2020/03/01

『杉だよ!エエトコ音頭』完成への軌跡

去年9月に予定していた銀の馬車道 神河でのイベントが台風で中止になってから半年。
リベンジをかけた15日もコロナで中止。

イベントで披露される予定だった「杉だよ!ええとこ音頭」も残念ながら披露できなくなってしまいました。
それでもありがたいことに、神河町の皆さんが、企画からゲストのオファー、チラシ作成、コンテンツ作りまでやってきた奥さんを「労う会」を開催してくれるそうです。

暗いニュースばかりなので、せめて僕ら夫婦と地域住民の方々、友人のアーティスト達で頑張って作ってきた神河町のオリジナル盆踊りが出来るまでの軌跡をまとめた映像をここに上げておきます。

これからの時代、アーティストに出来る事は何か?問われているようなこの週末。

もし出かけられずに、暇を持て余している方がいましたら、いつも通りの、僕の長い解説文も合わせて読んで頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします↓↓↓


【神河町杉地区住民とダンサーの伊東歌織(京極歌織)による創作盆踊り
『杉だよ!エエトコ音頭』が完成】

20197月、兵庫県でもっとも人口の少ない町、神崎郡神河町杉地区にて、住民とアーティストが協働で創作した新しい盆踊り『杉だよ!エエトコ音頭』が完成した。


事の発端は2017年、東京のダンサー、振付家の伊東歌織(本名:京極歌織)が、神河町の理学療法士が考案した高齢者向けの介護予防運動と、神河町の自然や特産を取り入れた振付をかけ合わせた「かみかわハート体操」を創作した縁で、東京から「地域おこし協力隊」隊員として神河町に移住してきたことに遡る。

伊東はダンサー、振付家という今までのキャリアを生かし、地域おこし協力隊員として町役場の健康福祉課に所属しながら、体操を通じて地域の高齢者の介護予防や健康促進に尽力するだけでなく、2018年、神河町杉地区の有志の女性によるシニアダンスグループ「チアバーバ」を設立。地域のお祭りや道の駅のイベントで発表を重ねてきた。

そんな杉地区の住民と伊東が創作盆踊りを作ることになった経緯は2018年の夏、杉地区の夏祭りに伊東が、夫であり同じくダンサー、振付家の京極朋彦と共に参加した際、出会った、地域に伝わる盆踊り「ちょこちょい音頭」から始まる。


このちょこちょい音頭がなぜ神河町でも、杉地区にのみに伝わり、今も踊られているのかは、調べたものの未だ不明であるが、円形になって内側を向き、短いフレーズをひたすら繰り返すこの踊りに、伊東と京極は魅了され、気が付けば踊りの輪の中に入っていた。


さらに杉地区には豊かな自然と「夫婦杉」と呼ばれる二本並んだ杉の大木のある「大年神社」を文化財として、地域を活性化させようという住民運動があり、小さな集落であることも手伝って住民同士の結束も強く、かつ伊東、京極のような、いわゆる「よそもの」を受け入れる懐の深さがあった。

このような要因が伊東夫婦と杉地区住民を深く結び付け、地域おこし協力隊員の枠を超えた、人同士の交流が深まっていく中で伊東は、体操だけでなく地域住民の文化意識に貢献する創作活動をしたいと思うようになっていった。そこで今回伊東はまず、友人の音楽家であり作曲家でもある京都在住のやぶ くみこ氏に「杉地区の歌」を作るワークショップを依頼した。

実は伊東はこれ以前に、やぶ氏をゲストに招いた「歌作りワークショップ」を健康福祉課の事業として町民向けに開催したことがあった。
やぶ氏の歌作りワークショップは参加者が主体となって歌詞を作り、メロディーも皆で話し合って作っていく。
あくまで参加者の主体性を重視しながら、タイトルまで参加者に決めてもらう。その見事な創作過程を知っていた伊東は、彼女を杉地区にも招くことで芸術、文化の面から住民の地元愛と誇りを高める事ができるのではないかと考えた。

そして20196月、やぶ氏を招いた歌作りワークショップが開催された。今まで伊東と深くかかわってきた「チアバーバ」に加えて彼女達の旦那衆、地域の区長を含めた男性陣も参加した。(彼らは後に+Ji〔プラスジー〕という名で公式表記されるようになった)


始めは緊張していた女性陣も、やぶ氏の人柄にすぐに打ち解け、戸惑っていた男性陣も、地域の山の名前や豊富な知識で歌の歌詞に貢献し、終始笑いの絶えないワークショップを経て、なんとたった一日で歌はほぼ完成した。この時、実はまだ伊東は杉地区の盆踊りを創作したいとは考えていなかったが、歌ができるや否や住民たちから「歌ができたら、今度は踊りやろ」という声が上がった。

杉地区の住民は自分たちのことを「お調子者」だと自称する。

しかしそのように彼らが口にするようになったのは最近のこと。実は伊東が町に来てからであった。

彼らの元々の気質が明るいということもあったが、女性陣を中心に結成された「チアバーバ」も実は伊東が仕掛けたのではなく住民の熱意に押される形で伊東が指揮をとることになったというのが事実。
その時に伊東が口にした「杉地区の人たちは本当に、なんていうかお調子者ですよね」という何気ない一言を彼女たちが気に入って以来、彼女達は自分たちを「お調子者」と呼ぶようになったのである。

こういった経緯を、そばで見てきた私は、この「お調子者」という言葉が実はとても重要なキーワードだったのではないかと考えている。

それは一見単なる冗談と言ってしまえばそれまでだが、実は彼女たちは自らを「お調子者」と名乗りはじめることで、仲間同士の連帯を強めると同時に、新たな、そして特別なアイデンティティーを獲得したのではないかと私は思っている。

妻でも主婦でも、高齢者でもない「お調子者」という新たなアイデンティティーが彼女たちに活力を与え、自己解放を生み、そのパワーが彼女たちの夫を中心とした地域の男性にも波及効果をもたらしているのは間違いない。そうでなければなかなか高齢の男性が歌作りワークショップに参加しようとは思わない。

そして、これは後々わかってきたことだが、そんな彼女らと長年連れ添ってきた夫たちもまた「隠れたお調子者」であることが発覚した。

つまり元々、年一回の祭りや、飲みの席でしか発動しなかった彼ら彼女らの「お調子者」スイッチがシラフで発動できる、新たな場を伊東が生み出したともいえるのである。

いくつになっても人は、人と関わりたいし、互いにふざけたり、認め合ったりしたいはずだが、年を重ねるごとにそんな機会は減っていくのかもしれない。

足腰が弱くなり、外出が減った高齢者が孤立するのは都会でも同じことだが、とりわけ家同士が離れている田舎では、車に乗らないと物理的に人と出会うことができないため、意識して外に出なければ、人とのコミュニケーションは減っていく傾向にある。

そんな中、私は「私らみんなお調子者やから」といってまるで子供のように楽しそうに集い、笑いあう住民たちを見ていて、嬉しい気持ちになった。

いくつになっても人は新しい生き方ができる。そんな希望をもらったような気がすると共に、健康であることが、いかに重要であるかを改めて再認識させられた。

我々「よそ者」が町に来たことで町の「お調子者」が顔を出した。この事実はとても小さなことではあるが、実は「地域活性化」という、今や単なるお題目と化したこの言葉の本当の意味に限りなく近い出来事であったのではないかと私は思っている。

少し話が脱線したので、話を戻そう。
歌が完成したのが6月、そこから伊東は出来上がった歌にどうやって踊りをつけていくか?を考え始めた。

しかし、この問いに対する伊東の答えは実はとても早かった。それは「歌と同じように、あくまで住民主体じゃないと意味がない。」ということ。

伊東が振付した「かみかわハート体操」は実は伊東自身が移住する以前に、町を何度か取材して作られたものだった。その為、伊東の中にも「よそ者」が作った体操をどれだけ町民が受け入れてくれるかという不安があった。しかしフタを開けてみれば現在、多くの高齢者だけでなく、幼稚園や高校でも「かみかわハート体操」は踊られるようになった。

その背景には、伊東が移住後に町民との触れ合いの中で、より運動機能の発達と、地域文化に根付いた体操になるように、振付を対象者に応じてマイナーチェンジしたことが大きく影響している。

作ったら作りっぱなしの、いわゆる「ご当地ダンス」は一時期の流行で終わるが、「かみかわハート体操」はいわば「会いに来てくれる振付家」がいることで参加者に合わせた振付に毎回変更することができ、より深く、体を動かす喜びを伝えることができる。
伊東が移住し、町に住んだことで実現したこの「アフターケア」がこの体操が広まっていく上で重要な要因となっている。

大切なのは、人が考えた振付を間違えずに踊ることではなく、振付を「自分事」として踊ることだ。

そこで伊東は今回の杉地区の盆踊りも、住民たちが「踊らされる」踊りではなく「自分事」としての踊りにしたいと考えた。だからこそ、歌を作った時と同じく、振付のアイデアを住民から出してもらう「振付ワークショップ」を行うことになったのである。

とはいえどのようにして住民主体の踊りを作ればよいのか?伊東と私は頭を抱えたが、その時ヒントになったのは、冒頭にも紹介した杉地区で伝統的に踊られてきた「ちょこちょい音頭」だった。

伝統的に杉地区で踊られているこの「ちょこちょい音頭」には不思議な力がある。

全員が向かい合う内向きの輪で踊るため、振付がうる覚えでも、始まれば、互いに見合って、誰かが誰かを補う形で全員が踊ることができる。
実際に年一回しか踊らない「ちょこちょい音頭」を踊ってくれといわれて、一人で完ぺきに振付を踊れる住民は一人もいなかったが、いざ曲をかけて踊ってみると、全員が踊れるという不思議な現象が起きた。

このことに注目した私達はこの踊りの構造を新しい盆踊りの中にも組み込めないかと考えた。

ここからは私の妄想ではあるが、私はこの踊りには、集落での相互補助の精神を育てる機能があるのではないかと感じた。

一人では完ぺきではなくても、集まればできる。互いに助け合って、脱落者を出さない。

この踊りが今まで踊り継がれてきたのには、陰にこういった相互補助の精神が隠されているからなのかもしれないし、逆にこれを踊ることで、その精神が養われてきたのかもしれない。

踊りを見てそう思ったのに加えて、住民たちが作った「杉地区の歌」の掛け声部分
「ラッコー」「ラッキャー」「ベッチョナイ」という歌詞の意味は、地元の方言で
「大丈夫か?」「大丈夫だ」「大したことないさ」という意味だということも、私の妄想を掻き立てた。

これは何も特別なことではなく、常日頃から住民同士助け合って生きてきた杉地区住民の生活の精神が「ちょこちょい音頭」と「杉地区の歌」に自然と表れていたのである。

そうして、第一回目の振付ワークショップでは、大部分の動きは「ちょこちょい音頭」の伝統を継ぎながら、掛け声の部分に住民自らが出した振付のアイデアを差し挟むのが良いのではないかという案が京極、歌織の中で話された。

さらにはこの掛け声部分はその時代に合わせてアップデート可能なアイデアポケットとして設計することで、この踊りが伝統をキープしつつ常にアップデート可能なものとして、今後も世代をつなぎながら踊られていくようにしたいというアイデアが決まった。


そして「杉地区の歌」に登場する山や神社、自然や特産品を実際に写真に収め、それを見て思いつく動きを住民自らが作り、発表するというワークショップメニューが決まっていったのである。

第一回目のワークショップは私たちが思っていたよりも数倍豊かなものになった。その理由は、住民の皆さんが協力的かつ、得意の「お調子者」っぷりを存分に発揮してくださったからに尽きる。写真から振付を作る際には、こちらの思いつかないような振付や、見たことのないパーソナリティーが炸裂し、会場は終始笑いに包まれた。

更に第二回では、第一回に住民からでたアイデアを伊東、京極が振付に取り入れ、実際に踊ってみながら、住民の意見をもとに歌詞を改めて少し変えてみたり、曲のテンポを踊りやすいようにしたりという、マイナーチェンジをしていき、最後にタイトルも皆で協議して決定した。

更にこのワークショップが、より有意義なものになった経緯としては、伊東がこの出来事を出来るだけ客観視できるよう、ワークショップの講師を京極に依頼し、一歩引いた、いわばプロデューサー的な立場に身を置いたことにある。


住民と深くかかわってきた伊東と、それをそばで見てきた京極では視点が違う。その違いをその都度検証し、お互いの意見をぶつけ合いながら「振付ワークショップ」のメニューや方針を決めていったことが、今回とても有効に働いたと私は感じている。

結果として二回目のワークショップでは、同じ町内で三味線を演奏している方が伴奏で参加してくださり、生演奏での創作が実現したのも、伊東がプロデュース側に回り、何が必要かを見定めた結果だといえる。たまたまそうなったともいえるが、それを引き起こしたのは伊東の熱意と人柄が大いに人を動かした結果であることは間違いない。

そうしてなんと、歌作りから初めて二か月という驚異的な早さで『杉だヨ!エエトコ音頭』は完成した。

ちなみにこのタイトルも、かなり白熱した議論の末、決定した。

そこまで住民がこの踊りを「自分事」としてとらえれくれたということを、私たちはとても嬉しく思った。そして平成生まれにはわからない「8時だヨ!」のノリが微笑ましかった。

※追記:2019年11月、神河町の道の駅「銀の馬車道 神河」でのイベントの際、三味線奏者の東 婦美子さんに歌と演奏のご協力いただき、公式な初披露が行われた。

総じて今回、私はこの一連の出来事の中で、大げさかもしれないが「人はなぜ踊るのか?」という問いに対する答えの片鱗を見た気がしている。

盆踊りとは、もともと死者と生者を繋ぐものであり、人と人を繋ぐものである。

この『杉だヨ!エエトコ音頭』が伝統と現在、高齢者と若者を繋ぐ装置として機能し、その都度アップデートすることで時代をつなげば、盆踊り本来の力を再興させることができる。とってつけた外部発注の「何とか音頭」とは一線を画した、真の意味で踊り継がれる踊りが、その時代ごとに更新されていくはずである。

さらにもし、『杉だよ!エエトコ音頭』が100年後まで踊り継がれていたら、このレポートは貴重な歴史資料となることと思う。なんせ今回、杉地区にはそういった歴史資料がなかった。

だからこそ今を生きる私達が、伝統が消える前にそのともしびを継げたことが、今回何より良かった事だと思う。

優れた踊りは時に、その人の人生を変えてしまうほどの力をもつ。

現に杉地区の「チアバーバ」達が新たなアイデンティティーを獲得していっている姿を目の当たりにして私は、優れた踊りとは、若者や、鍛え上げられた肉体を持つダンサーによる超絶技巧だけをさすのではなく、このような形で人の人生を緩やかに、力強く変えるもののことを言うのだと改めて思った。

そして今、その船頭役として、伊東歌織は地域住民の人生を緩やかに、力強く変えていこうとしているのかもしれない。

人は踊るために生まれ、踊るたびに生まれ変わる。

そんな奇跡のような瞬間を間近で見られた私は幸運だった。

今後もこのような試みが様々な場所で起こることを願って、今回このレポートを締めたいと思う。ご協力いただいた杉地区の皆さん、やぶ くみこさん、町役場の皆さん、関わって下さった全ての方々に、感謝をこめて。
                                        
初稿:20198月 追記:2020年3月1日

京極朋彦

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