2017/12/08

結婚記念日と移住について

神河町の山とススキ 
 この度、私、京極朋彦は妻、伊東歌織と共に兵庫県神崎郡にある神河町という町に移住しました。
今後は兵庫を拠点に、実家のある東京、10年住んだ京都を拠点に国内外含め様々な場所で活動を続けていきます。
本日が結婚一年記念日ということもあり、これまでの経緯をまとめて書いてみようと思います。


まず初めに言っておかなければならないことは、今回私たちが神河町に移住するに至るまでには妻、伊東歌織の大きな決断があったということです。
彼女が移住を決断しなければ、もしかしたら私はこの神河町を生涯訪れることはなかったかもしれません。
遡ること約二年前、伊東歌織は、この神河町の「シニア向けのご当地健康体操」を振付することになりました。そこには彼女が10代のころからお世話になっている兵庫県出身の先生の存在がありました。先生は現在東京在住で主に介護福祉や高齢者の健康作りのための体操を教えてらっしゃり、今でも頻繁に神河町を訪れて、体操を教えてらっしゃいます。

そんな先生から振付の依頼をされた伊東歌織が作った体操が「かみかわハート体操」でした。(名前は神河町の地形が綺麗なハート形をしている事に由来し、振付には農家の多い神河町の町民の日常生活での動作を取り入れると同時に、地域の特産である柚子や、美しい山並みや、ススキの広がる平原などがモチーフに振付されている。作曲は私達の結婚式でも演奏してくれた音楽家の佐藤公哉さん、演奏に権頭真由さんが参加。現在はPVも撮影し、地元のケーブルテレビで放映中。)

神河町は兵庫県のちょうどド真ん中辺りに位置する美しい水と空気、自然にあふれた町で、2005年に神崎郡、神崎町と大河内町という町が合併して出来た人口1万1千人程の町です。
それでもまだ兵庫県の市町の中では最も人口が少なく、住民の過疎化、高齢化が進んでいますが、町民の方々は本当に元気でやさしい方が多い町です。

私もアシスタントとしてこの「かみかわハート体操」に関わらせていただき、何度か町を訪れましたが、とにかく東京とは空気が違う。見渡す限りの山、川。夜は満天の星というとても気持ちのいいところという印象を持ちました。しかしまだ私はこの頃、まさか自分が、この町に移住することになるとは思ってもいませんでした。

ちょうどそのころ、伊東歌織は横浜ダンスコレクションという国際的なダンスのコンペティションに振付家としてノミネートされ本選に出演することになりました。
私はその作品にダンサーとして出演することとなり、本選に向けたリハーサルを開始しようとしていた頃、彼女から意外な提案を受けました。
「東京都内で舞台美術(畳一畳分ほどあるテーブル)を持ち運びながら稽古場を転々とすることが物理的にも経費的にもできないから、合宿しよう!」

横浜ダンスコレクションを含め、多くのダンスコンペティションでは、作品はノミネートされたものの、そのリハーサル場所、経費、ギャランティー等は支給されず、賞を受賞した場合のみ賞金が出るシステムをとる場合が多く、国を跨ぐ応募の場合、振付家は経済的理由で参加を見送ることもよくあります。私も以前、メキシコのダンスフェスティバルに招聘された時の渡航費はクラウドファウンディングで集めました。

私もその時、合宿はいいアイディアだと思いました。彼女が合宿先として選んだのは、島根県出雲市。かつて彼女と同じダンスカンパニーに所属し、現在そこに移住した女性ダンサーの住む町でした。聞けば彼女は初め「地域おこし協力隊」という国の制度に応募し、単独島根に移り住み活動を続け3年の任期を終える頃、現地の男性と結婚、定住しているということでした。

地域おこし協力隊とは人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度です。
2009年に総務省によって制度化され、2015年度には全国673の自治体で2,625人の隊員が活躍している、いわゆるIターンを狙って国が予算を出している事業です。
神河町も三年前からこの制度により、県内外から移住者を募って来ました。

「地域おこし協力隊」という言葉は耳にしたことがありましたが、私は実際にそれをされている方と会うのは初めてでした。10日間ほど冬の日本海と豊かな自然に触れながらリハーサルをする中で確実に体の感覚が変わっていくのを感じると同時に、実際に地域おこし協力隊として活動していた方の話を聞く中で、少しづつ私の頭の中に「東京」という場所を客観的にみる視点が生まれてきました。
横浜ダンスコレクションでは奨励賞という大変ありがたい賞を頂きました。が、敢えて書かせていただくと、奨励賞には賞金は出ません。合宿にかかった費用、スタッフの人件費、そしてダンサーとしての私の報酬。それらすべてを奥さんは自腹で出しました。それが現在の日本のダンサー、振付家の現実です。

その後、奥さんは仕事で何度か神河町を訪れるようになりました。彼女の頭の中にはそのころから既に「移住」の二文字があり、実際に私に相談もありました。
神河町にはすでに地域おこし協力隊の先輩方がおり、農業をされている方もいれば、観光課で働いている方。ゲストハウスを運営されている方などがおり、それぞれ異なるミッションもって活動されています。私が二回目に神河町を訪れたとき、この協力隊の一期で隊員として活動し、現在ゲストハウスを運営されている方のところに実際に宿泊させてもらいました。
奥さんがもし神河町で地域おこし協力隊として活動する場合、役所の健康福祉課に所属し「かみかわハート体操」を広めること、地域の健康促進のための体操やレクレーションのサポートなどが主なミッションであり、さらには町外、県外との懸け橋となり地域おこしに協力することになるということでした。

ところが私は奥さんに移住の相談を受けたとき、なぜかその話を遠い先のことのように考えていました。正直なところ今の状態で東京を離れることに不安があったからです。
奥さんはすでに神河町との関係ができている中で、スムーズに移住することができるかもしれないが、この町にとって私は完全なるよそ者です。もし私もこの町で地域おこし協力隊として働くのであれば、私は私で神河町での新たなミッションを考えなければいけません。
夫婦そろって役所に勤めて、生活は成り立っていくのか?
私は協力隊にならなかったとしたら、収入はどうするのか?キャリアはどうなるのか?踊りを続けられるのか?
どこかで現実と向き合おうとしない自分がいました。

18歳で「つまらない大人になりたくない」と息巻いて東京を離れ、京都に10年住み、最後の3年間、ダンスフェスティバルを主催。赤字で借金を作り、東京に戻らざるを得なくなってから3年。だんだん東京でも仕事がもらえるようになってきたタイミングで今度は兵庫に。とにかく迷いました。

こんな時、男脳というのはそんなつまらないことばかり考えるものです。
後ろ髪を引かれて、不確かな未来に手を伸ばして、今という地に足がつかない。
私は先日33歳になりましたが、移住を迷っているときのことを思うと、18歳で東京を出たときのほうがよほど軽やかだったなと思います。27歳でダンスフェスティバルを始めた時のほうがよっぽど自分に正直だったなと。まだ世間知らずだったこともそれらの一歩を踏み出す勇気を助けたかと思いますが、いろいろと経験してきた上で、踏み出せなくなった一歩を助けてくれたのは、過去の自分と、何より奥さんでした。

「貴方は貴方のやりたいことをやって欲しい」

奥さんにはそういわれました。5年前に出合い、去年末に結婚。私のことを誰よりも知っている彼女の言葉に託された意味を私は深く、重く、受け取りました。
私はこの言葉に後押しされ、少しづつ考え方を変えていきました。それは全く新しい考え方に変えていくというよりは、勇気がなくて踏み切れなかった考え方に正直に向き合うプロセスでもありました。

よい環境で、健康に暮らしたい。
豊かな環境で、時間をかけて作品を作りたい。
じっくり自分の体と向き合いたい。

2015年から私は毎年海外のフェスやレジデンスに受かる事が出来るようになり、日本では東京以外の都市に出向くことも多くなりました。
私自身、ダンスの活動をするときは「京極朋彦ダンス企画」と名乗っていますが固定のメンバーがいるわけではなく、逆に言えばダンサーは今まで仕事をしたウィーンに、メキシコに、韓国に中国にと、世界中にいると言ってもいい。
それだったら拠点を兵庫に移しても、活動は続けられるし、むしろダンサーである奥さんと時間をかけて作品を作ることができる。10年住んだ京都も近い。

そう考えていくうちに、移住の良い面をたくさん見出すことができたと同時に、自分が今まで忙しさや収入にかまけて、見て見ぬふりをしてきた事が炙り出されてきました。
それらすべてが移住によってすべて解決する事ではありません。むしろ移住に夢を持って始めたものの、その地域と合わず、帰ってきてしまう人は沢山います。私も正直まったく先は読めません。
しかし今回の移住に関して私は、奥さんに「生きていく」とはどう言う事か?という大きな問題と真剣に向き合うチャンスを貰ったと思っています。

今年の夏には母が亡くなったこともあり、今年はいろいろなことが私の生活の中で混ざり合い、「生きる」ということの意味を少しづつ変えていっています。
このタイミングで大きく生活環境を変えることが10年後、20年後振り返った時にどんな意味を持つのか?それは「その時になってみなけりゃ、わかんないじゃ~ん」と思っています。
今は今の感覚を信じて、そして奥さんを信じて、進んでいこうと思っています。


裏庭には柿の木、アジサイ、イチジクの木があります!


生まれも育ちも東京で親戚一同みんな東京在住の田舎暮らし初心者です。
まずは我が家の裏に、荒れ果てた庭があるので、雑草を抜き、土を耕すことから始めてみようと思います。
数年後、この庭にも、私たちの生活にも、一体どんな花が咲くのか、今から楽しみにしていきたいと思っています。

ということで長々と書きましたが、今後とも関西関東に限らず様々な場所で活動してまいりますので、夫婦共々、どうぞよろしくお願いいたします!!


2017年12月8日 京極朋彦、歌織

2017/09/13

人生がズシズシ

今年の春から秋にかけて。人生がズシズシと動いた。

そんな気がしています。1月から3月まで『K・テンペスト』でツアーをしていたことが遠い昔の事のようです。そこからブログもすっかりストップしていました。

気が付けば秋。なんとなく自分自身のことを振り返りたくなり、久々にこのブログにアクセスします。

直近の告知はNEWS欄にまとめましたので、ご覧ください

春から秋にかけて、私の人生は公私ともに様々な出来事がありました。
大切な人を失ったり、大切な人に助けられたリ、新らしく大切な人が出来たり、、、。
月並みですが、人生は出会いと別れの繰り返しなんだなと感じます。

出会っては別れる人たちと、何を分かち合うことが出来るのか?
出来ることなら出会う人、別れる人たちとの間に笑顔がありたい。
人を笑顔に出来る仕事をしたい。大切な人と自分が、いつも笑顔でいられるように暮らしたい。

そんな基本中の基本みたいなことがひどく胸に響く数か月でした。

なぜか既に今年も締めくくりみたいな気分になっているのですが、まだまだ今年やることは沢山あります。とりあえず明後日から2週間、終日、タイの振付家ピチェ・クランチェン氏とのクリエーションが始まります。

10月には縁が巡って念願のSUNDRUM、敦さんとのセッション、初めて訪れる仙台でのパフォーマンス、介護福祉大学でのワークショップと盛りだくさんです。

つくづくどこに向かうのかわからない人生。それでも大切なことを見失わなければ、自ずと向かう方向、たどり着く場所があると信じています。
何処に向おうと、何処にたどり着こうと大切なことはいつも同じです。

次はどこに向かうのか、いつもワクワクしていられる人生を選んだのだから、思いっきり楽しみたいと思います。

貯金はしますけどね 笑

2017/03/14

Kテンペスト2017 終了

Kテンペスト2017が終了しました。


今年の年明けからKAATで始まったリハーサルから一か月に及ぶ長野県松本市での滞在制作を経ての長野ツアー4か所。そしてKAATでの大千秋楽。ここまで長く、集中的な創作の現場は初めてで、しかも普段とは異なるフィールドである演劇の現場は本当に刺激的なものでした。

リハーサルの前半はとにかく「声」に関するインプットと話し合いの時間。とにかく出演者同士が車座になって沢山話をしました。集団で何かを創作するときにそれぞれの能力ももちろん大事ですが、いかにチームとして作業が出来るか?ということはもっと重要で、KAATでの半月間をとにかくチームとしての「下地」を作ることに時間をさけたのは本当に財産でした。
ダンスでもこういう作り方が出来ればいいのですが、限られた時間と場所、予算によって中々このような時間を作るのは東京では難しいように感じます。

そして今回私が一番贅沢に感じたのはプロの役者さん達の「言葉」の扱いに間近に触れることが出来たことでした。
私自身もダンス作品の中で「言葉」あるいは「デタラメ語」を使用することが多々ありますが、今回触れた役者さんたちの扱う「言葉」は根本的にダンスの「言葉」とは違いました。


KAATのリハーサル中にも話したのですが、「言葉」を扱うようになったとき人間はある種の「魔法」を手に入れたのではないか?と思います。「名指す」ことでそこに「存在」生み出す魔法。「嵐!」と言ってしまえばイメージの中で「嵐」が現出すること。それらすべてが演劇の「魔法」であるように感じました。
普段ダンスを生業にしている私にとって「言葉」について、「発話」について、「演劇」について学ぶことが沢山ありました。

そして、意外だったのは串田さんの作品の作り方は、少しダンスに近い部分があったことです。
俳優である以前に一人の人間であり、人類の一部、自然界の一部でもあるというスケール感。表情や感情みたいなこと以外に強くイメージを持つこと。そしてある時は「形」から入り、ある時は「感情」から形をつくること。(ここら辺は振付に近いものがあります)そしてフィクションの位相を行き来する自由さ。ありとあらゆる手段が許されるような現場でした。
これってとってもダンスの現場に近い気がして、演劇素人の私も何とか食らいついていけたような気がします。

また、同世代の役者さん、大先輩の役者さん、ミュージシャン、スタッフの皆さんと同じ演目を出来たことは本当に楽しかったです。
大先輩が楽屋でポロッと演技のアドバイスを下さったり、ミュージシャンの方が踊り用に作曲してくださったりして、本当にありがたい時間を過ごさせていただきました。

そして旅先では一緒にご飯食べたり、全然関係ない話を沢山して、何というか、10年ダンスを必死でやってきたご褒美が意外な形で返ってきたような、幸せな時間でした。
そして松本の劇団「TCアルプ」の皆さんに出会えたことも僕にとっては財産です。
自分も東京出身で京都に10年住み、今再び東京で活動している身なので、都市と地方に関して思うとは多々ありますが、彼等の背中から沢山のことを学んだ気がします。


と、まあ書き出したらきりがないのですが、一先ずの一区切り。
明日からまた違う海に航海に出発します。
実は今回の演目に参加したことによって生まれた新しい企画も動き出しました。追々その情報もブログで公開できると思います。
今後の出演、振付情報をNEWS欄に記載しました。サボりがちなブログですが、ちょいちょい更新しますので、ぜひチェックしてみてください!!

2016/10/17

「体と言葉の研究会」第二回 「デタラメ語」連続ワークショップ開講

<概要>
ダンサー、振付家の京極朋彦が自身の作品で頻繁に使用する「デタラメ語」を使ったワークを元に、ダンサーや学者、他ジャンルの芸術家と共に言葉と体の関係を研究、発表していく長期プロジェクト「体と言葉の研究会」。
第一回は「デタラメ語」を使用した京極のソロダンス ”カイロー”を女性ダンサーに踊っていただきました。

第二回となる今回は京極が今まで様々な作品で使用してきた「デタラメ語」のワークを体験してもらうワークショップを全三回、開催します。ワークショップ最終日には参加者によるショーイングと京極自身の「デタラメ語」を使用したパフォーマンスを行います。

<日時>
第一回 2016年11月19日(土)19:00開始 21:00終了
第二回 2016年12月17日(土)19:00開始 21:00終了
第三回 2017年  1月14日 (土)18:00開始 19:00終了


ショーイング   1月14日 (土)19:30開始 21:30終了

<会場>
Rire Yoga&kids dance studio 〒158-0096 東京都世田谷区玉川台2-1-15 3F

<参加者>
年齢、国籍、問わず、ダンスや演劇の経験も問わず。「体と言葉」に興味がある方であればどなたでもご参加いただけます。(一回 定員10名)

<料金>
ワークショップ(連続受講 推奨、単発受講 可能)
一回参加 1500円
二回参加 2800円
三回参加 4000円


ショーイング
鑑賞料 1000円(一度でもワークショップにご参加いただけた方は500円)
※最終日ショーイングには一回でもワークショップにご参加いただけた方で、三回目のワークにご参加頂ける方に出演していただきます。出演は強制ではありません。

<予約問い合わせ>
京極朋彦ダンス企画 Kyo59.1201@gmail.com
①お名前 ②参加希望日 ③ご連絡先を明記の上メールをお送りください。
ご不明点はお気軽にお電話ください 090-6155-7408 (京極)

内容などの詳細はFacebookイベントページをご覧ください。

2016/09/26

「体と言葉の研究会」女性版“カイロー”無事終了しました!

女性版“カイロー”無事終了しました!両日共に会場に入るだけギリギリのお客さんに来て頂き、アフタートークも初日はお客様に沢山助けられながら、最終日はゲストの詩人、カニエ・ナハさんのお話がとても面白いく、とても幸せな会になりました。
千秋楽後、京極、北川はそのままカニエさんと共に終電ギリまでインドカレー食べながら、留まる事のない「体と言葉」の話へと続き、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。

今回、4ヶ国9都市を旅してきた自身のソロダンス『カイロー』を始めて人に振り写す。更に女性に!ということで、本当に様々な発見がありました。
北川さんは元々「デタラメフランス語」のスペシャリストでしたが僕の喋る「デタラメ語」とは、実は異なるシステムを持っていて、それも面白かったですし、何より北川さんと一緒にリハーサルを重ねながら丁寧にお互いの「違い」をつぶさに拾い合うことが出来たのが、とてもよかったです。

新作を作る時はどうしても「作品にする」ことに気を取られがちですが、再演の良いところはすでに作品の構造はできているので、肉付けの部分をじっくり考えることが出来ますし、今回は北川さんからアイデアをもらったシーンも沢山あって、再演の醍醐味を深くかみしめています。
機会があればまた再々演も見てみたいなと思っています。
お互いジジイとババアになって既に日常から「デタラメ語」喋ってたりしたらまた「デタラメ」の概念が覆るかも。。。

ひとまず今は今回のインプットの嵐にふらふらですが、ご参加頂いた皆様、Rire Yoga&kids dance studioの皆様、そして踊ってくれた北川結さん、関わって下さった全ての皆様に感謝を込めて、本当にありがとうございました!
https://www.facebook.com/events/1018946201515999/?ti=icl

2016/09/07

「体と言葉の研究会」中間発表 女性版“カイロー”と芸術家支援事業について

京都から東京に戻ると決めてから2年経ちました。2014年の今頃、KYOTO DANCE CREATION vol.3が終わって、僕は途方にくれていました。
 三年続けたこの企画は素晴らしい出演者に恵まれたにも関わらず、自分の力の無さのせいで大赤字。家賃も払えなくなり、実家に戻らざるを得なかったあの時、どん底だった私に声をかけてくれた人達の言葉を僕は今でも覚えています。
決して暖かい言葉ばかりでなかったその一つ一つの言葉が、今も僕を支えています。...

先日、僕が現在、お世話になっているRire yoga&kids dance studio の芸術家支援事業の一環で、元 株トレーダー、現ヨガインストラクターという異色の経歴を持つRYOSUKEさんによる「お金のプロに話を聞く講座」に参加させて頂き、凄くシンプルな自分の原動力について考えました。
どんなエンジンを積んで、どこまで走りたいのか?その為のリスクマネージメントにどれだけ向き合えるのか?という話。

京都を離れてから僕は、京都に後ろめたさを感じていました。自分を育ててくれた京都を急に裏切って、出て行ってしまったように勝手に思っていました。
でも先日、話しているうちに、もうそんなことよりも、自分がこれから何をして行くかの方が大事だと、改めて思えました。
長らくお世話になったアトリエ劇研の事も、京都の後輩や仲間達の事も、ずっと私の胸にあり、どうしたらいいか分からずにいましたが、ゆっくり見失わずにやって行けばいいと、昨日の話の中で思えたのでした。

お金のプロに話を聞く講座の筈が、最後には「どう生きるか?」という話になり、なぜかアントニオ猪木の話で〆 笑
有意義な時間を下さったRire yoga&kids dance studio のKOUさん、RYOSUKEさん、本当にありがとうございました!

ここのスタジオは単なるヨガスタジオの枠を超えて、本当の意味での“芸術家支援”に成功していると思います。ぜひ一度ヨガクラスも受けてみたい!
Rire yoga&kids dance studio
http://rire.tokyo

そして、この事業を始められたKOUさんは実は再来週、ここで開催される女性版“カイロー”を踊ってくれる北川結さんの大学の先輩です。
不思議な縁が繋がって人生は続いて行きます。
ゆっくりですが着実に、再来週に向けて頑張ります!

「体と言葉の研究会」中間発表 女性版“カイロー”イベントページ
https://www.facebook.com/events/1018946201515999/?ti=icl

2016/08/18

メキシコ公演を終えて

皆様、お久しぶりです。先日、無事ソロダンス『カイロー』メキシコ公演を終え、帰国いたしました。
現地での様子を簡単に(とはいえ少し長い文章ですが)お時間ある時にお読みください!

今回、クラウドファンディングにご協力いただいた皆様をはじめ、皆様に本当に暖かいご支援をいただいたおかげで渡航が実現し、本当に充実した一週間を過ごすことが出来ました。
本当にありがとうございました。
今後も皆様から頂いたご恩を、様々な形でお返ししていければと思っています。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。                              
                                                       京極朋彦

【メキシコ公演を終えて その1】

 改めて、昨日メキシコ公演から帰国しました。到着から荷物が空港に届かなかったり、リハーサルやスケジュール、当日の上演順などなど、ここには書ききれない程のトラブル尽くしの旅でしたが、世界中のダンサー、カンパニー、観客と出会えた素晴らしい旅でした。
僕の作品は二日間共、とても大きな拍手を貰い、フェスティバルディレクター含め様々な人に「素晴らしかった!」と言って貰えました。

「メキシコ人はスペインから独立してからずっと、自分のアイデンティティーを探している」これは今回、お世話になったメキシコの国際交流基金の方が仰っていた言葉です。...
そのためメキシコでは首都はもちろん地方、地域に至るまで文化政策にかなり力を入れているそうで、その背景には植民地時代から根強く残る格差や差別、治安の悪化などの問題を文化で乗り越えようという意志があるようです。

メキシコシティは都会ですが、郊外の街はまるで時が止まったかのような田舎町でした。しかしそこはヴィヴィットな色に溢れ、褐色の肌の人々が生命を謳歌するように暮らしていました。はためく洗濯物、市場の野菜、行き交う車には絵の具をぶち撒けたような原色の強さがありました。後でメキシコ人にその話をしたら「あんな田舎に観光客は絶対に行かない」とビックリされました。かなり危ない場所だったみたいですが、ザ・メキシコを体感出来て良かったです。
メキシコシティの中心(とくに私が滞在した辺りは東京でいえば銀座のようなブランドショップが立ち並ぶ区画)と郊外の私が訪れた駅の終点の街には大きな“差”があり、メキシコ人が辿って来た“アイデンティティーを探す旅”の片鱗を見た気がします。
地下鉄に乗ってみてもスーツを着たビジネスマンはスペイン系が多く、歌うような物売り、車内でギターを奏でるミュージシャン、物乞いなどはメキシコ系が多かった気がします。

 博物館ではマヤ、アステカに通じる先住民族の歴史を見る事が出来ました。国とは何か?歴史とは何か?土地とは?人とは?そしてアイデンティティーとは何か?それらの問いは確実に私の踊りの中に影響を及ぼしました。
短い間でしたがとにかく靴底をすり減らして歩く時間があって良かったです。

【メキシコ公演を終えてその2】

さて、話をフェスティバルに戻しますと、文化を国政の要と捉えているメキシコには年中、芸術祭、映画祭、音楽祭などがあり、もちろんダンスフェスもかなりあります。その中でも、僕が今回参加したフェスティバルのディレクターはとても若く、フェス自体も第一回目。各所に至らなさはありつつも(まあこの辺は自分も通って来た道なので人の事は言えません!)とても勢いのあるフェスで、観客からも凄く熱量を感じました。
ウィーンの時もそうでしたが、観客が終演後、直接質問や感想を言うために列をなして待っていてくれました。こういう現象はなかなか日本にはありません。あと、みんな色んな意味で距離が近い 笑
彼らと直接話せた事がとても嬉しく、長いフライトに耐えて来た甲斐があったなと思いました。
観客の中には今年TPAMのスピードネットワーキングで出会ったメキシコシティアートセンターの主任ディレクター、エレノ・グスマンさんが見に来てくれて、滞在中に実際彼のアートセンターも見学する事が出来ました。メキシコシティのダウンタウンに位置する丁度、横浜の急な坂スタジオの...ような施設で、音楽大学と併設し、ダンス専用の4つの稽古場と談話スペース、倉庫、事務所などを持った所で、メキシコのダンスを国際的に支えています。
一通り見学し終わった後、彼のデスクに座った瞬間「で、朋彦、いつ、また来る?スケジュールを教えてくれ。」と言われました。英語だし、彼のキャラクターと相まって、なんか海外ドラマのワンシーンみたいでしたが 笑
どこまで実現できるかわかりませんが、来年、メキシコシティでの滞在制作の話も出来、これから具体的な実現プランを練って行けそうです。

長い帰りのフライトで思ったのは、

もっと頑張らなきゃならない。
もっと強くならなきゃならない。
そしてもっといい作品を作りたい。
という事でした。
一人で一週間、誰も知らない海外で、公演をした。だから何なのか?
それで終わらず、次へ繋げる為にするべき事は山ほどあります。
ひとまずはお腹を壊す事も無く(ほぼ毎日色んな場所でタコスの食べ比べしてましたが)スリに会う事も無く(スリが本当に多いみたいです)無事に帰って来られて一安心です。
クラウドファンディングでご協力頂いた方々、各所で応援して下さった方々に深く御礼申し上げます。
今回の経験を元に再び創作活動に励みます!
ちなみに今回メキシコで上演したソロダンス“カイロー”を女性ダンサーに振り写す“女性版カイロー”の上演が9月にありますので詳細は以下リンクをご覧ください!
https://www.facebook.com/events/1018946201515999/?ti=icl
そしてこの長い文章を最後まで読んで頂いた皆様、ありがとうございました。

2016/06/05

「京極朋彦ダンス企画」メキシコ公演 クラウドファンディング開始のお知らせ

皆様、ご無沙汰しております。
新年のあいさつからすっかり更新を怠っておりましたブログを、下半期は頑張ろうと思います!

この半年間、横浜ダンスコレクションがあったり、富山、金沢、京都となんだかんだで駆け回っており、各地でさまざまなイベントを開催してまいりました「京極朋彦ダンス企画」から、この度、重要なお知らせがあります。それは表題にも書きました通り...

「京極朋彦ダンス企画」ダンス作品“カイロー”
メキシコ公演決定!!

です。
京極朋彦が2010年から、様々な場所で再演を繰り返してきたソロダンス“カイロー”がメキシコのダンスフェスティバルに招聘されました!

今回私が招聘されたMexico City First International Contemporary Dance Festival 2016は、2016年8月5日から14日の会期中、世界各国から選ばれたダンス作品が大小6つの劇場で上演されるメキシコシティー初のコンテンポラリーダンスフェスティバルです!


今回採用された世界各国の振付家のリストの中に日本からは唯一、京極朋彦の名前が右下にクレジットされています。



より詳しい情報は英語ですが、こちらからご覧いただけます。
 
 
このフェスティバルからは、現地での滞在費、食費は保証されているものの、東京ーメキシコ間の渡航費が出ません。決定したのが今年の4月末で、そこから応募できる様々な助成制度を探しましたが、日程が近いこともあり、応募できるものがありませんでした。そこで...
 
クラウドファンディングサイトから資金援助の募集
 
 
を行うことになりました。
もちろん単なる募金ではなく、ご支援いただいた内容に応じて様々な特典をご用意させていただいております。ぜひ一度ご覧になってください↓
 
 
 
このファンディングは6月5日(日)から開始し、7月5日(火)に終了します。
この日程内に目標金額に達しなかった場合は、ファンディングは失敗となり、メキシコ渡航を諦めなくてはなりません。
 
ソロダンス“カイロー”は大学からダンスを始めた私が、初めて公に発表した処女作であり、再演を繰り返すたびに作品自体に私が育てられてきたような、思い入れのある作品であると同時に、その先に行こうとしても、なかなか越えられない壁のような作品です。
そして今年から私は長い間研究、実践してきた「デタラメ語」をつかったダンスに一区切りを付け、さらに深く、その先に向うべく、長期的なリサーチプロジェクトを開始しようと考えています。
 
この作品をメキシコという新たな言語圏、文化圏で上演することで、改めてこの作品と向き合い、その先の展望を観てみたい。それが今の私の気持ちです。
 
クラウドファンディングサイトでは、今までの私の活動も掲載されており、昨年文化庁新進芸術家海外派遣事業、研修員として滞在したウィーンで製作した作品の映像も見ることが出来ますので、ぜひ一度、覗いてみてください。
そして、たとえわずかでも構いませんので、ご支援いただけたら幸いです。
 
皆様のご支援を決して無駄にすることなく新たなダンスの可能性を開くまで、精進してまいります。今後とも「京極朋彦ダンス企画」をどうぞ宜しくお願い致します。
 
京極朋彦ダンス企画主宰 京極朋彦

2016/01/18

2016年 今年の抱負


新年あけましておめでとうございます。
ずいぶん遅いご挨拶になってしまいましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
突然ですが2016年の私の抱負は「縁を大事にする」です。

昨年は2012年からつながった縁でウィーンに呼ばれましたし、日本国内も様々な場所に呼ばれて踊る機会を頂きました。人と人の縁を大事にしていれば、人間そう間違った方向には行かないんじゃないかなと思います。

なぜ今年の抱負が「縁」なのか、そしてなぜこんなに新年のあいさつが遅れたのか(汗)と言いますと。。。

実は年明けから私は島根県は出雲にダンス合宿に行っておりました。
私の今年初めの出演舞台は2月、横浜ダンスコレクション2016、コンペティションⅠ ノミネート作品『四角形のゆううつ』(振付・演出:伊東歌織)です。

この作品のリハーサルをするために私と振付家の伊東歌織さんで10日間、出雲に滞在しました。
写真はリハーサルの合間に訪れた稲佐の浜にある弁天様。それはそれは美しく、気持ちの良い場所であると同時に、少し神様に近すぎる恐怖というか畏敬の念を持ちました。

出雲という土地は言わずと知れた日本の聖地です。
この作品の振付家である伊東歌織さんが、なぜここ出雲で合宿を行うことになったかという経緯は話せば長くなるのですが、短く言うと、歌織さんの意向と、今までの活動が、出雲に住んでいる高須賀千江子さんとの縁をつなぎ、その不思議な力によって私も出雲に呼ばれた。そんな感じです。

少々掻い摘み過ぎですが、とにかく人と人の縁の力によって、いろいろなことが奇跡的に合致して今回の合宿が実現したということです。

そしてその縁の力には続きがあり、僕の母校、京都造形芸術大学の後輩との繋がりで大学時代にお世話になった方が立ち上げた温泉津神楽連中の稽古を見させていただくこともできました。嬉しい再会があり、ここにも強い人の縁の力を感じました。

そして私は今回の10日間の旅の中で、こういった縁というものは、本当に尊いものだなと感じました。
10日間もの滞在を快く承諾いただいた高須賀さんをはじめ、出雲の皆さんに本当によくして頂いて、本当に実りあるリハーサルができました。
東京ではなかなか確保できない広い稽古場が無料だったり、自然に囲まれながら長時間ゆったりとリハーサルができたりと、環境的には最高で、この土地での合宿が作品によい影響を与えたことは言うまでもありません。

そして何より人々の影響も計り知れません。リハーサルを見に来てくれて、お土産までくれたり、車でいろいろなところを案内してくれたり、出雲の歴史について熱く語って教えてくれたり、本当に出雲の人達は人間味にあふれていました。

私は出雲の人達に、人間の本来あるべき姿を見たような気がします。先祖を敬い、まじめに働いて、当たり前に助け合う。
東京に帰ってきて、雪の中、スマホに視線を落とし、背中を丸めながら移動する黒みがかった人々の群れを見た時に、これは果たして人の本来あるべき姿なのか?と改めて考えてしまいました。

私は高校まで育った東京が嫌で京都の大学に進学し、その後10年京都に住み、去年から仕事の都合でまた東京に帰ってきたものの、東京から受ける印象は高校の頃とほぼ変わっていません。

「芯を持っていないと倒れる街、東京」

京都でその芯をダンスと決めて帰ってきたものの、今でもその力は強く、たまに倒れそうになります。そんな時、今回の出雲や、昨年のウィーンなどに呼ばれる機会があると、腹にぐっと力が入り、起き上がる力をもらえるような気がします。

そしてそれらは皆、私を呼んでくれた人、出会った人、などの人と人の縁の力、何かを信じるとう問い力のなせる業であり、それには自分自身の行いがすべて関係しているのだと思います。
今まで私の周りには離れて行ってしまった人もいるし、合わなかった人もいます。それらも含めて縁の力であり、それは自分自身が作っていく力でもあるのだと思います。

だからこそ今年もよい縁に恵まれるように、今ある縁を大事に、さらなる縁を結んでいけたらと思うのです。
長くなりましたが、ここに自分への戒めの意味も込めて今年の抱負を書き記しておきます。
最後に合宿に連れて行って下さった伊東歌織さん、本当にありがとうございます。
おかげで今年の抱負をバシッと決めることが出来ました!2月、ダンサーとして頑張ります!

皆さまにおかれましても、2016年がよい年でありますように!!
今年も様々な場所で皆様のお目にかかれますよう、精進してまいります。

京極朋彦

2015/11/26

ウィーン滞在、talking about it Vienna editionを終えて

「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」は似ているようで全く違う。欲望として前者は僅かな遅れをとり、後者は先制をとる。

「先制をとる」という言い方はあまり穏やかでないが、人と何かを成し遂げるとき、人を動かす立場になった時、「先制をとる」ことは「クリアーな物言い」と言い換えられる。
互いの尊厳を守りつつ、大事な事は包み隠さず、クリアーに伝える。それが出来る関係性を築く事も含め、これが出来てやっと人と対話が始まるのだと思う。

人を動かすのは「会話」ではなく「対話」だ。

もちろんクリアーな物言いが出来る関係性を築くまでには「会話」という潤滑油は必要ではあるが、会話だけでは結局、表面上の形式的な関係性で終わり、その人自身を動かす事ができない。
制度や給料で辛うじて繋ぎ止めていられるだけで、それらが崩れれば、関係性も終わる。
人を動かす事ができなければ結局、自分が忙しく動く事になり、全体のパフォーマンスは落ちる。


逆に自分が誰かの為に動く時、「自分が何がしたいか?」が時として邪魔になるのは、一度でも人の上に立つ立場になった事のある人なら察しがつくだろう。
だからと言って「自分に何が出来るか?」だけを考えすぎていても、相手との創造的な未来は見えてこない。

上に立つ立場の者とその下につく者。図式的にはピラミッド型になりがちなこの関係性を、より良いものにする為には両者の間に横たわる、明確な関係性が重要になる。

「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」
前者には繊細なアンテナが、後者には鈍重な豪腕が必要になる。

私は合計二ヶ月に及ぶウィーン滞在において、このことを改めて実感した。文化も言葉も違う相手と何かを成し遂げるという、途方もない作業の中で私が学んだ事は大きい。

そして他者との対話の中で、己の欲望を如何に練り、如何に精製出来るかで、人との関係性はもちろん、作品の強度も変わってくるということを身をもって体感した。

今回私はウィーンのダンサー達に、今まで日本人ダンサーにはぶつけられなかった言葉を無意識のうちに吐いて来たように思う。
それは単に私の英語力がないため、遠慮した表現が出来ないという事もあるが、それだけの事ではない。

この作品の初演は三年前で、ウィーン再演が決まってから京都と東京でクリエーションワークショップをそれぞれ24時間やった。同じ作品を異なるダンサーと共に何度も上演する内に、私の中で練られた言葉と、三年前に言えなかった言葉がやっと朧げに、表に出て来る感覚があった。

正直に言えば私は今まで、作品作りに於いても、先制を欠いていたのだ。
つまりは「自分に何ができるか?」に脚を取られ「自分は何がしたいか?」というクリアーな言葉を吐けずにいた。
それがやっとウィーンという異国の地で追い詰められて、初めて吐き出されて来たのだ。
全く自分のスローペースぶりには幻滅させられるが、それだけこの作品には私の根本的なダンスへの思いが込められていたのだと思う。複数のダンサーに振り付けた初めての作品だけに思い入れも強い。

こちらでのリハーサルで、ある時、自分の言葉がダンサーの中で弾ける瞬間を見た。それは本当に音がしそうな程の炸裂具合で、私は振り付けの意味を初めて知ったように感じた。
言葉は己の欲望を体内で精製し、結晶化した弾丸のようなものだ。使い方を誤れば人を殺しかねない。ただ、良き言葉を練ればそれが届いた時、相手の中で散弾の如く弾けることを知った。

時間がかかった。
わかるまで。信じられるまで。
「自分に何ができるか?」と「自分は何がしたいか?」の違いを知るまで。
人と何かを成し遂げるとき、人は仏のままではいられないこと。
時には修羅の如く、闘わなければならないこと。
遅すぎると笑われるかもしれないが、頭でわかっていることを実感を持って体感できたことは財産だと思う。

私はこんなにも時間をかけて、こんなにも故郷を遠く離れて、やっと「対話」の意味を知った。
私は今までの私を恥じると共に、これからも他者との対話の中で、自分の言葉を練って行こうと思う。

ウィーンの観客席からは惜しみない拍手が鳴り響いた。
それはあの日のリハーサルで、ダンサーの体のなかで弾けた言葉の炸裂音と、とてもよく似ている気がした。
この音を聞きたくて、私は再び新たな作品作りに向かうことになるだろう。きっと、やめられない。


2015年11月26日 京極朋彦