺しかねない。ただ、良き言葉を練ればそれが届いた時、相手の中で散弾の如く弾けることを知った。

時間がかかった。
わかるまで。信じられるまで。
「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」の違いを知るまで。
人と何かを成し遂げるとき、人は仏のままではいられないこと。
時には修羅の如く、闘わなければならないこと。
遅すぎると笑われるかもしれないが、頭でわかっていることを実感を持って体感できたことは財産だと思う。

私はこんなにも時間をかけて、こんなにも故郷を遠く離れて、やっと「対話」の意味を知った。
私は今までの私を恥じると共に、これからも他者との対話の中で、自分の言葉を練って行こうと思う。

ウィーンの観客席からは惜しみない拍手が鳴り響いた。
それはあの日のリハーサルで、ダンサーの体のなかで弾けた言葉の炸裂音と、とてもよく似ている気がした。
この音を聞きたくて、私は再び新たな作品作りに向かうことになるだろう。きっと、やめられない。


2015年11月26日 京極朋彦