2019/05/29

来月に迫った梅田宏明+Somatic Field Project公演とAPAF2019出演者募集について

先日、行われた京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンスダブルビル公演にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。自分の中では近年稀に見る豊かな時間でした。
今もふとした瞬間にカフェ ムリウイの屋上でお客さんと過ごした一時を思い出して嬉しくなります。

 

今回の公演は、枚数限定の事前決済制にしたということもあり、ひと月前にチケットがほぼ完売しただけでなく、お客さんが前々から楽しみにして下さっていた感じが、客席に溢れていて、少人数でしたが「待つ」事で醸造された豊かな空気が流れている、とても幸せな公演でした。
改めて「量より質」が自分には合っているなと感じたので、次回また開催する際にはより、この豊かさを味わってもらえるよう頑張りたいと思います。おそらく次回も量は少ないですが、、、。
 
そして、ご来場していただいた方々にはお知らせしましたが、今回ご一緒させていただいた永田桃子さんが、現在、クラウドファンディングをしています。
 
ベルギーを拠点とする世界屈指のダンスカンパニー「ピーピング・トム」の全世界オーディションの一時選考を通過した彼女は6月ベルギーに二次選考を受けに行きます。これ、全世界から2300もの応募があるような大規模なもので、そこから一次を勝ち抜いたって、本当にスゴイことです!!
 
私もかつてクラウドファンディングを利用して、メキシコに公演をしに行きましたが、今は当時に比べて「クラウドファンディング」という言葉がかなりメジャーになってきたこともあり、ファンディングするダンサーも増えてきていますが、これ、やる方も結構勇気が要るものです。
 
そして何より、ダンサー、振付家にとって、これほど普段から気にかけてくださる方々のありがたさを感じる体験はないので、応援した側は一生感謝されます(私はしています!)と、いうことで、是非彼女の世界デビューを応援してあげてください!!
 
ファンディング詳細はこちらです↓
 
 
「普段から気にかけてくださる方々のありがたさ」という話が出ましたが、実は最近、こんな私のブログを楽しみにしてくださっている稀有な方が存在するということを知り、びっくりしています。
 
このブログはどちらかというと自分の整理のために書いている節が強いのですが、人が読んでいるという緊張感で更に整理される思考があるので、引き続きマイペースに書き溜めていこうと思っています。
 
とはいえ、ちょっと意識はしますよね、、、「読んでるよ!」といわれるとね、、、。
 
だからというわけではないのですが、いつも徒然なるままに、書き溜めているこのブログには珍しく、今回はテーマを決めて書いてみようと思います。
 
 
今回のテーマは「オーディション」「海外」「思考の拡張」の三本立て。
 
 
三つめの「思考の拡張」が急に飛躍した話のように思えますが、毎度の長文に最後までお付き合い頂けた方には、話が繋がってわかってもらえるのではと思います、、、。
是非お時間のある時に、最後までお付き合いいただければと思います。
 
 
 
ということで、まず最初のトピック「オーディション」について。
なぜ今、「オーディション」について書くかというと、ちょうど永田さんがオーディションに挑戦しているということもありますが、実は今、私も、日本全国から応募者を募るオーディションに関わっているからです。
 
今年の東京芸術祭、アジア舞台芸術人材育成部門 APAF2019(アジアパフォーミングアーツファーム)APAF Exhibitionで、フィリピンの演出家Issa Manalo Lopezと私の共同演出作品に参加して頂ける出演者とスタッフを現在、募集しています。(同プログラムの別企画APAF Lab.参加者も同時募集中)
 
昨年私とフィリピンの演出家Issa、インドネシアの演出家Dendiの三人はAPAF国際共同制作ワークショップという企画で一週間、静岡県のSPAC静岡県舞台芸術公園に合宿をし、東南アジアから集まった総勢13人のダンサーや俳優と共に20分ほどの作品をそれぞれ制作し、東京芸術劇場で発表しました。
 
今年はその中から選出されたメンバーと共にIssaと私の共同演出でフルレングス作品(長編作品)を制作し、再び東京芸術劇場で発表します。
 
アジア各国から選ばれた役者、ダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値は十分あると思います。
ぜひ応募してみてください。締切は6月12日!!
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして下さる方をお待ちしています!
 
詳細はこちら↓
 
 
そして、ここからが裏話ですがダンサーと共に日本にいながら1か月間、国際共同制作が出来るチャンスです。出演料も出るので、宿がなんとかなれば地方から来る価値はあると思います。
扉は選ばれた者だけが叩けるのではなく、行くと決めた者の前に現れるものです。
おもいっきりノックして
実は私、20代で一回APAFワークショップ参加者のオーディションに落ちています。当時のAPAFは今とディレクターも方針も違いますし、オーディションで何をやったか、今となっては思い出せないぐらいなのですが、、、。
 
そんな私が去年初の、演出家の公募に受かり、今年は参加者を選ぶ側に回っているというのは、とても不思議なことです。まさか自分が落ちたオーディションをやる側になるとは普通思いません。
 
つまり何が言いたいかというとオーディションというものは半分は「偶然と時の運」で出来ているということです。
受ける人の持っている実力や運だけでなく、誰もコントロールできない偶然と、時の流れ、タイミングみたいなものがあって、その流れに偶々引っかかったり、かからなかったりするということです。
 
実際、去年の演出家公募の際、背中を押してくれたのは奥さんでした。もし私が結婚していなかったら、応募すらしていなかったかもしれません。
 
もちろん何かに選出されるには、それ相応の実績や経験が必要ですが、その時、その作品に何が必要とされているかどうか?や集まった人たちの男女比、年齢、バランスによって結果は大きく左右されることがほとんどなので、決してその人の優劣を決めるものでもなければ、ステータスを図るものではないということです。
 
分かっちゃいるけど落ちたら落ち込むのがオーディションなんですけどね、、、。
 
僕もかつて様々なオーディションに落ちてきましたが、幸い自分も作る側の人間だったので、この「時の運セオリー」を理解はできました。
 
とはいえ「時の運」だけに任せてもいられない部分というのも実はあって、今回のオーディションには年齢制限(原則35歳以下)や英語力など、誰もが通れる道ではないことは確かです。
 
よくこういった海外との共同事業の募集要項には「英語ができなくても気持ちがあれば大丈夫!」と書いてあります。それはもちろん一理あります。
 
ただ僕は正直、この文章は英語ができるやつが書いている文章だと思っていて、僕の経験上、英語ができなければその分、クリエーションでの困難は増えますし、コミュニケーションの質は落ちます。それに伴って孤独感や劣等感が生まれ、本来のパフォーマンスが落ちることもあります。
 
だから僕は個人的には今回のオーディションでは事前に「気持ちだけでは無理です」と付け加えたい(オフィシャルには「英語を話す意思のある方」であれば応募OK)
 
それは何も「あきらめてください」という意味ではなく、それ相応の準備が必要だということです。今は便利な翻訳アプリが山ほどあるし、結局、コミュニケーションの問題は、下手くそでも言ったもん勝ちみたいなところがあって、良くも悪くも、それが言語の持つ力だとも思うので、自分の言いたいことに、どれだけ気持ちと手間と技術を詰め込めるかが勝負です。どれが欠けてもダメです。
 
そして一番難しく、一番重要なのが「言葉に頼りすぎないこと」。
 
それって結局のところ表現にも通じることで、技術のない気持ちだけの演技は伝わらないし、高い技術でも気持ちの入っていない踊りは面白くない。そして、手間暇かけた時間は舞台上で決して無駄にならないが、経験だけに頼りすぎてはいけないということと同じです。
 
で、ここまで偉そうなことを言っておきながら、実は僕は英語が得意ではありません!
 
中学高校では結構勉強した口ではありますが、後は2012年から毎年一回ぐらい海外に出て実践する中で何とか「できる風」を装っていますが、とにかくグーグル先生と二人三脚で何とかやってきました。
 
海外では観光もせず、ひたすらWi-Fiのあるカフェで翻訳作業したりして、正直むちゃくちゃ大変です。
 
それでも私がこの数年間「海外」ということに拘って創作を続けてきたかというと、そこにダンスの本質を見つける鍵があるような気がしたからでした。
 
 
そしてこの流れからそのまま二つ目のトピック、「海外」の話に移行していきますが、私が「鍵」と呼んでいるものは日本より海外の方が文化や設備が優れているとか、そういう話では、もちろんありませんし(ダンス界において日本が海外に比べて遅れていることは多々ありますが)私自身、世界中隈なく見て回ったわけではないので、偉そうなことは言えないのですが、その「鍵」とは主に、自分の中の話。
 
どういうことかというと、「海外」には言語の違いだけでなく文化や宗教、歴史認識の違いなど様々な「思いもよらないこと」が溢れています。そこを経由することで自分の「思いもよらない思考」にたどり着ける可能性があるのです。
 
私の場合、英語を話していると、日本語を話している時よりも明確に自分の中に「言葉」への疑いがあることが見えてきます。
これだけグーグル先生にお世話になりながら翻訳して「言語化」しているにもかかわらず、やればやるほど言語を疑うようになる。これは一見、矛盾しているように思われるかもしれません。
 
頼みの綱である「言語」にしがみつきながら、どんどんその綱のもろさを手の感覚で感じ始めるのです。どんなに「言葉、言語」を尽くしても埋まらないものがある。ただ、それを埋めてからしか始まらないことがある。
 
私は海外での制作を重ねるごとに、私にとって言語は「言語以外の空白を炙り出すためのツール」なのだということがわかってきました。
 
その空白に何かしらの真実があると思っているから、言語を埋めていかないと浮かび上がってこないその空白を求めて、せっせと言語化をしているのだと思うのです。
 
そして、私が良く作品で使う「デタラメ語」(参考動画)も言語だけでは埋まらない更に細かい隙間を埋めるための粒子の細かいパテのようなものかもしれません。
ともあれ言語化、あるいはデタラメ語化で埋めていった先にどうしても埋まらないモノの一つが、僕にとってのダンスなのかもしれません。
 
海外での制作が自分にあっているのは、英語が得意ではない分、逆に物事をストレートにしか言えなくなるということと、更に言語化に労力がかなりかかる分、言葉がより「ツール化」して、何が言葉で何が真実かがわかるというか、「真実」とか言った時点で胡散臭いですけど、とにかくすごく言語、言葉と「その隙間」に、普段より敏感になることができるからなんだと思います。
 
日本語思考では意外と見落としてしまう、というか日本語化できすぎて埋まっちゃう、言語化できない隙間をすごく意識することに、結果的に、なるんです。
 
「ダンスに言葉はいらない」とよく言われますが、僕はこれに否定的で、ダンスだからこそ言葉は尽くされるべきだし、その言語化できない隙間にしか「ダンスでやる意味があること」はないのではないかと思っています。「言葉にできない」がダンサーの言い訳になるまでには、本当に言葉を尽くして詰める必要がある。
 
 
話が結構なところまで進みましたが、これが今回の三つめのトピック「思考の拡張」につながってきます。
 
日本語だけで考えていては浮かび上がらない隙間を意識して作品を作ることは、作品をすべてコントロールしようとする欲求からの自由を生み出します。
つまりは自分の思い通りになりすぎない部分に自分でも「思いもよらない」可能性が眠っている。
得てして国際共同制作というものは思い通りになんかならないものです。だから面白いし、可能性がある。
 
なぜ自分がここ数年意識的に海外で仕事をするようになったかの答えが、今になってぼんやりと見えてきました。当時はただの感覚でしかなかったんですが。
 
そして「思い通りにならない」のが面白いなんて思えるようになったのはハッキリ言ってここ最近の話です。
今まで様々な国で、様々な困難と、それを凌駕する素晴らしい体験をしてきたからこそ、こんなことが言えるんだと思います。それまでは自分の思い通りにならないのは本当に辛い事でした。
 
そんな私は去年のAPAFの発表後のラップアップで、自身の創作した作品について「もっと手放せる部分があって、それを手放していたら、より面白くなっていたかもしれない。」と語っていました。今でもそう思います。
「思い通りになる」ことは快感ですが、その先は「手放すこと」が新たなフェーズではないかと思います。
 
そして今年、そのチャンスが訪れました。今年のAPAFは演出家がツートップの国際共同制作です。昨年に増して、混迷を極める展開が予想されます。(既に連日Issaとのメールのやり取りは始まっています。)しかしこの状況が更にハードな「言語化」を必要とし、更なる「手放し」を生み、私の「思考の拡張」を促進してくれることと思います。
 
そんな「手放す」フェーズに入ってきた最近ですが、実は同じようなことがダンサーとしても起きてきていて、「思考の拡張」に関連する、ダンサーとしての大きな発見があったので、そのことも記しておこうと思います。
 
それはここ数年関わらせていただいている梅田宏明+Somatic Field Projectでのこと。
このプロジェクトは以前このブログでも紹介しましたが、そもそもこの梅田宏明+Somatic Field Projectのオーディションを受けたことで私は永田桃子さんとも出会っていますし、梅田さんは一年のほとんどを海外で過ごされている作家さんで、まさにここ数年の私の思考の拡張に多大なる影響を与えているプロジェクトです。
 
その中でよく梅田さんが仰ることがあります。詳細は過去の私の記事を見て頂けると、よりわかりやすいと思いますので省きますが、私の言葉で言うと
 
「知らない動きはできない」ということです。
 
は?
 
ってなりますよね。至極当たり前のこと過ぎて。
 
もう少し説明すると、例えば自分が知覚できない速さの動きは、実は能力的にはできるはずの動きでも、脳みそがブレーキをかけてできなくしてしまう事がある。ということです。
 
「言語化できないものは存在しない」という哲学のロジックを思い浮かべるとわかりやすいのですが(例えば「いぬ」という言葉がなければ「目の前のもふもふした毛の塊のような生き物」は存在しなくなってしまうというようなロジック)「知らない動きはできない」は言い換えれば「知覚できない動きをコントロールすることはできない」逆に「知覚できる動きは、コントロールできる」ということです。
 
どんなに難しそうな動きや速い動きでも、細分化して一つ一つを知覚して、頭で捉えることができれば、できるようになる。逆にそれができないと一生できないということで、それってすごく物事をぎりぎりまで言語化していってその隙間を埋めていく作業と似ているんです。
 
そしてその言語化が進むと、その先の言語化できない部分も味方につけることができる。
 
ちょうど私が英語を使って海外のダンサーと作品を作るときのように、言語化した先の「隙間」が語り始める。
 
体の中にアクティブ(能動的)な部分とパッシブ(受動的)な部分が出来て、その両方をコントロールできるようになる。
意識を高めていくと、無意識の領域が動きを助けてくれる。
 
つまりは動きが本当の意味で、できるようになるということ。
 
これは梅田さんがワークを通してずっと教えてくれていることなのですが、実践はなかなか難しい。しかし私は最近、言葉や言語化、思考の拡張といったキーワードから何となくその輪郭を掴み始めたように思っています。
 
とても話がマニアックになって来てしまいましたが、僕の中で海外で制作をすることと、この体の可能性を探ることは同じことで、どちらも未知なるものに具体的なアプローチをすることで、「思考を拡張」していくことに他ならないのです。
 
梅田宏明+Somatic Field Projectにかかわって三年。ひたすらに体を動かす中で、さらに、どうして自分は今まで言葉、言語というものに拘ってきたのかがわかるようになってきました。
 
それは言語の先に「何かがある」(としか言いようのない)ことを潜在的に知っていた、あるいは子供たちが元々知っていて、大人が忘れてしまった「言葉の不思議」みたいな感覚を未だに引きずっているからなのかもしれません。(ピーターパン症候群的な、、34歳、かなりイタイですね)
 
昔っからノートを書きまくる癖も、ここから来てるのかもしれません。
以前恩師に「書き溜めたノートを河原で燃やして来い!」といわれたことがありますが、正に私はノートを燃やすという行為のために書いていたのかもしれません。(実際は燃やせなかったので、古紙回収に出しましたけどね 笑)
 
ということで、私の思考は拡張しているのか退行しているだけなのかよくわからなくなってきたところで、ここからは潔く宣伝です。
 
そんな私が関わって三年目になる梅田宏明+Somatic Field Projectの新作公演が来月、池袋、あうるスポットであります。梅田さん自身のソロダンス、私たちの出演するグループ作品に加え、梅田さんのメソッドをヒップホップダンサーに移植した意欲作とインスタレーション作品の4本立てという豪華ラインナップです。
 
<詳細>

 
 
APAFも梅田さんも、開催は池袋の西口、東口です。兵庫県に移住してこんなに池袋に行くことになるとは思ってもみませんでしたが、兵庫と東京の往復で拡張されている思考や、今年行く「海外」として、韓国のアーティストインレジデンスの話があるのですが、それらに関しては、また別の機会に書きたいと思います。
 
また長くなりすぎました。
最後までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました。
ぜひ、様々な場所で皆さんにお会いできるのを楽しみにさせて頂きます。
 
京極朋彦

2019/04/10

京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンス ダブルビル公演によせて

https://www.facebook.com/events/849019145441726/
画像をクリックすると公演詳細ページにとびます。
 
久しぶりに東京で自作を発表します!

昨年、神戸で初演したソロダンスです。
この作品は2017年に韓国に滞在した時に、現地の伝統舞踊に強く影響を受けて作り始めた作品でした。
それがなんと今年、再び韓国で、現地の伝統舞踊のダンサーと共に滞在制作を行い、デュエット作品に発展させるプロジェクトが動き出しました!

そんなタイミングもあって、今回もう一度、この作品を自分でしっかり踊っておきたいと思いました。
しかも東京ではまだ発表していない作品だったので、移住してから一年半のご挨拶も含めて、東京のお客さんにも見てもらってから、自信を持って韓国に行こう!ということで今回の企画を立てました。
そして以前から気になっていた、とても素敵な場所、カフェ ムリウイさんで公演を実現できることになり、とても嬉しく思っています。

そして何より、今回一番嬉しいのは、永田桃子さんとダブルビル公演をすることになったことです。

彼女は、年の差はあれど、気心の知れた友人であり、私が今「大人げなく本気で挑みたい相手」でもあります。

永田さんとは2年前、梅田宏明 主催 SomaticField Projectで出会い、今まで何度か共演やイベントのゲストとして、ご一緒させていただきましたが、その才能は素晴らしく、おそらく長くは日本に留まらないだろうと思っていたので、このタイミングでご一緒できて本当に嬉しいです。

そしてもう一つ嬉しいことは、彼女が今回、習作として踊るソロダンスのタイトル『喪服を洗う女』は、私が今年2月に開催した「踊る体の写生会 vol.8」で彼女が即興で踊った踊りに、私がその場でポロッと口にした言葉がそのまま使われていることです。

「そのタイトルでソロダンスが作りたいです。」

その時すぐに永田さんがものすごく「まっすぐ」に言ってくれたのを、私は鮮明に覚えていて、それが今回の企画の始まりでした。
今思えば私は、その時、単純に嬉しい気持ちと同時に、彼女の「まっすぐさ」に10年前の自分を思い出していたのかもしれません。

10年前。24、5歳の時。
私は、お金もなければ、場所もない、技術も見せ方も、とっ散らかっていたけれど、ただただ作品を世に送り出したい一心でした。
粗削りだけど「ダンスにまっすぐ」だった10年前。
今の私も、果たして当時と同じようにダンスに「まっすぐ」でいられているだろうか?
あまりにも「まっすぐ」な永田さんを見て、おじさんはハッとしたのでした。

そしてこれも後から気が付いたのですが、10年前、私がソロダンス『カイロー』を作った時と、今の永田さんはちょうど同じ年齢でした。
(念のため言っておくと10年前の私と、今の永田さんは比べ物にならないぐらい技術も精神も永田さんが上!!)

偉そうなことは言えないのですが、若い頃の「まっすぐさ」でしか作れない作品というものが、この世にはあって、永田さんの今回の作品が、ここからどんどん発展していけば嬉しいなという思いもあって、今回の企画を進めています。

少し話はズレますが、東京には若手育成事業やコンペティション、助成金や劇場、そして様々な情報が溢れています。
私が20代前半の頃よりもそれらは多く、手厚くなっているはずです。それは数々の先輩たちが切り開いてくれた財産です。
しかし、今の若いダンサーにとってこの状況が実は逆に「ダンスにまっすぐ」でいることを難しくしていないだろうか?と思うことが最近あります。

もちろんサポートや環境の整備は重要な社会課題ですし、若手育成事業そのものを否定するわけではありません。わたしもその恩恵にあずかってきたうちの一人でもあります。

しかし若いアーティストが何かに出会って、その衝動をそのまま作品にするまでに、必要なものが用意されすぎているのも、逆にやりづらさもあるのではないか?
そんなことを、東京を離れて移住してから特に、よく思うようになりました。

そんなことを思っていた矢先、話を今回の企画に戻すと、そういったあれこれを吹っ飛ばすようなストレートさで作品に向かおうとしている永田さんを見て、私は「かつての自分」あるいは「アーティストの原型」に出会ったような気がして、とても勇気づけられたのと同時に、自分もそうありたいと思いました。そして、まっすぐにダンスと向き合う彼女と、ただただ同じ土俵に立ってみたい。立たせてください!という思いが沸き起こりました。

今回の永田さんのソロは始まったばかりの習作です。
これから長い時間をかけて育っていく新芽です。やがてすぐに大木になると思いますが。。。

そして私のソロは過ぎてしまった「まっすぐな時期」を超えて、まだなんと名付けたらいいのかわからないのですが「第二期」に突入した感のある作品な、気がします。。。
この遅咲きの芽も、隣国、韓国に根を張り、やがて二つの国を繋ぐ「蔦」のように成長してくれればと思っています。

おそらく今後も何らかの形で、彼女のソロダンスは発展していくことと思います。私が韓国から帰ったタイミングで、また何かしら発表の場を設けるかもしれません。が!

今の二人のダンスは今しか見られません!!

新緑の季節、平日の夜ですが、ぜひ二人のダンスを見に、会場に足をお運び頂けたらと思います。
美味しいドリンクと気持ちのよい空間、ダンスを肴にゆっくり話しましょう。

詳細情報はNEWS欄あるいはフェイスブックイベントページ京極朋彦 / 永田桃子 ソロダンス ダブルビル公演をご覧ください。

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

京極朋彦
京極朋彦ソロダンス『DUAL』初演より 撮影:Jyunpei Iwamoto

2019/01/01

2018年振り返りと2019年の欲望

新年あけましておめでとうございます!
相変わらずご無沙汰ぶりのブログです。相変わらず機械に疎い私ですが、先日奥さんに作ってもらったロゴから、今年のブログをスタートさせてみようと思います。
例のごとく長いですが、どうぞよろしくお願いします!


<はじめに>
 
先日、ある方に忘年会で「京極君の欲望は何か?」と聞かれました。今までの人生の中で、この質問よくされるんです。どなたも決まって私のことを思って、心配げに尋ねられるこの「欲望」という言葉。かねてより自覚はあるのですが、私は「欲望」というものが表に出にくい体質で、「欲」がないわけではないのだけれど、それを表に出すことに躊躇いや、思い切りの良さがない。そのことが「おおらかさ」として良く働く場合もあるんですが、時としてその速度の遅さがアーティストとして致命的な欠陥となることもあります。
 
「人様に欲望をさらけ出すことは行儀のよいものではない」と日本の義務教育は教えます。しかし芸術活動をする上では、「欲望」は必要不可欠です。それを出さなければ表現できないことがあることも確かです。
しかし日本に生きていて、実に厄介なのは、子供のうちから「欲望」を去勢しておきながら、大人になった時に、その「欲望」が抑えきれない人々を変人扱いし、逆にステレオタイプな「欲望」を押し付けてくる、この国の社会と教育です。
発達障がい児の療育に長くかかわっていると、子供たちが如何に親の欲望、世間の欲望に圧をかけられているか?を肌で感じます。「普通じゃないことが如何に普通か」がわからない人や社会が生み出す、謎のプレッシャー。アーティストにも、その圧はかけられています。
 
私もかつて「人様に欲望をさらけ出せない」私はアーティストではないのではないか?と悩んだ時期もありましたが、ダンスを始めて10年、様々な国、様々な価値観の人々と出会う中で私が出した結論は「自分の欲望は、あなたの期待する欲望とは違うし、違っていい」という至極、あたりまえのことでした。この「あたりまえ」が日本ではなかなか許されないのが現実です。
 
話を「京極君の欲望とは?」に戻しますが、最近、自分の「欲望」を積極的に人に話すようにしていることもあって、段々私も自分の「欲望」を表に出せるようになってきました。
そしてそのことによって自分が思ってもいなかった可能性が発見できています。
 
しかし、ひねくれた私はこうも考えます。「あなたの欲望は何ですか?」という質問の裏には、前記した、謎のプレッシャーが隠されている。
つまり、この質問をする側には
「あなたには欲望を持っていてほしい。できれば私の期待するような」
という親心のような感情が含まれています。
 
今まで私がこの質問をされてきたシチュエーションを考えると常に、話し手にはこの文章の前半部分「あなたには欲望を持ってほしい」に暖かな親心が含まれていました。これはとても有り難いことで、そのことに私は救われてきたし、今も自分に問う時、その人達の顔が浮かびます。「良い質問は既に良い応えを持っている」といいますが、まさにその人達の問いは今でも私の応答を引き出してくれます。
 
しかし、問題はこの文章の後半部分。「できれば私の期待するような」という部分が気になっている齢34になった私です。
 
私が今まで日本で経験してきた「若手育成事業」を謳ったものはたいがい、この後半部分のプレッシャーが凄くて辟易することもしばしばありました。「育成」という「愛」ゆえに逆に若者の道を狭めてしまうこの現象は、どの業界でも起きていることと想像します。この「愛」に私は育てられてきて来たのは紛れもない事実ですが。
 
しかし、もうすでに世間的には「若手」扱いされなくなってきた今日この頃、私自身、年齢的にも、誰かの相談を受けたり、指導をするような立場で、逆に「あなたの欲望は何か?」という質問をしなければならない側になることが増えてきて、この「愛」について、本当に気をつけないとな、と思うと同時に「欲望」という言葉をもう一度、自分自身に問うてみようと考えました。
 
そして、この「欲望」という言葉が、実は2018年の私を振り返る上で重要なキーワードの一つであることにも、この文章を書き始めて気が付かされました。
 
かなり前置きが長くなりましたが、今回は新しい年を迎える上でこの「欲望」というキーワードで2018年を振り返ってみようと思います。ここから毎度の長文が始まるわけですが、もしお時間ありましたら、最後までお付き合いいただけると幸いです。
 
<2018年を振り返る>
東京から兵庫に移住することから始まった2018年、私はずいぶん自分の欲望を出せたなと思っています。
3月、自分の中では新たな挑戦となったソロダンスの製作、発表を兵庫で行ったこともその一つです。
東京のサイクルとは異なる場での創作、発表は今までもありましたが、拠点を変えた今、自分の創作を新たな場所でリリースできたことは、とても手ごたえのあるものでした。山や川に囲まれた修行のようなリハーサルもとても新鮮でした。
 
また、6月~7月、ダンサーとして参加した梅田宏明さんのSomatic Field Projectが東京だけでなく、兵庫県の城崎国際アートセンターで合宿リハーサルをしたことも、今後、兵庫県でどのように活動していきたいか、東京との距離をどう図っていくかのヒントを沢山もらえる機会でした。合宿リハーサルの有効性もひしひしと感じました。
そして、ダンサーとして作品の中で、与えていただいた役割の中に自分の欲望を深く注ぐことが出来たのも、このプロジェクトの懐の深さおかげだと思っています。
 
そして“懐の深さ”でいったら私の中での2018年ダントツの一位は、東京芸術祭のアジアパフォーミングアーツフォーラム、通称APAFの新ディレクターである多田淳之介さんです。
APAFのプログラムの一つである「国際交流制作ワークショップ」の演出家公募において、ダンサー、振付家である私を選出して頂いたことは、本当に在りがたく、ここ数年で一番、嬉しかったことでした。
 
おかげでこのAPAFでは私がここ数年、海外での製作を行ってきたことの、ある種の集大成的な作品が出来ました。
日本での製作に行き詰まりを感じて海外に飛び出した2015年からの三年間、私は自分の欲望を「欲望」としてではなく「desire」「ambition」又は「hope」として様々な形で表出する方法を得ました。
 
このおかげで私は自分の「欲望」というものを一度、国外に輸出し、逆輸入することで租借したように思っています。
日本で出にくいことは海外に行ったら更に出にくくなる。しかしそんな状況に追い込まれたからこそ、逆に出るものがあることを、私は様々な困難の中から学びました。
 
と、ここまで書いて昨年はいいことだらけだったように思えますが、よくよく思い返せば、危機ともいえる状況も確実に在りました。当たり前ですが、移住一年目に困難は付き物です。
 
出来るだけポジティブに書けば、今年の8月、移住して初めて一か月以上、町内で過ごした時、私は私の「欲望」を見失い、「欲望」自体を「渇望」しているような状況でした。
 
去年の8月の時点で私は兵庫県に仕事はなく(農業のアルバイトはちょくちょくさせていただいていましたが)今年から少しずつ地域おこし協力隊である奥さんの力を借りて、学校や公にワークショップを行うことになったり、加東市の文化財団と繋がり、地域の伝統芸能発表会の演出をさせて頂けることになったりしましたが、去年の夏は東京での仕事もなく、悶々としていました。
 
東京との往復生活、不安定な収入、地域との関わり、将来設計、すべてが停滞しており、今もさほど改善はしていないとはいえ、当時は移住後初めて仕事が途絶え、精神的にかなり傾きました。
その時の自分の心境は最悪で「仕事がなくなったのは移住したせいだ」「移住は本当の自分の欲望ではなかった」など、とても酷いことを考えはじめ、奥さんにも悲しい思いをさせたり、喧嘩したりしてしまいました。窮地に追い込まれた時の性分ってなかなか変わらないもので、これが昨年最大の反省です。
 
しかし、このことのおかげで私は現在の状況における「自分の欲望とは何か?」を考えることができました。
それはこの一年で、明らかに東京にいた時とは変わってきています。
 
例えば、東京で舞台業界人と出くわした時、必ず聞かれるのが「次回作は?」という質問です。
生産と消費のサイクルが早い東京では、アーティストは常に新作、次回作を期待されています。
しかしその期待の主は実は不在で、その正体は東京の呪いのようなものだと私は思っています。
この業界人の「次回作は?」という質問は逆に言うと、そのこと以外、話すことがない、希薄な関係性の上に浮かぶ沈黙を埋めるための常套句のようなものです。
 
その言葉を口にしている本人ですら無自覚で、その出所を知らない言葉。沈黙を恐れ、常に前に進み、発展し、向上しなければならないという呪いのような何かが、確かに東京を覆い尽くしています。
私が高校生だった90年代、既に東京にあったこの呪いは、近年現実社会よりもネット上でさらに色濃くなってきているように感じます。
 
この呪いに対して、若い東京のアーティストがとらなければならない態度は極端に言えば二つ。
自覚的に呪いを超えていくか、呪われて死ぬかです。
 
しかし若いアーティストには、この呪いを自覚しながらも超えていくという作業はハードルが高すぎる。これは何も東京に限ったことではなく、東京志向の地方都市でも同じことが起きています。
 
この呪いがどんなに辛いことか、私にも覚えがあります。東京で活躍する同世代がどんなに輝いて見えるか、お金のためだけに働くことがどんなに辛いか、己の中に醜い嫉妬心を発見した時、どんなに惨めか、私も知っています。
しかし、この呪いは教科書に載っていないどころか、二次会、三次会に付いていっても先輩からは語られません。それはその先輩自体も呪われているか、その呪いと格闘している最中だからです。
 
少し話がずれましたが、この「呪い」が夏の私にも覆いかぶさっていたことは確かで、今でも正直、その呪いから解き放たれてはいませんが、確実に言えることはこの呪いとの付き合い方が変わってきたからこそ「自分の欲望とは何か?」が変わってきたのだ、ということです。
 
実を言えばこの呪いがあったおかげで私は、前記した東京国際芸術祭APAFへの準備を狂ったように進めることができました。資料を集め、映像や音楽をあさり、創作準備を練りに練ったおかげで11月の創作はかなり充実したものになりました。
 
重要なのは「呪われ具合」だなと、私はこの夏学びました。呪いはモチベーションにもなりえるし、決して消えることのないこの呪いとは、この先も上手く付き合っていかなければならないということを学びました。
 
どこに移住しようと本当の意味で人は変わりません。ただその自分を客観視するチャンスが、移住にはあります。
移住しなくても、旅や、普段と違う帰り道、新しい服の中にも、そのチャンスはあります。私の例は極端かもしれませんが「自分の欲望を改めて見直す」ってことは人生で度々必要なことなのだと思います。
 
そんなこんなで気が付けば年末を迎え、今年は初めて年越しを神河町で迎えることになりました。
何もないと思いきや、自分にとって、今必要なことが詰まっているこの町で年越しをすることになったのも、変化の兆しなのかもしれません。(去年は夫婦それぞれの実家に帰ってました)
 
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、最後に今年の私の「欲望」を記してこの文章を終えたいと思います。
 
それは私たち夫婦が移住した神河町に、自分たちの活動拠点を持つということです。まだどんな施設になるかはわかりませんが、スタジオとしての機能とレジデンスとしての機能を兼ね備えた小さなアートセンターのようなものを構想しています。
 
自分自身がこの一年で経験したことを踏まえて、改めてこのような拠点を持ちたいと思うようになりました。もともとこの構想は、移住前からありましたが、一年かけてその「構想」を「欲望」にしたといった感じでしょうか。逆に言ったらこれを言えるようになるまでに、一年もかかったということです。
 
これだけ情報が溢れかえる世界に生きていたら、私の世代ですら難しいのに、今の若い世代が「欲望」をうまく持てなかったり、表出できなかったり、時間が相当かかるのは当たり前で、ある意味で仕方がないことです。
昔とはわけが違う、この若い世代の苦しみを、世の中がもっと理解した方がいいし、その苦しみを、まずは本人が自覚することができるチャンスが与えられて然るべきです。幸運にも私はそのチャンスを何度か先輩方に頂いたからこそ、今があると思っています。
 
そして移住してきた神河町にも「自分の欲望を改めて見直す」チャンスをたくさん貰いました。
特に有機農業教室で完全無農薬の野菜を一年育てたことは大きく影響していると思います。(この話をしだすと長いのでどこか別の機会に)
 
そして何より、浮き沈みの激しい夫を、そばで見守ってくれていた奥さんにも何度もこのチャンスを与えてもらい、感謝しています。
 
小さな町の小さなアートセンターが、若者世代のみならず、子供からお年寄りまで、様々な世代にチャンスを与えられる場所になったら、おそらく自分にとっても、町にとってもいいんじゃないかと思っています。これは「誰かの欲望」でもなければ「誰かの期待に沿う」ことでもない、今の「自分の欲望」です。
 
もちろんその他にも小さな欲望は沢山ありますし、呪いに便乗した欲望も山ほどありますが、2019年、私はそれらの「自分の欲望」を静かに見守っていこうと思っています。
 
今まで私を見守り「京極君の欲望とは?」と尋ねてくれた方々への恩返しは「私自身が私の欲望を見守ることができること」にあるような気がしています。
 
とはいえ、今年も各方面、お願い事や、ご迷惑も含め沢山お世話になると思いますが、どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
 
                      2019年 元旦 京極朋彦

2018/09/06

神河町の身の回り

兵庫県神河町に夫婦で移住してからはや一年が経とうとしています。
何だかんだ月に一回は東京や京都に仕事で行ったり来たりしていましたが、今年の夏は一か月ずっと神河にいました。山と川に囲まれた神河の夏は暑かったけれど、コンクリートに囲まれた東京の夏よりは爽やかで、山から吹く風が心地よい夏でした。

こちらでアルバイトもしつつ、朝7時過ぎには起きて夜12時過ぎには寝る。食事は三食自炊、野菜は畑から、庭からはイチジク、水は湧き水、家事の合間に山や川でトレーニングをし偶にプールで泳ぐ。みたいな生活をしています。本当に豊かな生活とは金銭的な問題ではなく、身の回りが相応に整うということかもしれません。
 
しかし、正直に言えば「本当にこれでいいのだろうか?」という不安は完全になくなったわけではありません。
傍から見たら隠居みたいな生活をしていますが、私の中には「欲」も「不安」もたっぷりあります。
相変わらず金銭的な安定はなく、何の保証もない生活であることは東京にいたころと変わりませんし、仕事の中心はやはりまだ東京にあり、自分に嫌気がさす日もあれば、これでいいのだ!という日もあります。その両方が現在です。そんな日々を過ごす中でこの夏、私にとっての大きな事件が二つ起きました。
 
一つは、ここ数年、毎年秋に東京芸術劇場で行われている「アジアパフォーミングアーツフォーラム2018」(以下APAF)の国際共同制作ワークショップ上演会にてインドネシア、フィリピンの演出家と並び、日本の演出家として作品を発表させて頂く事になったことです。
詳細はこちら↓
http://butai.asia/ja/info02/
APAFでは毎年「アジアの舞台芸術を通じた相互理解と文化交流の促進、アーティストの相互交流による舞台芸術の創造と水準向上、優れた人材と作品の発掘と、アジアにおける芸術・文化の振興に貢献すること」を目的に、様々なプログラムが組まれているのですが、私の参加する国際共同制作ワークショップ上演会とは、日本、タイ、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシアからオーディションで選出された役者、ダンサー達と共に約一週間の合宿を経て15分の作品を制作し、東京芸術劇場で発表するというもので、今年初めて行われた日本人演出家の公募で、選出していただきました。「いつか多国籍メンバーでの創作をしてみたい!」と思い、2015年頃から「海外で発表、制作をする」事にこだわってきた私の夢が一つ叶う形になったのです。
 
選出結果を聞いたとき、二つの感情が込み上げました。まずは期待と興奮、感謝といった純粋にポジティブなもの。そしてもう一つは「東京で仕事をもらったこと」に対してホッとした自分への疑問です。この感じは何なんだろ?と思うと、そこは案外深くて、まだまだ掘っていける気がするのですが、今のところ浮上したのは二つ。
一つは夫婦のパワーバランスの問題。そしてもう一つは地域コミュニティでの体裁の問題です。
 
以前ブログにも書きましたが、奥さんはここ神河町に地域おこし協力隊としてきており、私は彼女のおかげで今こうして生活できているわけです。今のところ私の稼ぎは東京、京都での出稼ぎと、兵庫での僅かなバイト以外ありません。そうなると必然的に私の中で、家事をめっちゃ頑張ってるだけでは盛り返せない“うしろめたさ”のようなものが生まれていきます。
加えて日々、慣れない土地で奮闘し、地域のために、住民のために頑張っている奥さんと、地域のためには、未だに特に何もできていない私は、「東京での仕事」によって、ある種の夫婦間のパワーバランスを保った気がしてホッとしたのだと思うのです。
そしてもう一つは田舎の地域コミュニティーで重要になってくる体裁。つまりは「京極さんちの旦那さん何してるの?」という問いに対しての“返答の定型文”が一つで来たという安心感が私をホッとさせたのだと思います。そしてそれは奥さんの体裁を守ることにもなります。
この(東京者には)特殊な地域コミュニティーで「東京」という言葉を出す事の「破壊力の良し悪し」に関しては、またいつか書きたいと思っていますが、今回は見送ります。
 
こう書いてみると改めて「自分、ちっせぇな」と思ったり「東京がなんぼのもんじゃい!」という気持ちにもなりますが、単純に東京は私の生まれ故郷でもありますし、私の中でその存在は当然のごとく大きいのだということを今回のことで改めて感じました。
そして今回のAPAFに話を戻せば、フィールドは広く「アジア」なので、とにかくいいものを作る事に集中したいと思います。そしてそんな風に集中することのできる環境を許してくれている奥さんに感謝したいと思っていた矢先に、第二の事件は起こります。
 
先日、夜、奥さんが急に具合が悪くなり、最寄りの病院にはその日の夜は整形外科医しかおらず、救急車を呼んでも1時間かかる。とにかく救急車より速く行ける夜間外来を探し出し、車を出そうというところで、奥さんもだいぶ落ち着き、結局大事には至らなかったのですが、こういう時、田舎に住んでいると心細いものです。
しばらくの間、奥さんのお腹と頭に手を当てながら、以前人から教わった「立禅」の呼吸を試してみました。
本来は一人で合掌して、腕を通して「気」の流れを循環させ、呼吸で悪いものを体外に出すというものですが、合掌する手と手の間に奥さんを挟んで気を循環させてみました。
ハッキリ言ってこんなこと初めてやりましたし、いわゆる「スピリチュアル系」のことって普段、半信半疑なのですが、この時はとても明確に「いい気」と「悪い気」が感じられ、奥さんの中の「悪い気」が私の腕に入り、私の吐く呼吸と共に空中に出ていくのを感じました。
 
踊りをやっていると「イメージ」という言葉を良くも悪くも使います。自分でも半信半疑ですし、イメージほど個人差があるものはありません。私が感じた「いい気」「悪い気」なんかも、ただの私の妄想でしかないといってしまえばそれまでで、奥さんに触れながら呼吸をしている時、涙が止まらなくなったのも、単なる感情移入だし、段々奥さんの様子が安定したのも時間経過によるものかもしれません。
ただ私はこの経験を通して、あたりまえだけど夫婦って身体的に深くつながっているんだなと実感しました。
まるで同じ体を共有しているように、片方が「悪い」とき、片方はそれを「良く」しようとしますし、片方の「良さ」が片方に影響して両方良くなる、その逆も然り。私がどんなに東京で仕事をもらっても、金銭的に豊かになっても、離れていては意味がない。夫婦のパワーバランスって、経済力や発言力というようなPOWER的なことだけでなく、安らぎや、暖かさといったENERGY的な事も含めれるんだな、なんてことを思った「スピ系」の夜でした。これが第二の事件。
 
そしてここまでダラダラと書きましたが、というか、書いていて気が付いたのですが、この二つの出来事は全然違う話のようで、両方とも夫婦の話という点で共通しています。冒頭に「本当に豊かな生活とは金銭的な問題ではなく、身の回りが相応に整うということかもしれません」と書きました。私にとっての“身の回り”は神河町であり、東京でもある(もちろん京都、最近では神戸も)。そして、その“身の中身”は実は私だけでなく奥さんも含まれているということ。それらが相応に整うとはどういう状態を指すのか?まだその答えは明確には見つけられていません。
しかしこの秋出合う海の向こうのアジアの人々、そして移住して一年が経った神河町、離れて一年経った東京。それらの一見バラバラに思えるものたちが、実は私をハブに繋がり、私の“身の回り、身の中身”になっていくとき、世の中にあふれる定型文とは違う“私の身の回りの整い方”が見つかるのではないかと予感しています。
 そしてそれが私がこれから作る作品にも大きく影響してくると思うと、自分自身とてもワクワクしています。今後も良い作品が作れますように。そして多くの皆さんに再びお会いできますように。頑張りたいと思います。
 
毎度長文にお付き合いいただきありがとうございます。
そんな私の今後の予定をNEWS欄にまとめましたので是非チェックしてみてください。

2018/06/19

梅田宏明Somatic Field Projectを見て欲しい理由

約2週間後に迫った梅田宏明Somatic Field Projectの公演について、新宿へ向かうバスの中から、少し長く書きます。お時間ある時にご一読頂ければと思います。(公演情報は文末にあります)

城崎国際アートセンター合宿リハーサルより

今回私がダンサーとして出演する作品の振付家、梅田宏明さんは余りにも海外公演が多いので、拠点が日本ではないと思われている方が多いのですが、実は日本を拠点に、早くから若手育成の為のプロジェクトをされており、私が出会ったのは2015年。自身の文化庁のウィーン研修が終わり、海外のダンサーを振付する事の面白さや難しさ、日本と海外におけるアーティストの立ち位置の違いを肌で感じて来た直後でした。

私と梅田さんを引き合わせてくれたのは自身も梅田さんの作品にダンサーとして参加されていた、黒田なつ子さんでした。(今回、私が踊る作品は黒田さんが以前踊られた作品の改定再演なので、深い縁を感じています)
梅田さんのソロ作品を初めて映像で見た印象は「洗練されたビジュアルやシステムの中に生の体が放り込まれている」という感覚でした。あと、とにかく体の動きが速い。照明や映像の効果で速く見えるのではなく、実際にワークを受けて、生で見ても、その速さは変わらず、特に首の回転の速さには衝撃を受けました。
梅田宏明+Somatic Field Project 「1-resonance」 トレーラー
https://www.youtube.com/watch?v=flwhGtnQPyM

そんな出会いから、私が梅田さんのワークに通うようになった理由は幾つかあるのですが、その一つは「指示の明確さ」です。
ダンスって抽象的で感覚的なものと思われがちですが、高いレベルに行けば行く程、体への「具体な意識」が必要になって来ると私は思っていて、もちろん抽象的なもの、例えば劇場の雰囲気や、天候、あるいは霊感、人知を超えた「何か」みたいなものと密接に関わる場所に、踊りはあると思っている節は私自身もありますが、体に関して限界まで具体的に突き詰めた上で、そういう抽象性に言及したいというのが私の見解で、梅田さんのワークにおける「指示の明確さ」には数学者が数式で現象を解明するような、具体的な突き詰めの中で、人知を超えるものに手を伸ばす意識が強く感じられたのでした。これはあくまで私の見解ですが、この「具体性」への肉迫が、このメソッドが国境を超えてダンサーに響く要因である気がしています。

そしてもう一つはその「メソッドの有効性」です。先ほど紹介した黒田なつ子さんを始め、私が梅田さんのワークに参加した時には既に多くの素晴らしい「先輩」が既に梅田さんのメソッド「kinetic force method」を体得しており、実際にそのメソッドがダンサーに及ぼす影響を間近で感じる事ができました。
このメソッド自体、梅田さんが自身の身体を使い、長年かけて開発した「実感を伴ったメソッド」であり、その「実感」を鍛えたからこそ、ダンサーへのパスが洗練され、しっかりと受け継がれている事がわかります。
「教わっただけのものよりも、強く実感したものの方が人に伝わる」という事が、若輩ながら梅田さんと同じように、ソロからキャリアを始めた振付家の私にとって、希望を与えてくれているのは確かです。

そして、今まで出会った日本のコンテンポラリーダンスの振付家の中で、ここまで精度の高いパスが出せる人を私は知りませんでした。今までの私に「受ける精度」が足りなかったという事も事実かもしれませんが…

そしてその精度の高いパスを見事に受けて来た全員年下の「先輩」方を見て、当時30歳を過ぎた私が、ただ素直に「この人達のように上手くなりたい」と思えたのは、様々なバックグラウンドを持つ彼女達が、メソッドによって均一化されるのではなく、それぞれに違った形で発展しているからでした。
そして今回の作品にも参加する私と同時期にワークに参加し始めた同期達(こちらも全員歳下ですが)の成長の過程を間近で見られている事も私の背中を強く押してくれています。

そして最後の理由は以上に挙げたような事を梅田さん本人が長期に渡って行い、その成果を「待てる」人であること。
苦労して手に入れた物を、人は出し惜しむものですが、逆に梅田さんは惜しげも無くメソッドをオープンソース的に公開することによって明らかにメソッド自体を進化させていっています。

日本の振付家も、べつに出し惜しんでいるわけではなく、カンパニーを継続させる事が経済的にも精神的にも困難な日本の状況で、自分のカンパニーを育てることで精一杯で、中々培ったメソッド自体をカンパニー以外の人間に長期的にオープンにし、その効果を計ることは少ない気がします。

Somatic Field Projectはその名の通り「プロジェクト」であり「カンパニー」ではありません。
「カンパニー」とは本来自社の利益を最優先するものです。
しかし梅田さんの「プロジェクト」はダンサーを通してもう少し先、大げさに言えば「芸術に対する意識の変革」にまで視野が届いている気がしています。

その「変革」とはつまり日本人の芸術に対する意識の低さに対する変革です。私がウィーンにいて感じた事は「芸術が生活に必要不可欠なものであるという認識が日本人は極端に低い」という事。
この見解は私自身、海外に出なければ中々実感できなかった事でもあります。今までに様々な国を訪れましたが、ウィーンでは特にアーティストとしての「息のしやすさ」を感じました。アーティストは日常の意識を変革してくれる必要な存在であるという認識と尊敬を市井の人々から感じるし、その期待にしっかりとアーティストが応えている。そんな幸せな応答と、結果を急がず、その応答をしっかりと「待てる」文化がウィーンにはありました。

そんな「待つ」ということをアーティスト自身が忘れかけているのが今の日本の現状ではないだろうか?梅田さんの活動を通して、アーティストとは本来「変革を担う」存在であり、資本主義、市場経済とは違う時間軸で、じっくりと、一生をかけて「何かを待つ」ような生き物ではないだろうか?
そんなことを、若手たちと向き合っている梅田さんから感じています。

約2年半ワーククラスに通い、梅田さんの作品創作に関わるのは2回目ですが、最近やっと少しづつ梅田さんの言っている事が身体に伝わって来た気がします。何かを本当に獲得するには時間が必要で、成し遂げるには人生は短か過ぎるのかもしれません。
しかしそれを自身がじっくり「待てる」かどうかと、共に側で「待ってくれる」人がいるかどうかで、その獲得のスピードは変わる。
以前ふと「梅田さんにもっと若い時期から出会っていたら…」と思う事がありましたが、恐らく若い時期の私は、私自身を急いでおり、じっくり待てなかったと思うのです。だからこそ広い世界を垣間見て、ふと立ち止まったあの時、あのタイミングで、梅田さんという「共に待ってくれる人」に会ったからこそ今があるのだと思っています。

最後に、今回の梅田さんの公演について、面白いか面白く無いかはハッキリ言って人によって好みがあると思います。しかし梅田さんのこの試みに関してはダンサー、ダンスに関わる人、芸術に関心のある人、無い人、全てに知って欲しいと思っています。

そして先日までの城崎国際アートセンターでの10日間の合宿を通じて、より一層、参加ダンサー、マネージャーの努力と魅力を感じることが出来ました。
城崎国際アートセンター合宿リハーサルより

あまりダンサーの情報が表に出ていませんが、今回のダンサーはバレエ、新体操、ストリート、コンテンポラリー、様々なバックグラウンドを持つメンバーに加え、海外カンパニーを渡り歩いて来たメンバーも加わった不思議な座組みです。
みんな全然違うけど、ダンスへの情熱と純粋な心を持った素晴らしい奴らです。
みんな全然私より若いけれど(昭和生まれは私のみ!)尊敬し、誇りに思っています。彼女達が如何にメソッドを獲得し、発展させているか、是非生で見て欲しいと思います。
そして私自身、この公演が多くの人の心と身体に響くことを願って、もう後2週間、頑張りたいと思っています。

そして梅田さんの他にもう一人、しばらくの東京での単身赴任を許し、家で「待って」くれている奥さんに感謝しています。情けないほど色んな人を「待たせて」人は成長して行きます。だからこそ私もいつか、誰かをしっかりと「待てる」人になりたいと思っています。

公演のご予約はまだまだ受付中です。直接私にメッセージ頂いても構いません。返信は「待たせません」どうぞよろしくお願いいたします。
公演詳細
https://www.facebook.com/events/2125803634375830/?ti=icl

長文にお付き合い頂いた皆様にプラス情報として梅田さんが映像作家として参加されている六本木2121designsight企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」の情報を載せておきます。
コーネリアスの小山田圭吾さんの音楽に複数の作家が挑むという必見の展示。是非ご覧下さい!
http://www.2121designsight.jp/program/audio_architecture/index.html

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

京極朋彦

2018/05/07

移住から半年が過ぎて


地元の林業を営む方から頂いた木に
これまた地元のカフェの店主さんに書いて
頂いた右肩上がりの表札
早いもので私達夫婦が兵庫県神崎郡神河町に移住して来て、はや半年が経とうとしています。
やっと極寒の冬を乗り越え、暖かな日差しが届くようになってきたこの町で、正直もう半年が過ぎたことに驚いていますが、少しずつ日々が充実してきたことを考えると、確かにそこには半年の月日があったのだなぁとも思います。

今日は今月5月26、27日に国立の美術館で行われる私たちの公演に向けてリハーサルをする中で感じたこと、そして神河町に来て半年が経って感じていることを文章にしてみようと思います。毎度のごとく、長文になる予感がしていますが、ご一読いただければ幸いです。

畑を二うね貸していただき人生初の耕運機

神河町に移住する前、私たち夫婦は東京の西国分寺に住んでいました。東京でありながら豊かな自然に囲まれた穏やかな街で、去年の今頃は近くの公園でカエルがたくさん見られたほどでした。

そんな都会の喧騒を離れた場所である国分寺、国立エリアには音楽家や芸術家が多く住んでおり、結婚する以前から西国分寺に住み始めた私たちはお互いの知り合いが繋がっていくこと、共通の友人のご近所さんができることの豊かさを感じていました。

今回の国立にある会員制の美術館、宇フォーラム美術館もそんな緩やかなつながりの中で出会った場所でした。私たちは東京を離れるにあたってこの出会いを完全に手放してしまうのは悲しいという思いもあり、緩やかにこの場とのつながりを残しておけないものか?と考え、今回のAllegory創作シリーズを始めました。

移住を決めたとき、もう東京で夫婦そろって発表の場を持つことは難しいだろうと思っていました。
しかし今になって私は、実は東京にいた方が、その機会は遠退いて行ったのではないかと感じています。機会や場所に恵まれていればいるほど、人は段々とそのことに慣れて来てしまいます。
二人で暮らしていることにも、段々と「あたりまえ」が付きまとって、いつの間にか特別さは薄れていってしまいます。
私達夫婦にとって、田舎暮らしというある種のクライシスが訪れたことによって、機会や場所の貴重さ、人とのつながりの尊さみたいなものが再確認されているような気がします。
そして誰に対して見てもらいたいのか?ということも、東京にいて漠然と作品を発表していたころに比べるとハッキリとしてきた気もします。
そしてそれは単に田舎暮らし始めたからということだけではなく、今までにお互いが機会と場所を必死で開拓してきたことや、ここ二、三年、海外で仕事をしてきたことも深くかかわっていると思います。
日本語が通じて、場所があって、人がいることは決して「あたりまえ」じゃない。そのことが私達夫婦の中に新たな創作の種を生んだ一つの要因だと感じています。

そういった意味で今回のAllegory創作シリーズは東京に残してきた私たちの創作の種であり、畑です。その芽がどのように開き、どんな花を咲かせるか、今のところ全く未知ですが、根気よく続けていけたらと思っています。

ところで、今私たちは神河町で有機農業教室に通い、畑を借りて作物を育て始めました。その中で思うのは豊かな土壌を育てることが何より大事だということ。長い時間をかけて土自体を育てていくことで、雑草の生えにくい土壌、作物の良く育つ土壌が生まれます。
東京にはそれこそ、様々な種類の豊かな土壌が、ありすぎるといっても良いほどあり、私はその恩恵を今までに沢山受けてきました。京都にも10年住んでいたので京都の土壌にも育てられてきました。逆に神河町には東京のような土壌はありません。しかし神河には神河でしか育たない作物がきっとあるはずで、私たちはその、まだ見ぬ土壌を耕し始めたばかりなのかもしれません。

話があちこち飛びますが、最近久しぶりに会った若いダンサーが「オファーが来なくなったらやめようと思う」という話をしてくれました。それはそれで潔いことです。
ただ、その話をされたとき、私の中に浮かんだ言葉は「やめるとは何か?」ということでした。「やめる」とは何かから「降りる」ことを指す場合もあるし新たなことに「乗り換え」ることもやめるの一部である気がします。
そういった意味で私は田舎に引っ越したことで東京の土壌から「降りた」のかもしれません。しかしそのおかげで逆に国立に新たな畑を持つことができました。
それがいいことなのかどうかは10年後ぐらいにわかるんじゃないかと思っています。
東京や京都で根を張って頑張ってきた同世代が活躍していく姿を見て、根を張ることの強さを感じ、自分はふらふらしてんなぁと感じることもあります。年相応の焦りも、もちろんあります。


しかし生きている限り日々、何かをやめて、何かに乗り換えて人は生きていくものだと思うのです。
実際この半年で私は東京行きの夜行バスに10回以上は乗ったり降りたりしていますし、6月にはダンサーとして東京の振付家の作品に出演したりしています。

じゃあいったい何をやめて、何に乗り換えたのか?案外それを決めるのは自分次第で、人はそんなこと対して気にしてない。今でも「京極」という名前のイメージから、私が京都にいると思っている人によく合いますし 笑
思えばずっと移動し、乗り換えてきました。それは機会と場所を求めてさまよう旅であったように感じます。それは様々なリスクと大きな不安を伴う旅でした。
しかし人生のパートナーを得た今、私の帰る場所は一つになりました。いわばパートナーが拠点といった感じです。パートナーが移動すればそれに伴い私も移動することになります。
その旅は相変わらずリスクと不安を伴う旅ではあるのですが、プラスになることのほうがマイナスより多い。と、今のところ感じています。
人とのつながりは倍に、出来ることはそれ以上に増えているからです。チーム戦になった分、チーム内での揉め事は絶えないのですが、、、。

そして移住して半年が過ぎた今、私の中で新たな思いが生まれてきました。
進路を踊りに定めてから10年が経って、改めて自分には何ができるのか?を考えた時、ずっと漠然としていたことや、目をそらしていたことが様々な成功と挫折の繰り返しの中で急にハッキリとしてきたように感じられています。出来る事と出来ない事。その両方を見つめることで、より出来ることに集中していく感じが、今の感じです。
そしてそのできることの一つが、神河町に自分たちの機会と場所を作り、それを県外に開くというアイデアです。具体的には稽古とレジデンスができるスタジオを開設したいと考えています。
神河町には豊かな自然と広い土地があります。その環境で自分達の創作を深めたり、レジデンスアーティストを受け入れる機会を作っていくことができればと考えています。それだけでなく自分たちの創作を深め、作品をリリースしていくことも考えていますが、まずは考えるだけでなく、なるべくこのアイデアを人に話してみることにしています。有言実行できるように。

絶えず機会と場所を求めて彷徨ってきたからこそ、拠点を持ち、運営していくことに今、興味を持ち始めたのだとも思います。海外のレジデンス施設をいくつか見てきたことも大きく関係していることと思います。
その中で強く感じていることは人と人のつながりが種を運び、やがて様々な場所に畑ができ、季節が来れば申し合わせたかのように花が咲き、実がなるということ。
冬の間、全くその気配を見せなかった我が家の庭の花々が、春になって申し合わせたかのように一斉に咲き始めたときは本当に驚きました。その種はどこからやって来て花を咲かせ、その実は風に運ばれ、どこへ行くのか?
拠点を持つということはそんなことに思いをはせながら、そこにいながらにして思いを旅させることなのではないかと思います。

実際そんなスタジオに適した場所が見つかるのか?見つかったとして、どうスタジオを運営していくのか?問題は山ほどあると思うのですが、時間をかけて旅の準備をしてみようと思い始めました。
そして今月、国立で行われる公演も、これらのアイデアと無縁ではなく、まさに「創作の種」を運ぶ、育てるといった過程を披露するものになると思います。
完成されたものではなく、まだ種だけれども今後に思いをはせられるもの、そして少しでも神河町で暮らし始めた私たちの思考と挑戦の日々を込められたらと思っています。
離れた場所でいかに花は咲き、実がなるのか?今になってやっと生活とダンスが同じ動線上に重なるのを感じています。
咲いた花がいかに綺麗か、なった実が何の役に立つか?そんなことにしか目がいかなかった時は、ダンスと生活はいつもギリギリに重く、きつく重なり合っていました。
今もそんな重なりから完全に自由になれたわけではありません。
しかし少しずつその重なり方は苦しい重なりではなく、呼気と吸気があって呼吸があるように、穏やかに重なっていける。そんな気がし始めているのです。

神河町は実は桜の名所だらけ!
なんだか隠居みたいな文章になってしまいましたが、実際、こんな気持ちになれているのは奥さんが日々地域おこし協力隊として働いているからであって、頭が上がりません。
今はまだ私は県外に出稼ぎ状態ですが、ゆくゆくはスタジオ開設に向けて、町に関わっていく仕事をしていければと思っています。

と、いうことで最後は宣伝になってしまいますが、5月26、27日はぜひ国立の美術館、宇フォーラム美術館へ是非お越し下さい。皆さんにお会いできるのを楽しみにさせていただきます。
とてもよくまとめていただいた、ステージナタリーさんの記事が以下のリンクから見られますので是非アクセスしてみてください。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
Allegory 創作シリーズvol.1「FuReRu」詳細
https://natalie.mu/stage/news/279595

2018/01/03

新年!!

新しい年を迎えました!
喪中につき、新年のお祝いの挨拶は控えさせていただいておりますが、新しい年を迎える喜びは毎年変わらず、今年もよい年であるようと、願うばかりです。
 
昨年は年明けから大きな座組に参加させていただき、ツアーで様々な場所を訪れたことに始まり、京都のミュージカル振付や結婚式、長期韓国滞在と母親の他界、国立美術館の企画の始動、フェスティバルトーキョーへの参加、仙台での公演、看護福祉大学での授業、そして移住など、盛りだくさんの一年でした。
特に今年は拠点が兵庫県になったということもあり、仕事も生活もガラッと趣を変えることになりますが、基本的には兵庫を拠点に仕事単位で東京、京都などフットワーク軽く、移動しております。お仕事依頼に関わらず、ぜひお気軽にお声かけください。
 
しばらくは兵庫で農家の仕事をお手伝いをしながら心身を鍛えてみようと思います。焦らず弛まず、大切なことは変わらず大切に、自分自身の踊りを見つめ、鍛錬し、皆様にお届けできるよう頑張りたいと思っておりますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
                                   2018年1月3日 京極朋彦
 
 
<今後の予定>
 
2018年1月
 
アマキオトによる国立、宇フォーラム美術館企画 始動
 
伊東歌織主宰「アマキオト」が国立にある会員制美術館「宇フォーラム美術館」を舞台にダンサーやミュージシャンと共に長期的なリサーチとワークショップを行う企画です。
4月、5月ごろ何らかの形で皆さんにお披露目できる機会があるかと思いますのでお楽しみに!!
 

 

2017/12/08

結婚記念日と移住について

神河町の山とススキ 
 この度、私、京極朋彦は妻、伊東歌織と共に兵庫県神崎郡にある神河町という町に移住しました。
今後は兵庫を拠点に、実家のある東京、10年住んだ京都を拠点に国内外含め様々な場所で活動を続けていきます。
本日が結婚一年記念日ということもあり、これまでの経緯をまとめて書いてみようと思います。


まず初めに言っておかなければならないことは、今回私たちが神河町に移住するに至るまでには妻、伊東歌織の大きな決断があったということです。
彼女が移住を決断しなければ、もしかしたら私はこの神河町を生涯訪れることはなかったかもしれません。
遡ること約二年前、伊東歌織は、この神河町の「シニア向けのご当地健康体操」を振付することになりました。そこには彼女が10代のころからお世話になっている兵庫県出身の先生の存在がありました。先生は現在東京在住で主に介護福祉や高齢者の健康作りのための体操を教えてらっしゃり、今でも頻繁に神河町を訪れて、体操を教えてらっしゃいます。

そんな先生から振付の依頼をされた伊東歌織が作った体操が「かみかわハート体操」でした。(名前は神河町の地形が綺麗なハート形をしている事に由来し、振付には農家の多い神河町の町民の日常生活での動作を取り入れると同時に、地域の特産である柚子や、美しい山並みや、ススキの広がる平原などがモチーフに振付されている。作曲は私達の結婚式でも演奏してくれた音楽家の佐藤公哉さん、演奏に権頭真由さんが参加。現在はPVも撮影し、地元のケーブルテレビで放映中。)

神河町は兵庫県のちょうどド真ん中辺りに位置する美しい水と空気、自然にあふれた町で、2005年に神崎郡、神崎町と大河内町という町が合併して出来た人口1万1千人程の町です。
それでもまだ兵庫県の市町の中では最も人口が少なく、住民の過疎化、高齢化が進んでいますが、町民の方々は本当に元気でやさしい方が多い町です。

私もアシスタントとしてこの「かみかわハート体操」に関わらせていただき、何度か町を訪れましたが、とにかく東京とは空気が違う。見渡す限りの山、川。夜は満天の星というとても気持ちのいいところという印象を持ちました。しかしまだ私はこの頃、まさか自分が、この町に移住することになるとは思ってもいませんでした。

ちょうどそのころ、伊東歌織は横浜ダンスコレクションという国際的なダンスのコンペティションに振付家としてノミネートされ本選に出演することになりました。
私はその作品にダンサーとして出演することとなり、本選に向けたリハーサルを開始しようとしていた頃、彼女から意外な提案を受けました。
「東京都内で舞台美術(畳一畳分ほどあるテーブル)を持ち運びながら稽古場を転々とすることが物理的にも経費的にもできないから、合宿しよう!」

横浜ダンスコレクションを含め、多くのダンスコンペティションでは、作品はノミネートされたものの、そのリハーサル場所、経費、ギャランティー等は支給されず、賞を受賞した場合のみ賞金が出るシステムをとる場合が多く、国を跨ぐ応募の場合、振付家は経済的理由で参加を見送ることもよくあります。私も以前、メキシコのダンスフェスティバルに招聘された時の渡航費はクラウドファウンディングで集めました。

私もその時、合宿はいいアイディアだと思いました。彼女が合宿先として選んだのは、島根県出雲市。かつて彼女と同じダンスカンパニーに所属し、現在そこに移住した女性ダンサーの住む町でした。聞けば彼女は初め「地域おこし協力隊」という国の制度に応募し、単独島根に移り住み活動を続け3年の任期を終える頃、現地の男性と結婚、定住しているということでした。

地域おこし協力隊とは人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図っていくことを目的とした制度です。
2009年に総務省によって制度化され、2015年度には全国673の自治体で2,625人の隊員が活躍している、いわゆるIターンを狙って国が予算を出している事業です。
神河町も三年前からこの制度により、県内外から移住者を募って来ました。

「地域おこし協力隊」という言葉は耳にしたことがありましたが、私は実際にそれをされている方と会うのは初めてでした。10日間ほど冬の日本海と豊かな自然に触れながらリハーサルをする中で確実に体の感覚が変わっていくのを感じると同時に、実際に地域おこし協力隊として活動していた方の話を聞く中で、少しづつ私の頭の中に「東京」という場所を客観的にみる視点が生まれてきました。
横浜ダンスコレクションでは奨励賞という大変ありがたい賞を頂きました。が、敢えて書かせていただくと、奨励賞には賞金は出ません。合宿にかかった費用、スタッフの人件費、そしてダンサーとしての私の報酬。それらすべてを奥さんは自腹で出しました。それが現在の日本のダンサー、振付家の現実です。

その後、奥さんは仕事で何度か神河町を訪れるようになりました。彼女の頭の中にはそのころから既に「移住」の二文字があり、実際に私に相談もありました。
神河町にはすでに地域おこし協力隊の先輩方がおり、農業をされている方もいれば、観光課で働いている方。ゲストハウスを運営されている方などがおり、それぞれ異なるミッションもって活動されています。私が二回目に神河町を訪れたとき、この協力隊の一期で隊員として活動し、現在ゲストハウスを運営されている方のところに実際に宿泊させてもらいました。
奥さんがもし神河町で地域おこし協力隊として活動する場合、役所の健康福祉課に所属し「かみかわハート体操」を広めること、地域の健康促進のための体操やレクレーションのサポートなどが主なミッションであり、さらには町外、県外との懸け橋となり地域おこしに協力することになるということでした。

ところが私は奥さんに移住の相談を受けたとき、なぜかその話を遠い先のことのように考えていました。正直なところ今の状態で東京を離れることに不安があったからです。
奥さんはすでに神河町との関係ができている中で、スムーズに移住することができるかもしれないが、この町にとって私は完全なるよそ者です。もし私もこの町で地域おこし協力隊として働くのであれば、私は私で神河町での新たなミッションを考えなければいけません。
夫婦そろって役所に勤めて、生活は成り立っていくのか?
私は協力隊にならなかったとしたら、収入はどうするのか?キャリアはどうなるのか?踊りを続けられるのか?
どこかで現実と向き合おうとしない自分がいました。

18歳で「つまらない大人になりたくない」と息巻いて東京を離れ、京都に10年住み、最後の3年間、ダンスフェスティバルを主催。赤字で借金を作り、東京に戻らざるを得なくなってから3年。だんだん東京でも仕事がもらえるようになってきたタイミングで今度は兵庫に。とにかく迷いました。

こんな時、男脳というのはそんなつまらないことばかり考えるものです。
後ろ髪を引かれて、不確かな未来に手を伸ばして、今という地に足がつかない。
私は先日33歳になりましたが、移住を迷っているときのことを思うと、18歳で東京を出たときのほうがよほど軽やかだったなと思います。27歳でダンスフェスティバルを始めた時のほうがよっぽど自分に正直だったなと。まだ世間知らずだったこともそれらの一歩を踏み出す勇気を助けたかと思いますが、いろいろと経験してきた上で、踏み出せなくなった一歩を助けてくれたのは、過去の自分と、何より奥さんでした。

「貴方は貴方のやりたいことをやって欲しい」

奥さんにはそういわれました。5年前に出合い、去年末に結婚。私のことを誰よりも知っている彼女の言葉に託された意味を私は深く、重く、受け取りました。
私はこの言葉に後押しされ、少しづつ考え方を変えていきました。それは全く新しい考え方に変えていくというよりは、勇気がなくて踏み切れなかった考え方に正直に向き合うプロセスでもありました。

よい環境で、健康に暮らしたい。
豊かな環境で、時間をかけて作品を作りたい。
じっくり自分の体と向き合いたい。

2015年から私は毎年海外のフェスやレジデンスに受かる事が出来るようになり、日本では東京以外の都市に出向くことも多くなりました。
私自身、ダンスの活動をするときは「京極朋彦ダンス企画」と名乗っていますが固定のメンバーがいるわけではなく、逆に言えばダンサーは今まで仕事をしたウィーンに、メキシコに、韓国に中国にと、世界中にいると言ってもいい。
それだったら拠点を兵庫に移しても、活動は続けられるし、むしろダンサーである奥さんと時間をかけて作品を作ることができる。10年住んだ京都も近い。

そう考えていくうちに、移住の良い面をたくさん見出すことができたと同時に、自分が今まで忙しさや収入にかまけて、見て見ぬふりをしてきた事が炙り出されてきました。
それらすべてが移住によってすべて解決する事ではありません。むしろ移住に夢を持って始めたものの、その地域と合わず、帰ってきてしまう人は沢山います。私も正直まったく先は読めません。
しかし今回の移住に関して私は、奥さんに「生きていく」とはどう言う事か?という大きな問題と真剣に向き合うチャンスを貰ったと思っています。

今年の夏には母が亡くなったこともあり、今年はいろいろなことが私の生活の中で混ざり合い、「生きる」ということの意味を少しづつ変えていっています。
このタイミングで大きく生活環境を変えることが10年後、20年後振り返った時にどんな意味を持つのか?それは「その時になってみなけりゃ、わかんないじゃ~ん」と思っています。
今は今の感覚を信じて、そして奥さんを信じて、進んでいこうと思っています。


裏庭には柿の木、アジサイ、イチジクの木があります!


生まれも育ちも東京で親戚一同みんな東京在住の田舎暮らし初心者です。
まずは我が家の裏に、荒れ果てた庭があるので、雑草を抜き、土を耕すことから始めてみようと思います。
数年後、この庭にも、私たちの生活にも、一体どんな花が咲くのか、今から楽しみにしていきたいと思っています。

ということで長々と書きましたが、今後とも関西関東に限らず様々な場所で活動してまいりますので、夫婦共々、どうぞよろしくお願いいたします!!


2017年12月8日 京極朋彦、歌織

2017/09/13

人生がズシズシ

今年の春から秋にかけて。人生がズシズシと動いた。

そんな気がしています。1月から3月まで『K・テンペスト』でツアーをしていたことが遠い昔の事のようです。そこからブログもすっかりストップしていました。

気が付けば秋。なんとなく自分自身のことを振り返りたくなり、久々にこのブログにアクセスします。

直近の告知はNEWS欄にまとめましたので、ご覧ください

春から秋にかけて、私の人生は公私ともに様々な出来事がありました。
大切な人を失ったり、大切な人に助けられたリ、新らしく大切な人が出来たり、、、。
月並みですが、人生は出会いと別れの繰り返しなんだなと感じます。

出会っては別れる人たちと、何を分かち合うことが出来るのか?
出来ることなら出会う人、別れる人たちとの間に笑顔がありたい。
人を笑顔に出来る仕事をしたい。大切な人と自分が、いつも笑顔でいられるように暮らしたい。

そんな基本中の基本みたいなことがひどく胸に響く数か月でした。

なぜか既に今年も締めくくりみたいな気分になっているのですが、まだまだ今年やることは沢山あります。とりあえず明後日から2週間、終日、タイの振付家ピチェ・クランチェン氏とのクリエーションが始まります。

10月には縁が巡って念願のSUNDRUM、敦さんとのセッション、初めて訪れる仙台でのパフォーマンス、介護福祉大学でのワークショップと盛りだくさんです。

つくづくどこに向かうのかわからない人生。それでも大切なことを見失わなければ、自ずと向かう方向、たどり着く場所があると信じています。
何処に向おうと、何処にたどり着こうと大切なことはいつも同じです。

次はどこに向かうのか、いつもワクワクしていられる人生を選んだのだから、思いっきり楽しみたいと思います。

貯金はしますけどね 笑

2017/03/14

Kテンペスト2017 終了

Kテンペスト2017が終了しました。


今年の年明けからKAATで始まったリハーサルから一か月に及ぶ長野県松本市での滞在制作を経ての長野ツアー4か所。そしてKAATでの大千秋楽。ここまで長く、集中的な創作の現場は初めてで、しかも普段とは異なるフィールドである演劇の現場は本当に刺激的なものでした。

リハーサルの前半はとにかく「声」に関するインプットと話し合いの時間。とにかく出演者同士が車座になって沢山話をしました。集団で何かを創作するときにそれぞれの能力ももちろん大事ですが、いかにチームとして作業が出来るか?ということはもっと重要で、KAATでの半月間をとにかくチームとしての「下地」を作ることに時間をさけたのは本当に財産でした。
ダンスでもこういう作り方が出来ればいいのですが、限られた時間と場所、予算によって中々このような時間を作るのは東京では難しいように感じます。

そして今回私が一番贅沢に感じたのはプロの役者さん達の「言葉」の扱いに間近に触れることが出来たことでした。
私自身もダンス作品の中で「言葉」あるいは「デタラメ語」を使用することが多々ありますが、今回触れた役者さんたちの扱う「言葉」は根本的にダンスの「言葉」とは違いました。


KAATのリハーサル中にも話したのですが、「言葉」を扱うようになったとき人間はある種の「魔法」を手に入れたのではないか?と思います。「名指す」ことでそこに「存在」生み出す魔法。「嵐!」と言ってしまえばイメージの中で「嵐」が現出すること。それらすべてが演劇の「魔法」であるように感じました。
普段ダンスを生業にしている私にとって「言葉」について、「発話」について、「演劇」について学ぶことが沢山ありました。

そして、意外だったのは串田さんの作品の作り方は、少しダンスに近い部分があったことです。
俳優である以前に一人の人間であり、人類の一部、自然界の一部でもあるというスケール感。表情や感情みたいなこと以外に強くイメージを持つこと。そしてある時は「形」から入り、ある時は「感情」から形をつくること。(ここら辺は振付に近いものがあります)そしてフィクションの位相を行き来する自由さ。ありとあらゆる手段が許されるような現場でした。
これってとってもダンスの現場に近い気がして、演劇素人の私も何とか食らいついていけたような気がします。

また、同世代の役者さん、大先輩の役者さん、ミュージシャン、スタッフの皆さんと同じ演目を出来たことは本当に楽しかったです。
大先輩が楽屋でポロッと演技のアドバイスを下さったり、ミュージシャンの方が踊り用に作曲してくださったりして、本当にありがたい時間を過ごさせていただきました。

そして旅先では一緒にご飯食べたり、全然関係ない話を沢山して、何というか、10年ダンスを必死でやってきたご褒美が意外な形で返ってきたような、幸せな時間でした。
そして松本の劇団「TCアルプ」の皆さんに出会えたことも僕にとっては財産です。
自分も東京出身で京都に10年住み、今再び東京で活動している身なので、都市と地方に関して思うとは多々ありますが、彼等の背中から沢山のことを学んだ気がします。


と、まあ書き出したらきりがないのですが、一先ずの一区切り。
明日からまた違う海に航海に出発します。
実は今回の演目に参加したことによって生まれた新しい企画も動き出しました。追々その情報もブログで公開できると思います。
今後の出演、振付情報をNEWS欄に記載しました。サボりがちなブログですが、ちょいちょい更新しますので、ぜひチェックしてみてください!!