2020/03/22

U-25 限定 ダンスクリエーションワークショップ 10 years before to 10years after 開催に向けて




2020年4月から京都にて、毎月一回ペースでダンスクリエーションワークショップというものを、京都の学生とダンサー・振付家の京極朋彦が共催します。 詳細はこちらのイベントページをご覧ください!
今回のU-25限定 ダンスクリエーションワークショップでは、U-25以外の方で、興味を持っていただいた方のために「見学者枠」というものを設けています。

わざわざ、そんな設定にしたのは、なにも、若者だけに体を動かして欲しいとか、年長者に口を出してほしくないとかではありません。



大きな理由としては、意識的に25歳というラインで参加者と見学者に分けることで「10年後の未来について、あるいは10年前の過去について」参加者と見学者が一緒に考える機会を作ってみたいと思ったからでした。


さらに今回設定した二日間のプログラムのうち、「教える、教わる」というある種の権力構造からなる一日目の「クラス」と、全員が平等な立場で参加できる実践型講座である二日目の「ワークショップ」という場の定義づけを、「見学者」という外の目から見てもらい、より明確にしたいという思いもありました。



日本では割とこの「クラス」と「ワークショップ」の違いが混同されていて、それが実は舞台業界の微妙なパワーバランスを悪い意味で形作ってきた、一つの要因にもなっていると感じています。ある種の「閉じた空間」の中で、権力構造が無意識化、日常化、ブラックボックス化されてしまっている。始まりはとても些細なことかもしれませんが、長い目で見た時に、場を開くこと、可視化することは重要なことです。



更に、このワークショップを「第一期」と銘打ったのにも訳があります。

それは、今回のワークショップで集まったU-25の参加者達がゆくゆくは自主的に、このプログラムを運営し、二期、三期と続けていって欲しいと思ったからです。

時間はかかるかもしれませんが、このプログラムが、やがて参加者の興味関心の元、次の新たな講師にオファーしたり、自分たちでワークを開発したりできるような場になるといいなと思っています。



ともあれ、これは今や年長者側になってしまった私のエゴであり、そのような「場」の設定自体が、先ほど書いたようなある種の「権力構造」を生み出してしまう古い考え方かもしれません。やんわり言えば老婆心。

もっと強く言えば年少者へのプレッシャーを与えてしまうかもしれません。

だからこそ、参加者、見学者含め、集まった人たち次第で、今後が私の手を離れて決まっていくような仕組みを作りたいと思っています。



私は「自分で自分自身を育てる環境を獲得していくことは、アーティストにとって作品創作とは別に鍛えるべきスキルだ」ということを、私自身の経験から学びました。そんなこと、誰も教えてくれませんでした。



それは別に「正解を誰も教えてくれなかった」という“恨み節“ではなく、たとえそれを早くから字面だけで知っていても、経験が伴わなければ意味のないことだったかもしれません。更に言えば、それが全てのアーティストにとっての正解であるとは限らない。しかも私自身のその経験も、常に移ろう時代の中でこれからも通用するか、しないかなんてわかりません。



しかし、現実問題として、今の若者の意見を聞けば、年長者が独占している助成金や、選ばれた者だけが使える稽古場、そこを目指せと教える先輩や先生、そこにたどり着かなければ存在価値すらないというプレッシャーは存在し、彼ら、彼女らを苦しめています。そしてそのことによって「自分に合った創作環境」を探し、獲得して行く事よりも「既にある創作環境に見合った作品を作らなければならない」という思考回路に無意識的に陥ってしまい、それができないと創作自体を諦めてしまうという悪循環に陥ってしまう事例があることは確かです。



そんな今の若手の現状は、何が正解かはわからないとはいえ、少なくとも良い状況とは言えない。



年長者から見れば、そういった苦しい時期を自分も経験し、乗り越えて、やっと獲得した環境、たどり着いた境地を、容易に手放すことができないのは当たり前ですし、優れた舞台芸術の輩出のためには、こういったある種の「淘汰」はいつの時代も必然であり、必要なのかもしれません。



しかし、そこからこぼれ落ちた者たちに未来はないのか?環境を獲得できないアーティストは辞めていくしかないのか?勿論、私はそうではないと考えています。



そういった者たちの中から、自力で自身を育てる環境を切り開いていくものが現れ、思いもよらないところで、これからのダンスの可能性が生まれてくるという考えは、実は新しいことではないし、既に様々な先輩方が気づき、実際に現場は動き始めています。

さらに昨今のコロナウィルスパンデミックおよびインフォデミック(デマ情報の拡散などによるパニック)によって、ダンスを取り巻く環境も日々変化していっています。



今後もコンペティションやパワーバランス、ヒエラルキーのピラミッドは無くならないし、一般的に舞台芸術は選ばれた頂点の人々だけが享受出来る、高級嗜好品であるという考え方も根強く残っていくでしょう。


しかし本当に問題なのは、表に出てこないヒエラルキー構造や、既に古い考えでは捉える事が難しくなっている現実に対し、旧来の価値観が慣習的、あるいは年功序列的に作用し、場が閉じていくこと。それがタダでさえ苦しい若手を、さらに苦しめるだけでなく、ゆくゆくは舞台芸術界を先細らせるという事です。

多くの若手育成を謳った企画が、結局 若手と年長者の確執“を生んでしまったり、長く続くカンパニーが実はダンサーの未来を緩やかに奪っていたり、年長者と年少者が同じアーティストとして本当の意味で対等に向き合える場は意外と少ないのが日本の現状です。


私自身、ある意味「若造」、ある意味「年長者」と呼ばれる年齢になり、正直、正解はわかりません。

次の10年のために、今できることは何でしょうか?

若いアーティストが、誰に圧力をかけられるわけでもなく、どこにおもねることもなく、自分自身の自由と、環境を守り、創作をしていくために、私達にできることは何でしょうか?

そんな考え自体、年長者の奢りでしょうか?

私はただ、今回のプログラムが、私を含め年長者、年少者、双方が考える機会になればと思っています。

少なくとも、こういった問題を場に出し、開くことには、意味があると考えています。


毎度のごとく長々と書きましたが、最後に、今回のようなプログラムを、母校である京都造形芸術大学の学生と共催させていただけることに感謝しつつ、しばらく京都を離れたものとして、京都の舞台芸術界の10年後、100年後が豊かであることを切に願って、この文章を結びたいと思います。

当日、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。どうぞよろしくお願します。

参加のご予約、問い合わせはこちらからどうぞ!




京極朋彦

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