2020/11/19

「ASIA / N / EES / ES」Online Project に寄せて


コロナで人に直接会えなくなってから「時間」というものを改めて考えるようになった。

一日は24時間で、一年は365日。
世界には標準時間というものがあり、時差が存在する。
Zoomで同じ画面に写っていても「人は人と違う時間を生きている」。
 
と、されている。
が、どうだろうか。

量子力学的に言えば「時間」は存在しないとされ、コロナで会えない私達は、互いに認知できなければ、存在しないことになる。
私達が「存在する」ためには「互いに見合わなければならない」。
私達が認知するときのみ、私達は存在し「今」が存在するが、認知し合わなければ、あるのは「無」だという。
 
と、されている。
どうだろうか。
 
定められた「時間」への疑いと、「時間」自体への懐疑。
コロナ以前から抱えていた問いの感覚が、コロナ以後のこの数カ月で更に鋭敏になった。
 
コロナで今までの「時間感覚」がズレた。
急に時間を持て余したり、長い時間待たなければならなかったり、かと思えば今までとは異なる時間の流れが押し寄せたり、今まで以上に急かされたり。
体内時計と世界標準時間の関係が崩れたと言ってもいい。
 
それによって、じゃあそもそも、「時間」ってなんなんだっけ?
と、改めて問うてみたい。
 
この問い立てに至るまでには、私が東京から兵庫に移住して3年経ったという事が、大いに関係している。
大自然に囲まれた兵庫の山奥での時間感覚と、巨大なビルに囲まれた東京のそれとは大きく異なる。
 
更にここ四、五年で、世界中の異なる地域の人々とクリエーションを共にする機会が増えたことも、深く関係しているだろう。
 
明日の朝に届くよう、ウィーン宛のメールは前日の夕方には英訳、下書きしておくこと。
同じタイムゾーンに属しているとはいえ、韓国と日本の夕日は少し違って見えること。
二時間の時差があるとされているフィリピンのジョークは、日本でも笑えるということ。
 
更にコロナで一番身近な人との「時間」の変化も深く影響している。
奥さんと家にいる時間が増えたことで、いくつかの作品と、相当数のケンカと、強い絆が生まれた。更になぜか猫が我が家にやってきて、我が家の時間軸は三本になった。
寧ろ、猫の時間軸に、今や我々夫婦の「時間」はコントロールされていると言ってもよい。(猫好きの家は少なからず、皆そうであるように)
 

そもそもダンスの振付や、舞台芸術というものは「時間芸術」とも言われており、上演時間を演出し、時間の概念を引き延ばしたり、縮めたりする仕事でもあるため、「時間」をどう構築するか?を考えることは、私たち舞台芸術に関わる人間にとって日常茶飯事なわけだが、そもそも「時間とは何か?」という問い立ては、それこそ"時間の無さ"にかまけて、スルーしがちな問いでもある。
 
今年は足を止めて、それを考える「時間」が多かったように思う。
 
更に今年は自分の本業を忘れるぐらい、書類と映像、そしてお金の計算にかける「時間」が多かった。

未来の時間に向けて書類を作成する事。過去の日付の領収書を整理する事、時間を編集して、慣れない映像を作る事、過去の時間をお金で買う事。時差を考慮したクリエーションを行う事。あらゆることが「時間」という問いと紐付けられる。
 
「時間」とは何か?
 
私はその答えを出すことよりも、その問いを立てることで、何か新しい創造を行うことが出来る気がして、昨年クリエーションを共にしたアジアのメンバーに、この問いを投げてみることにした。

丁度その頃、メンバーの一人が、私が彼らが帰国するときにプレゼントしたコーヒー豆(父が自家焙煎し、販売している)が切れたという、他愛もないグループチャットから、コロナ禍での皆の近況報告が始まったところころだった。
 
せっかくなら皆の顔をみて話したいという事で、メンバー全員がオンラインで集まった6月、フィリピンの演出家とアジア5ヵ国のメンバーで昨年創作した舞台作品『ASIA / N / EES / ES』のメンバーと、オンラインで創作を行うプロジェクト「ASIA / N / EES / ES」Online Projectは発足した。

まず私が「時間」に関するテキストを書き、ダンサーに送る。
それを元にダンサーにいくつかの映像素材を撮影してもらう。
更に私のテキストを元に即興で踊ってもらった映像も送ってもらう。
次に二人のダンサー同士が、その映像を「見合って」、模倣した映像を撮影して送ってもらう。
最後にそれらの映像を私が編集する。
という行程を経て創作されたのが、この『Time 1』という習作である。


「1」と題したからには「2」、「3」と他のメンバーの習作も準備している。
 
この習作たちが今後、どのような展開を見せるのかは分からない。
何気ないコーヒーの話から始まったこのプロジェクトは先を急がない。
寧ろそこは、じっくり「時間」をかけて取り組んでいこうと考えている。
 

「時間」とは何か?
 
人種や性別、国や文化を超えて、その問いに対する答えではなく、一つの応えとして習作を積んでいくこと。
これもまた一つの「時間芸術」としてのダンスであると言ってみたいと思っている。
 
 
そして最後に、私はこの長い文章をここまで読んでくれた方に、ぜひ見て欲しいサイトがある。
私よりもはるかに先に「時間」への感覚を研ぎ澄ませ、日々の感覚を記録し続けていた、私の奥さんであり、ダンサー・振付家の伊東歌織が立ち上げた、covid-19以降の感覚の変化について探る/振付家によるアーカイブプロジェクト
のサイトである。
 
彼女はこのコロナ禍での感覚をまるで、一つ一つの時間が、水滴が零れ落ちるようにゆっくりと流れ、深い淵の底から世界を見つめているような気分だったと語っており、さらに私が私のために時間を過ごすことが許されたと感じた」と書いている。

ダンスや舞台をやっている人間は、一般的には「やりたいことをやれてうらやましい」と言われるが、舞台芸術に関わる人間ならば、わかるだろう。

「やりたいことだけでは生きていけない」ことを。

「私が私のために時間を過ごすことが許されるとはすなわち、如何に人は普段から「他人のために時間を奪われているか?」ということを浮き彫りにする。
 
ソウル、東京、兵庫のアーティストが紡ぐ「時間」と「感覚」についての記録。
そこには「時間芸術」に関わる三人のアーティストの、丁寧で繊細な感覚の軌跡が見て取れる。

サイト内で見られる映像作品『三つの窓ー세 창』は勿論、


全てのページのコンテンツを一つ一つをじっくり見ることをお勧めするが、特にVideo Calendarのページの映像をすべてクリックして、同時に動画を再生した時の体験は「時間」のシャワーを浴びているような感覚を引き起こす。ぜひ体感してほしい。
 
このサイトは、通常運転に戻りつつある日本における「時間」について、あの時と何が変わって、何が変わっていないのかを、今一度考える機会を与えてくれる。

(サイトは日々更新しているので、定期的に訪れるのも良し、人にシェアするのも良し。ちなみにURL、https://odiodi-rhythm.com/の「odi」は韓国語で「어디(どこ)」を意味する)

これからコロナがどうなって行くのか、私達の「時間感覚」はどう変化して行くのか、正直先は読めない。
ただ私達がもし量子力学曰く「認知し合わなければ存在出来ない」としたら、他者を見つめるだけでなく、他者に見つめ返されなければならない。
この私のブログも、伊東歌織のサイトも、誰かに認知されなければ存在しないことになる。

と、されている。
が、どうだろうか?

自分自身の中にも他者が存在し、自分自身の中にも異なる「時間」が流れているとしたら。

私達がひとり、記憶を見つめる時、記憶は私達を見つめ返すだろうか?

私が脾臓に思いを馳せる時、脾臓は私を思うだろうか?

「時間」を問うことから、自己と他者を問うことへ。
コロナ禍とはいえ、私の創作の種は自粛するどころか、そこかしこに芽吹き始めている。

2020/06/08

U-25 オンライン ダンスクリエーションワークショップ 10 years before to 10years after 開催のお知らせ


4月から京都で開催予定だった「U-25 限定 ダンスクリエーションワークショップ 10 years before to 10years after」が京都市の「新型コロナウイルス感染症の影響に伴う京都市文化芸術活動緊急奨励金」の支援を受け、動画配信によるオンラインワークショップとして開催できる事になりました。
10回、毎週、私、京極朋彦から配信される動画を元に、参加者各自が自宅でクリエーションを行います。
クリエーションは強制ではありません。動画をただ見るだけでも構いません。大事なのは刻一刻と変化していく状況の中、健康とクリエイティビティを維持し、失わないことです。
Zoomでのオンタイムでのワークショップは行いませんが、期間中、よきタイミングで希望される参加者の方とZoom交流会、質問会なども開催予定です。この時に自分で撮った映像をみんなでシェアしてみるのもいいかもしれません。
この期間で各自が作りだしたモノを元に、コロナ禍 収束後、実際に会ってクリエーションをし、出来たら公演もしたいと思っています。
25歳以下で、ネット環境にある方で、ダンス、演劇に限らず、作品創作に興味のある方は、どなたでも参加できます。
以下の予約フォームからお申し込みください。沢山の方のご参加、お待ちしております。

U-25 オンラインダンスクリエーションワークショップ 
10 years before to 10years after申し込みフォーム

https://forms.gle/ZGrWGWgrKNDj8QyG8

<概要>
2020年6月12日(金)から、週一回、全10回配信される京極朋彦の動画を元に、参加者が自宅で行う「また会う」日のためのダンスクリエーションワークショップ。
期間中、Zoom質問会、交流会も開催予定(希望者のみ)

<場所>
京極朋彦自宅 ⇄ 参加者自宅

<実施内容>
京極朋彦が今までの活動の中で育んできたダンス創作の方法を、全10回(一回20分)の映像配信の中で紹介し、参加者とのやり取りの中で、自宅にいる参加者と共にダンスワークショップと創作を行う。
創作は任意とし、強制はしない。希望者は自分で撮った映像を参加者にシェアすることも出来る。
更に、事態収束後に実際にオンラインで創作したものを元に、京極と参加者が直接会って、創作を深め、実際に発表公演を行うことも視野に入れている。

<参加資格>
25歳以下のダンス、演劇に限らず、作品創作に興味のある方でオンラインでの受講が可能な方。(創作の継続、および発表公演参加は任意とする)

<参加費>
 無料
京都市の「新型コロナウイルス感染症の影響に伴う京都市文化芸術活動緊急奨励金」により、無料配信が可能になりました。コロナの影響を受けても、アーティストの存在価値、技術の修錬と蓄積の価値は決して“希薄”にしてはならないと考えています。京都市の迅速な対応に、深く感謝申し上げます

<申し込み期限>
8月14日(金)第十回配信まで随時受付
※6月12日に第一回配信が始まります。
動画はグーグルドライブフォルダーにアーカイブされますので、第一回に登録が間に合わなくても、過去回を遡って、いつでも好きな時に繰り返し見ることができます。

<スケジュール>(予定)
2020
6月12日
第1回 動画配信開始(以後毎週金曜日に配信)

7月10日
5回 動画配信後にオンライン質問、交流会を開催予定
(以後、任意で参加者からの動画の配信と共有を開始)

8月14
10回 動画配信後にオンライン質問、交流会を開催
今後の活動について参加者と協議

<問い合わせ>
kyo59.1201@gmail.com (キョウゴク)

<主催>
U-25 オンライン ダンスクリエーションワークショップ 実行委員会
代表:京極 朋彦

<共催>
島田幹大、三木心力



押し寄せる“オンライン化の波”の中で、沢山のファンがいるわけでもなければ、名のある受賞歴もなく、電話すら苦手な私に、オンラインで何ができるかは未知でした。しかし様々な国を跨いで創作をしてきた経験から、少し時差のあるやり取り。つまりは“オンタイム”ではないアナログの往復書簡のようなやり取りを通じて、私が得た先達の教えを今まさに作ることを始めた若者に“繋ぐ”ことはできると思いました。

10年前、自分が欲しかったものを、今、当時の私よりもはるかに厳しい状況で、何かを作り出そうとしている人たちへ、敢えて“時差のある定期便”を送りたいと思います。


そして今回、共催者に名乗りを上げてくれた、私の母校の遠い後輩二人に感謝の意を込めて。どうぞ、よろしくお願いいたします。
京極 朋彦




2020/03/22

U-25 限定 ダンスクリエーションワークショップ 10 years before to 10years after 開催に向けて




2020年4月から京都にて、毎月一回ペースでダンスクリエーションワークショップというものを、京都の学生とダンサー・振付家の京極朋彦が共催します。 詳細はこちらのイベントページをご覧ください!
今回のU-25限定 ダンスクリエーションワークショップでは、U-25以外の方で、興味を持っていただいた方のために「見学者枠」というものを設けています。

わざわざ、そんな設定にしたのは、なにも、若者だけに体を動かして欲しいとか、年長者に口を出してほしくないとかではありません。



大きな理由としては、意識的に25歳というラインで参加者と見学者に分けることで「10年後の未来について、あるいは10年前の過去について」参加者と見学者が一緒に考える機会を作ってみたいと思ったからでした。


さらに今回設定した二日間のプログラムのうち、「教える、教わる」というある種の権力構造からなる一日目の「クラス」と、全員が平等な立場で参加できる実践型講座である二日目の「ワークショップ」という場の定義づけを、「見学者」という外の目から見てもらい、より明確にしたいという思いもありました。



日本では割とこの「クラス」と「ワークショップ」の違いが混同されていて、それが実は舞台業界の微妙なパワーバランスを悪い意味で形作ってきた、一つの要因にもなっていると感じています。ある種の「閉じた空間」の中で、権力構造が無意識化、日常化、ブラックボックス化されてしまっている。始まりはとても些細なことかもしれませんが、長い目で見た時に、場を開くこと、可視化することは重要なことです。



更に、このワークショップを「第一期」と銘打ったのにも訳があります。

それは、今回のワークショップで集まったU-25の参加者達がゆくゆくは自主的に、このプログラムを運営し、二期、三期と続けていって欲しいと思ったからです。

時間はかかるかもしれませんが、このプログラムが、やがて参加者の興味関心の元、次の新たな講師にオファーしたり、自分たちでワークを開発したりできるような場になるといいなと思っています。



ともあれ、これは今や年長者側になってしまった私のエゴであり、そのような「場」の設定自体が、先ほど書いたようなある種の「権力構造」を生み出してしまう古い考え方かもしれません。やんわり言えば老婆心。

もっと強く言えば年少者へのプレッシャーを与えてしまうかもしれません。

だからこそ、参加者、見学者含め、集まった人たち次第で、今後が私の手を離れて決まっていくような仕組みを作りたいと思っています。



私は「自分で自分自身を育てる環境を獲得していくことは、アーティストにとって作品創作とは別に鍛えるべきスキルだ」ということを、私自身の経験から学びました。そんなこと、誰も教えてくれませんでした。



それは別に「正解を誰も教えてくれなかった」という“恨み節“ではなく、たとえそれを早くから字面だけで知っていても、経験が伴わなければ意味のないことだったかもしれません。更に言えば、それが全てのアーティストにとっての正解であるとは限らない。しかも私自身のその経験も、常に移ろう時代の中でこれからも通用するか、しないかなんてわかりません。



しかし、現実問題として、今の若者の意見を聞けば、年長者が独占している助成金や、選ばれた者だけが使える稽古場、そこを目指せと教える先輩や先生、そこにたどり着かなければ存在価値すらないというプレッシャーは存在し、彼ら、彼女らを苦しめています。そしてそのことによって「自分に合った創作環境」を探し、獲得して行く事よりも「既にある創作環境に見合った作品を作らなければならない」という思考回路に無意識的に陥ってしまい、それができないと創作自体を諦めてしまうという悪循環に陥ってしまう事例があることは確かです。



そんな今の若手の現状は、何が正解かはわからないとはいえ、少なくとも良い状況とは言えない。



年長者から見れば、そういった苦しい時期を自分も経験し、乗り越えて、やっと獲得した環境、たどり着いた境地を、容易に手放すことができないのは当たり前ですし、優れた舞台芸術の輩出のためには、こういったある種の「淘汰」はいつの時代も必然であり、必要なのかもしれません。



しかし、そこからこぼれ落ちた者たちに未来はないのか?環境を獲得できないアーティストは辞めていくしかないのか?勿論、私はそうではないと考えています。



そういった者たちの中から、自力で自身を育てる環境を切り開いていくものが現れ、思いもよらないところで、これからのダンスの可能性が生まれてくるという考えは、実は新しいことではないし、既に様々な先輩方が気づき、実際に現場は動き始めています。

さらに昨今のコロナウィルスパンデミックおよびインフォデミック(デマ情報の拡散などによるパニック)によって、ダンスを取り巻く環境も日々変化していっています。



今後もコンペティションやパワーバランス、ヒエラルキーのピラミッドは無くならないし、一般的に舞台芸術は選ばれた頂点の人々だけが享受出来る、高級嗜好品であるという考え方も根強く残っていくでしょう。


しかし本当に問題なのは、表に出てこないヒエラルキー構造や、既に古い考えでは捉える事が難しくなっている現実に対し、旧来の価値観が慣習的、あるいは年功序列的に作用し、場が閉じていくこと。それがタダでさえ苦しい若手を、さらに苦しめるだけでなく、ゆくゆくは舞台芸術界を先細らせるという事です。

多くの若手育成を謳った企画が、結局 若手と年長者の確執“を生んでしまったり、長く続くカンパニーが実はダンサーの未来を緩やかに奪っていたり、年長者と年少者が同じアーティストとして本当の意味で対等に向き合える場は意外と少ないのが日本の現状です。


私自身、ある意味「若造」、ある意味「年長者」と呼ばれる年齢になり、正直、正解はわかりません。

次の10年のために、今できることは何でしょうか?

若いアーティストが、誰に圧力をかけられるわけでもなく、どこにおもねることもなく、自分自身の自由と、環境を守り、創作をしていくために、私達にできることは何でしょうか?

そんな考え自体、年長者の奢りでしょうか?

私はただ、今回のプログラムが、私を含め年長者、年少者、双方が考える機会になればと思っています。

少なくとも、こういった問題を場に出し、開くことには、意味があると考えています。


毎度のごとく長々と書きましたが、最後に、今回のようなプログラムを、母校である京都造形芸術大学の学生と共催させていただけることに感謝しつつ、しばらく京都を離れたものとして、京都の舞台芸術界の10年後、100年後が豊かであることを切に願って、この文章を結びたいと思います。

当日、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。どうぞよろしくお願します。

参加のご予約、問い合わせはこちらからどうぞ!




京極朋彦

2020/03/01

『杉だよ!エエトコ音頭』完成への軌跡

去年9月に予定していた銀の馬車道 神河でのイベントが台風で中止になってから半年。
リベンジをかけた15日もコロナで中止。

イベントで披露される予定だった「杉だよ!ええとこ音頭」も残念ながら披露できなくなってしまいました。
それでもありがたいことに、神河町の皆さんが、企画からゲストのオファー、チラシ作成、コンテンツ作りまでやってきた奥さんを「労う会」を開催してくれるそうです。

暗いニュースばかりなので、せめて僕ら夫婦と地域住民の方々、友人のアーティスト達で頑張って作ってきた神河町のオリジナル盆踊りが出来るまでの軌跡をまとめた映像をここに上げておきます。

これからの時代、アーティストに出来る事は何か?問われているようなこの週末。

もし出かけられずに、暇を持て余している方がいましたら、いつも通りの、僕の長い解説文も合わせて読んで頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします↓↓↓


【神河町杉地区住民とダンサーの伊東歌織(京極歌織)による創作盆踊り
『杉だよ!エエトコ音頭』が完成】

20197月、兵庫県でもっとも人口の少ない町、神崎郡神河町杉地区にて、住民とアーティストが協働で創作した新しい盆踊り『杉だよ!エエトコ音頭』が完成した。


事の発端は2017年、東京のダンサー、振付家の伊東歌織(本名:京極歌織)が、神河町の理学療法士が考案した高齢者向けの介護予防運動と、神河町の自然や特産を取り入れた振付をかけ合わせた「かみかわハート体操」を創作した縁で、東京から「地域おこし協力隊」隊員として神河町に移住してきたことに遡る。

伊東はダンサー、振付家という今までのキャリアを生かし、地域おこし協力隊員として町役場の健康福祉課に所属しながら、体操を通じて地域の高齢者の介護予防や健康促進に尽力するだけでなく、2018年、神河町杉地区の有志の女性によるシニアダンスグループ「チアバーバ」を設立。地域のお祭りや道の駅のイベントで発表を重ねてきた。

そんな杉地区の住民と伊東が創作盆踊りを作ることになった経緯は2018年の夏、杉地区の夏祭りに伊東が、夫であり同じくダンサー、振付家の京極朋彦と共に参加した際、出会った、地域に伝わる盆踊り「ちょこちょい音頭」から始まる。


このちょこちょい音頭がなぜ神河町でも、杉地区にのみに伝わり、今も踊られているのかは、調べたものの未だ不明であるが、円形になって内側を向き、短いフレーズをひたすら繰り返すこの踊りに、伊東と京極は魅了され、気が付けば踊りの輪の中に入っていた。


さらに杉地区には豊かな自然と「夫婦杉」と呼ばれる二本並んだ杉の大木のある「大年神社」を文化財として、地域を活性化させようという住民運動があり、小さな集落であることも手伝って住民同士の結束も強く、かつ伊東、京極のような、いわゆる「よそもの」を受け入れる懐の深さがあった。

このような要因が伊東夫婦と杉地区住民を深く結び付け、地域おこし協力隊員の枠を超えた、人同士の交流が深まっていく中で伊東は、体操だけでなく地域住民の文化意識に貢献する創作活動をしたいと思うようになっていった。そこで今回伊東はまず、友人の音楽家であり作曲家でもある京都在住のやぶ くみこ氏に「杉地区の歌」を作るワークショップを依頼した。

実は伊東はこれ以前に、やぶ氏をゲストに招いた「歌作りワークショップ」を健康福祉課の事業として町民向けに開催したことがあった。
やぶ氏の歌作りワークショップは参加者が主体となって歌詞を作り、メロディーも皆で話し合って作っていく。
あくまで参加者の主体性を重視しながら、タイトルまで参加者に決めてもらう。その見事な創作過程を知っていた伊東は、彼女を杉地区にも招くことで芸術、文化の面から住民の地元愛と誇りを高める事ができるのではないかと考えた。

そして20196月、やぶ氏を招いた歌作りワークショップが開催された。今まで伊東と深くかかわってきた「チアバーバ」に加えて彼女達の旦那衆、地域の区長を含めた男性陣も参加した。(彼らは後に+Ji〔プラスジー〕という名で公式表記されるようになった)


始めは緊張していた女性陣も、やぶ氏の人柄にすぐに打ち解け、戸惑っていた男性陣も、地域の山の名前や豊富な知識で歌の歌詞に貢献し、終始笑いの絶えないワークショップを経て、なんとたった一日で歌はほぼ完成した。この時、実はまだ伊東は杉地区の盆踊りを創作したいとは考えていなかったが、歌ができるや否や住民たちから「歌ができたら、今度は踊りやろ」という声が上がった。

杉地区の住民は自分たちのことを「お調子者」だと自称する。

しかしそのように彼らが口にするようになったのは最近のこと。実は伊東が町に来てからであった。

彼らの元々の気質が明るいということもあったが、女性陣を中心に結成された「チアバーバ」も実は伊東が仕掛けたのではなく住民の熱意に押される形で伊東が指揮をとることになったというのが事実。
その時に伊東が口にした「杉地区の人たちは本当に、なんていうかお調子者ですよね」という何気ない一言を彼女たちが気に入って以来、彼女達は自分たちを「お調子者」と呼ぶようになったのである。

こういった経緯を、そばで見てきた私は、この「お調子者」という言葉が実はとても重要なキーワードだったのではないかと考えている。

それは一見単なる冗談と言ってしまえばそれまでだが、実は彼女たちは自らを「お調子者」と名乗りはじめることで、仲間同士の連帯を強めると同時に、新たな、そして特別なアイデンティティーを獲得したのではないかと私は思っている。

妻でも主婦でも、高齢者でもない「お調子者」という新たなアイデンティティーが彼女たちに活力を与え、自己解放を生み、そのパワーが彼女たちの夫を中心とした地域の男性にも波及効果をもたらしているのは間違いない。そうでなければなかなか高齢の男性が歌作りワークショップに参加しようとは思わない。

そして、これは後々わかってきたことだが、そんな彼女らと長年連れ添ってきた夫たちもまた「隠れたお調子者」であることが発覚した。

つまり元々、年一回の祭りや、飲みの席でしか発動しなかった彼ら彼女らの「お調子者」スイッチがシラフで発動できる、新たな場を伊東が生み出したともいえるのである。

いくつになっても人は、人と関わりたいし、互いにふざけたり、認め合ったりしたいはずだが、年を重ねるごとにそんな機会は減っていくのかもしれない。

足腰が弱くなり、外出が減った高齢者が孤立するのは都会でも同じことだが、とりわけ家同士が離れている田舎では、車に乗らないと物理的に人と出会うことができないため、意識して外に出なければ、人とのコミュニケーションは減っていく傾向にある。

そんな中、私は「私らみんなお調子者やから」といってまるで子供のように楽しそうに集い、笑いあう住民たちを見ていて、嬉しい気持ちになった。

いくつになっても人は新しい生き方ができる。そんな希望をもらったような気がすると共に、健康であることが、いかに重要であるかを改めて再認識させられた。

我々「よそ者」が町に来たことで町の「お調子者」が顔を出した。この事実はとても小さなことではあるが、実は「地域活性化」という、今や単なるお題目と化したこの言葉の本当の意味に限りなく近い出来事であったのではないかと私は思っている。

少し話が脱線したので、話を戻そう。
歌が完成したのが6月、そこから伊東は出来上がった歌にどうやって踊りをつけていくか?を考え始めた。

しかし、この問いに対する伊東の答えは実はとても早かった。それは「歌と同じように、あくまで住民主体じゃないと意味がない。」ということ。

伊東が振付した「かみかわハート体操」は実は伊東自身が移住する以前に、町を何度か取材して作られたものだった。その為、伊東の中にも「よそ者」が作った体操をどれだけ町民が受け入れてくれるかという不安があった。しかしフタを開けてみれば現在、多くの高齢者だけでなく、幼稚園や高校でも「かみかわハート体操」は踊られるようになった。

その背景には、伊東が移住後に町民との触れ合いの中で、より運動機能の発達と、地域文化に根付いた体操になるように、振付を対象者に応じてマイナーチェンジしたことが大きく影響している。

作ったら作りっぱなしの、いわゆる「ご当地ダンス」は一時期の流行で終わるが、「かみかわハート体操」はいわば「会いに来てくれる振付家」がいることで参加者に合わせた振付に毎回変更することができ、より深く、体を動かす喜びを伝えることができる。
伊東が移住し、町に住んだことで実現したこの「アフターケア」がこの体操が広まっていく上で重要な要因となっている。

大切なのは、人が考えた振付を間違えずに踊ることではなく、振付を「自分事」として踊ることだ。

そこで伊東は今回の杉地区の盆踊りも、住民たちが「踊らされる」踊りではなく「自分事」としての踊りにしたいと考えた。だからこそ、歌を作った時と同じく、振付のアイデアを住民から出してもらう「振付ワークショップ」を行うことになったのである。

とはいえどのようにして住民主体の踊りを作ればよいのか?伊東と私は頭を抱えたが、その時ヒントになったのは、冒頭にも紹介した杉地区で伝統的に踊られてきた「ちょこちょい音頭」だった。

伝統的に杉地区で踊られているこの「ちょこちょい音頭」には不思議な力がある。

全員が向かい合う内向きの輪で踊るため、振付がうる覚えでも、始まれば、互いに見合って、誰かが誰かを補う形で全員が踊ることができる。
実際に年一回しか踊らない「ちょこちょい音頭」を踊ってくれといわれて、一人で完ぺきに振付を踊れる住民は一人もいなかったが、いざ曲をかけて踊ってみると、全員が踊れるという不思議な現象が起きた。

このことに注目した私達はこの踊りの構造を新しい盆踊りの中にも組み込めないかと考えた。

ここからは私の妄想ではあるが、私はこの踊りには、集落での相互補助の精神を育てる機能があるのではないかと感じた。

一人では完ぺきではなくても、集まればできる。互いに助け合って、脱落者を出さない。

この踊りが今まで踊り継がれてきたのには、陰にこういった相互補助の精神が隠されているからなのかもしれないし、逆にこれを踊ることで、その精神が養われてきたのかもしれない。

踊りを見てそう思ったのに加えて、住民たちが作った「杉地区の歌」の掛け声部分
「ラッコー」「ラッキャー」「ベッチョナイ」という歌詞の意味は、地元の方言で
「大丈夫か?」「大丈夫だ」「大したことないさ」という意味だということも、私の妄想を掻き立てた。

これは何も特別なことではなく、常日頃から住民同士助け合って生きてきた杉地区住民の生活の精神が「ちょこちょい音頭」と「杉地区の歌」に自然と表れていたのである。

そうして、第一回目の振付ワークショップでは、大部分の動きは「ちょこちょい音頭」の伝統を継ぎながら、掛け声の部分に住民自らが出した振付のアイデアを差し挟むのが良いのではないかという案が京極、歌織の中で話された。

さらにはこの掛け声部分はその時代に合わせてアップデート可能なアイデアポケットとして設計することで、この踊りが伝統をキープしつつ常にアップデート可能なものとして、今後も世代をつなぎながら踊られていくようにしたいというアイデアが決まった。


そして「杉地区の歌」に登場する山や神社、自然や特産品を実際に写真に収め、それを見て思いつく動きを住民自らが作り、発表するというワークショップメニューが決まっていったのである。

第一回目のワークショップは私たちが思っていたよりも数倍豊かなものになった。その理由は、住民の皆さんが協力的かつ、得意の「お調子者」っぷりを存分に発揮してくださったからに尽きる。写真から振付を作る際には、こちらの思いつかないような振付や、見たことのないパーソナリティーが炸裂し、会場は終始笑いに包まれた。

更に第二回では、第一回に住民からでたアイデアを伊東、京極が振付に取り入れ、実際に踊ってみながら、住民の意見をもとに歌詞を改めて少し変えてみたり、曲のテンポを踊りやすいようにしたりという、マイナーチェンジをしていき、最後にタイトルも皆で協議して決定した。

更にこのワークショップが、より有意義なものになった経緯としては、伊東がこの出来事を出来るだけ客観視できるよう、ワークショップの講師を京極に依頼し、一歩引いた、いわばプロデューサー的な立場に身を置いたことにある。


住民と深くかかわってきた伊東と、それをそばで見てきた京極では視点が違う。その違いをその都度検証し、お互いの意見をぶつけ合いながら「振付ワークショップ」のメニューや方針を決めていったことが、今回とても有効に働いたと私は感じている。

結果として二回目のワークショップでは、同じ町内で三味線を演奏している方が伴奏で参加してくださり、生演奏での創作が実現したのも、伊東がプロデュース側に回り、何が必要かを見定めた結果だといえる。たまたまそうなったともいえるが、それを引き起こしたのは伊東の熱意と人柄が大いに人を動かした結果であることは間違いない。

そうしてなんと、歌作りから初めて二か月という驚異的な早さで『杉だヨ!エエトコ音頭』は完成した。

ちなみにこのタイトルも、かなり白熱した議論の末、決定した。

そこまで住民がこの踊りを「自分事」としてとらえれくれたということを、私たちはとても嬉しく思った。そして平成生まれにはわからない「8時だヨ!」のノリが微笑ましかった。

※追記:2019年11月、神河町の道の駅「銀の馬車道 神河」でのイベントの際、三味線奏者の東 婦美子さんに歌と演奏のご協力いただき、公式な初披露が行われた。

総じて今回、私はこの一連の出来事の中で、大げさかもしれないが「人はなぜ踊るのか?」という問いに対する答えの片鱗を見た気がしている。

盆踊りとは、もともと死者と生者を繋ぐものであり、人と人を繋ぐものである。

この『杉だヨ!エエトコ音頭』が伝統と現在、高齢者と若者を繋ぐ装置として機能し、その都度アップデートすることで時代をつなげば、盆踊り本来の力を再興させることができる。とってつけた外部発注の「何とか音頭」とは一線を画した、真の意味で踊り継がれる踊りが、その時代ごとに更新されていくはずである。

さらにもし、『杉だよ!エエトコ音頭』が100年後まで踊り継がれていたら、このレポートは貴重な歴史資料となることと思う。なんせ今回、杉地区にはそういった歴史資料がなかった。

だからこそ今を生きる私達が、伝統が消える前にそのともしびを継げたことが、今回何より良かった事だと思う。

優れた踊りは時に、その人の人生を変えてしまうほどの力をもつ。

現に杉地区の「チアバーバ」達が新たなアイデンティティーを獲得していっている姿を目の当たりにして私は、優れた踊りとは、若者や、鍛え上げられた肉体を持つダンサーによる超絶技巧だけをさすのではなく、このような形で人の人生を緩やかに、力強く変えるもののことを言うのだと改めて思った。

そして今、その船頭役として、伊東歌織は地域住民の人生を緩やかに、力強く変えていこうとしているのかもしれない。

人は踊るために生まれ、踊るたびに生まれ変わる。

そんな奇跡のような瞬間を間近で見られた私は幸運だった。

今後もこのような試みが様々な場所で起こることを願って、今回このレポートを締めたいと思う。ご協力いただいた杉地区の皆さん、やぶ くみこさん、町役場の皆さん、関わって下さった全ての方々に、感謝をこめて。
                                        
初稿:20198月 追記:2020年3月1日

京極朋彦

2020/01/01

京極朋彦による韓国伝統舞踊“ハンリャンム”のリサーチレポート


2020年 最初のブログは、昨年末、韓国でおこなった、韓国伝統舞踊 "ハンリャンム" のリサーチレポートを、掲載させていただきます。
このリサーチを今後も継続し、ゆくゆくは日韓共同制作作品の上演まで漕ぎつけられたらと考えていますが、ゆっくり焦らず、時間をかけて大切に進めて行きたいと思っています。
今年も自分にできることをコツコツと、やっていこうと思います。
毎度毎度の長文ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

☆滞在中の記録を映像にまとめました。
    手っ取り早く知りたい!という方は是非こちらをご覧下さい! → 韓国滞在まとめ映像

2020年 元旦 京極朋彦


2019ソウルダンスセンターレジデンシー 
日韓共同ダンスリサーチ「身体の往復書簡」

京極朋彦による、韓国伝統舞踊 한량무(ハンリャンム)のリサーチレポート


<はじめに>

私は今回、韓国の伝統舞踊「ハンリャンム」をテーマにしたリサーチを行います。2017年に初めてソウルダンスセンターにレジデンスアーティストとして滞在した際に、私は様々な韓国の伝統舞踊を見ました。中でも感銘を受けたのが男性のソロダンス「ハンリャンム」でした。外側は柔らかく、優雅で、内側は強く、しなやか。私はこの身体性に強く魅力を感じました。そして帰国後、2018年に「ハンリャンム」の身体性をもとにしたソロダンスを制作しました。タイトルは『DUAL』といいます。

私はこのタイトルを一つの体に、ハンリャンという高貴な男性の役柄とダンサー自身、柔らかい外身と強い中身、静と動、伝統と現代といった二重性を見せたいという思いをこめてつけました。また、このタイトルには、この作品をいつか、韓国人ダンサーとのデュエット作品にしたいという思いをこめて『DUAL』と付けました。

私はこのダンスで「ハンリャンム」をただ真似したり、簡単に韓国の伝統舞踊を失礼につまみ食いする気はありません。今回のリサーチで、じっくりと時間をかけて、韓国伝統舞踊を通じて、現代を共に生きる日本人と韓国人の共通点や相違点を見つけ、交換することから始めたい。更に来年以降、今回協力してくれたダンサーを日本に招待し、リサーチを続け、いつかこの作品をデュエット作品にしたいと思っています。丁寧に何度も交換を繰り返すことによって、一つの体から何重もの身体性が見えてくることを私は期待しています。


<実施概要>
2019年
 ・3月、2019ソウルダンスセンターレジデンシー公募に応募
 ・4月、選出決定
 ・10月、ハンリャンムを踊れる伝統舞踊経験者を公募
 ・11月
  21日、ソウル到着
  23日、24日、オーディションワークショップ開催
  27日、リサーチ開始
 ・12月
     7日、リサーチ報告会を開催




公募、紹介などを経て、オーディションワークショップには4名のエントリーがあり、1名スケジュールの都合で参加できなかったので、残りの3名(男性1名、女性2名)を共同リサーチメンバーとして決定し、10日間のリサーチを行った。

リサーチ報告会では3名のダンサーと京極の4名が約30分のパフォーマンスを行い、10名の観客と、伊東のリサーチ参加者2名を含めた合計12名が鑑賞した。



<リサーチ前に参加者に投げかけた質問>


1. あなたはなぜ韓国伝統舞踊を始めたのですか?
2. あなたはなぜハンリャンムを踊り始めたのですか?
3. 伝統舞踊はあなたの生活や、現在やっていること、人生と、どのような関係にありますか?あるいは伝統舞とあなたとの間には距離がありますか?
4. 踊りを見せる以外の方法でハンリャンムを知らない人に説明するとしたら、どのように説明しますか?
5. ハンリャンムを踊る上で最も重要なことは何ですか?
6. あなたの国での、今最も大きな問題は何ですか?それについてのあなたの意見を教えてください。
7. あなたが今、個人的に抱えている最も大きな問題は何ですか?どんな些細なことでも構いません。
(参加者によってさまざまな回答があり、非常に興味深かったが、個人情報として公開は控えます。)


<リサーチ開始時にダンサーに伝えたこと>


今回の研究では、結果を急ぐことなく、私たちの出会いによって私たちの体に現れる感覚に焦点を当てたいと思います。そしてもちろん、私はこの研究で「ハンリャンム」について知りたいです。しかし、それ以上に、私はあなた自身について知りたいです。なぜなら私の最大の質問は「なぜ人は踊るのか?」だからです。
あなたは韓国の伝統舞踊にどのように出会い、なぜ韓国の伝統舞踊を踊るのですか?

そして、なぜ現代的なダンスもするのですか?
あなたはすぐに答えを見つけることがでないでしょうし、もちろん私も同じです。

しかし、私はあなたのルーツが何であるか、あなたはどこから来たのかについて、今回の調査を通して私と一緒に考えて欲しいと思います。


<リサーチメニュー>

・各自の学んできたハンリャンムについて話しあう
・互いのハンリャンムを真似しあい、その違いについて話し合う
・韓国伝統舞踊の基本の呼吸を学ぶ
・ダンサー個人を知るために、まずは自己紹介がてら即興で踊りあい、お互いのダンスを感じあう。
・京極がハンリャンムの身体性からインスパイアされて創作したダンスを参加者に見てもらう
・事前に投げかけた京極の質問に対する答えを参加者同士で共有し、話し合う
・ハンリャンムの動きと呼吸を分けてみることで、身体性を分析する
・ハンリャンムのハンリャンという役、あるいはその身体性だけを残して、違う動きの即興ダンスができるかどうか試してみる
・韓国伝統舞踊という基礎をもとに、それぞれが行っている創作活舞踊について話し合う
・それぞれの創作舞踊を見合う
・それぞれの創作舞踊を真似しあうことで、韓国伝統舞踊という基礎と各自の創作舞踊との関係性を探る
・ハンリャンムの身体性を残しつつ、京極が各自に与えたキーワードをもとに即興で踊る
・リサーチした内容をもとに、レクチャーパフォーマンス形式で発表を行う



<リサーチの過程で発見したこと>

ハンリャンム自体、韓国伝統舞踊の長い歴史の中でつくられた創作舞踊であることが判明。
(同時期にレジデンスアーティストとして滞在していた韓国人振付家のスンミさんが私に見せてくれた韓国の古い農民の素踊りの映像からも、ハンリャンムに近い身体性が垣間見られるため、すべての韓国伝統舞踊の原型はこういった農民の素朴な踊りから派生していったのではないかという推測ができる)

今回の参加者がハンリャンムを学んだイミジョ先生やグシュウホ先生は、ハンリャンムを舞踊として確立したパイオニアだが、彼らの以前にも長い歴史が存在し、ハンリャンムの本当の起源は特定しづらい。それぞれの先生によって「ハンリャン」という題材は同じでも創作者によって踊りも音楽も違う。

イミジョ先生のハンリャンムは中性的で柔らかい動きと優しい表情が特徴で、グシュウホ先生はまっすぐな姿勢と喜びを表現した力強さが特徴。ハンリャンは昔の両班という役人を差す言葉だが、一般的に「ハンリャン」は怠け者やルーズな人を揶揄する言葉として、今でも使われることがある。一般の人はそういった意味でハンリャンの言葉の意味を知っているが、ハンリャンムを知っている人は伝統舞踊経験者か、伝統舞踊に興味のある人だけで、あまり広くは知られていない。

振り付けには意味がある部分とない部分がある。例えば山の稜線を扇子で描くところがあったりする反面、形がきれいだからという理由で採用されている動きもある。

韓国伝統舞踊では「呼吸」が最重要視され、すべての動きが呼吸とリンクしている。かかとに重心を置き、地に足が着いたときに胸のあたりを拡張するように息を吸い、吐くときには丹田(お腹)を閉めるようにして息を吐く。吐いた呼吸はかかとから地面を通り、地下深くまでつながる。吸うときは、地下深くから放心円状に広がって上昇した空気が、頭のてっぺんから再び体に入る。


「天地人」の思想の元、呼吸がそれらを繋ぎ、循環している。


この呼吸が「内側が強く、外側が柔らかい」韓国舞踊独特の身体性を形作っている。

この呼吸の練習法である「基本」というステップを教えてもらったが、短時間で体が芯から温まった。
韓国伝統舞踊を教える高校では、まず3年間この「基本」を徹底的に教わるそうで、中には飽きてしまって大学に行くころには、ほとんどの学生が「基本」をおろそかにしてしまうという話も参加者から聞けた。

リサーチの過程でこの呼吸と動きのリンクを敢えて絶ってみることを試したが、長年リンクさせることに注視してきたダンサーにとっては、とても難しいワークだったようだ。それだけ韓国伝統舞踊にとって呼吸と動きは切っても切れない関係にあるということが明確になった。逆にこの呼吸と動きのリンクを基本に持っているダンサー同士は、初めて見る動きでも瞬時に真似することができる。更にハンリャンムはある程度動きが纏まったユニットになっているので、次の動きが予測しやすい。

韓国の舞踊界は大学の先生のカラーがそれぞれ色濃く反映されているので、異なる大学で異なるタイプの先生に習ったダンサー同士でも、大体そのカラーを互いに知っていれば真似することができる。さらに伝統という共通の基礎があるので、それぞれカラーの違う創作舞踊であっても共通点が多い。このような現象は日本ではほとんどないし、伝統を教える大学がそもそも少ない。
逆に韓国の学生たちは卒業後先生の教えから、どう自分の踊りを発展させていくかが課題のようだ。

ハンリャンムの身体性を残しつつ踊る即興では、それぞれの伝統との距離の違いが垣間見られて非常に興味深かった。参加者の中には幼いころから伝統舞踊を習っていた人、はじめはバレエから始めて伝統舞踊に移行した人、十代で伝統舞踊に出会った人と、それぞれ「伝統との距離」が異なっていたし、それぞれが作家として創作舞踊も作っているので、その作家性も垣間見ることができた。「伝統舞踊のリサーチ」ではあったが図らずも「その人個人のリサーチ」となり、その人の‘人となり’や歴史と深くかかわることができた。

伝統というと重く、堅苦しいものだと思われがちだが、その伝統を受け継いできたのは個人であり、その周りの人々との小さなやり取りが積み重なったものだといえる。そしてそれを革新してきたのも個人とその周りの人々との繋がりである。
そういった意味では今回、外国人である私が外からの目で韓国の伝統舞踊をリサーチしたことで、参加者の中に良い意味での「疑問と再考」をもたらしたことも、ある意味で伝統の1ページを作ったともいえるのではないかと思う。ささやかではあるが、この関係性を今後も継続して行きたい。



<リサーチ報告会参加者の感想>

観客の中には韓国伝統舞踊経験者で、このリサーチに興味があったが、スケジュール的に参加できなかったダンサーもいて、パフォーマンスを見て非常に興味を持ってくれた方がいた。
コンテンポラリーダンスの振付家の男性はハンリャンムのさわりを少しだけ習ったことがあるぐらいでそれほど自国の伝統舞踊に興味を持ってこなかったので、私がなぜ韓国伝統舞踊に興味を持ったのかが不思議だったが、パフォーマンスを見て、そのリサーチ方法や、表現方法にとても興味を持ってくれた。
更に私が創作したソロダンスがハンリャンムを長年研究したうえで作られているように見えたという感想をくれた観客もいた。


<今後の展望>

今後、今回参加してくれた参加者と共に更に深い、継続したリサーチを行いたい。
今回、言語の問題で取りこぼした情報が多くあったと思うので次回のリサーチには、日韓通訳者が必要。
現在、参加者を日本に招聘し、日本でハンリャンムを教えている韓国人の先生をゲストに招いたリサーチを行うために各種助成金を申請している。
次回のリサーチを経て、フルレングスの上映作品を創作したい。
作品が完成した暁には、日韓での上演ツアーを行いたい。

<記録映像>

Research on Korean Traditional Dance “Hallyangmu” by Tomohiko Kyogoku


<共同リサーチメンバープロフィール>



Yoo Chorong (Gabrielle)

Movement Director in SAVEAZ Film production

Dancer in The Institute of Korean Traditional Culture, 2017-2019
Bearer in ‘처용무’ (Cheoyongmu), 2017-2019
Instructor in National Gugak Center, 2016-2018
Teaching Artist in Seoul Foundation for Arts and Culture, 2016-2017
Dancer & Choreographer in MUT Dance Company, 2013-2016







Eunji Seon

Art.sun Representative

Graduated Sungkyunkwan University and Graduate School
Won the Best Choreographer Award at 2019 Korean Dance Festival



Lee Seung Hoo

Graduated from Chungnam Art High School and Chungnam University

Won 28th National Dance Festival Solo & Duet Part Excellence Award.