2013/07/15

KYOTO DANCE CERATION vol.2 振付家、団体紹介パート4

さて、いよいよ今週末に迫りましたKYOTO DANCE CERATION vol.2!
振付家紹介も今回でラストです。

ラストを飾るのは、今回唯一、京都から参加の松尾恵美さんです!!
こうして今まで紹介してきた皆さんが、明日から劇場に集結すると思うと、ワクワクします!
皆様に劇場でお会いできるのを楽しみにしております!

松尾恵美さんは私の大学時代の後輩であり、今まで何度か、ダンサーとして京極朋彦ダンス企画の公演にも参加してくれました。
ダンサーとして様々な振付家の作品に出演し、キャリアを積んできた彼女は今回、初めて振付家として作品を作ります。

ダンサーと振付家とは、とても似ているようで、全く異なる職業です。私自身も、ダンサーとして出演する作品、自作自演のソロ作品、自分も踊る振付作品、自分が出ない作品と様々なパターンで作品を創作したことがありますが、やはりやる側と、見る側は決定的に違う景色を見ることになると思っています。

普通、集団で何かするときにはリーダーとメンバーが同じ方向に向かって足並みをそろえるのがセオリーですし、ダンサーと振付家もある程度そうする必要があり、皆が同じ景色を見ていたいと思うのは自然なことです。しかしそれだけが方法ではないというのも事実。 

松尾さんが私の作品に出演してくれた時、ダンサー松尾恵美の見ている景色と、振付家である私の見ている景色はあまりにも違いました。
だからこそ生まれたものも多くありました。ダンスの生成方法は決して一つではないのです。
その時から私は彼女が一体何を見ているのか?今までやる側の景色を見てきた松尾さんが、見る側に回った時、彼女の眼には何が映るのか?その景色を私は見てみたいと思うようになりました。

そして今回、予想外だったのは、松尾さん作品を作るにあたって、見たい景色の中に連れてきた、その登場人物達でした。

二人の屈強な男が、なんだかよくわからないルールの中で暴れまわっている。
これが松尾さんの見たい景色か!?と目を疑いました。
それぞれがバラバラな方向に向かって、好き勝手に暴れまわっている、あるいは、じっとして動かないでいる。何ともシュール。

しかしよく見ればそこには、ダンスに対する鬱憤晴らしのような批評性と、剛腕で猥雑な祈りのようなものが隠されているように見えました。

「運動」と「ダンス」の違いから作品を立ち上げたい。と松尾さんは言います。ただその違いをあらわにするだけでなく、その違いの中に何を見出すことができるのか?それがタイトルの「Fit back ?」(戻りきることができるか?)にも込められていると言います。

そしてひたすら稽古していくうちにダンサーの今村達紀さん、塚原悠也さんの屈強な筋肉は、さらに屈強になっていき、さらには音プランというクレジットで参加している荒木優光さんが、突拍子もない音をかけたりする。稽古場は正にカオスでした。

正直、私は松尾組に関しては、本番直前まで変わっていくと考えています。もしかしたら本番明けてから、毎本番ごとに変わっていく事もありえるでしょう。現時点でレポートできることは、とにかく現場で見てもらわないことには何も語れないということ。それに尽きる気がしています。同時に、プロデューサーとして、それもまた、いいとも思っています。

そもそもKDCは若手振付家のチャレンジの場でもありますし、この時点でバラバラに見える登場人物たちのこの先を、この景色の先を振付家、松尾恵美さんと共に見てみたいと思うのです。

今回、松尾さんの作品が実現することになったのは、常々「作品を作ってみたらどうか」と私が言い続けてきたこととは別に、彼女自身が、踊る事についてふと立ち止まり、深く考え始めたことに端を発します。松尾さんも彼女自身の、その先を見てみたいと切に願っているのです。「今まで自分は踊る事しか考えてこなかった」と松尾さん本人も言っています。その彼女が作品を作るとはどういうことなのか?という問いに、立ち止まっています。

私は、松尾さんは生まれながらのダンサーだと思っているので、今回、様々な角度からダンスを見るという経験によって、今後の松尾さん自身の踊りは確実に変わっていくと思っています。

それは同時に優れたダンサーが誕生するということであり、優れた振付家が優れた作品を創作するために、必要不可欠な存在になっていくという事で、遠回りに見えるかもしれませんが、ダンスの発展に貢献していく事に変わりありません。

今回KDCが松尾さんのチャレンジの場として選んでもらえたことは喜ばしいことですし、そのチャレンジは企画自体の大きな推進力になっています。

事実、彼女のチャレンジに力を貸した屈強な男達と、それを実現しようとするスタッフは皆、松尾さんのチャレンジのその先の景色に向かって走り出しています。

完成されたものだけが人を動かすのではない。その完成に携わりたくなるような魅力が人を引き付けることもある。

ぜひ劇場で、この作品の先にある風景を目撃してください。
なぜなら、このチャレンジの一翼を担うのは観客の皆さん一人一人でもあるのです。

KYOTO DANCE CERATION vol.2 観客参加型トーク開催!!

さて、いよいよ今週末に迫りましたKYOTO DANCE CERATION vol.2!
アフタートークのゲストと概要が出ましたのでお伝えします。
今回は昨年KYOTO DANCE CERATION vol.1に参加いただいた振付家の方々をゲストに迎え、全団体終演後に“観客参加型トーク”を開催いたします。

参加型といっても、観客の皆さんに壇上に立っていただくわけではありません。
むしろ、観客席と壇上の枠をとっぱらい、ざっくばらんに話したいことを話す場として会場を開き、司会者とゲスト、振付家のやり取りではなく、観客の皆さんの感想、質問を中心に行おうという試みです。

というのは今回、京都外からの参加振付家、団体が多く、なかなか京都で見られない作品が集まりました。
作り手である彼ら、彼女らも、なかなか無い京都での上演機会をとても楽しみにしていると同時に、京都での観客の反応、生の声をとても聴きたがっています。それは主宰者である私も同じことです。

まだ作品を作り始めて間もない若手振付家にとって、観客の意見、他者の感想は大きな成長の糧です。しかも普段とは違う場所で、全く新しい観客との出会いはとても貴重なものです。
ぜひ観客の皆さんには、彼ら、彼女らを育てる一言を投げかけてあげてほしいと思うのです。


と言っても、そんなにすぐには、なかなか質問等が出にくいかと思いますので、去年参加していただいた振付家にその先陣を切ってもらうという形で、より多くの感想、質問が行き交う場にしていければと考えております。

参加していただく方々と、スケジュールはコチラです!

7月20日(土)
14:00 佐藤健大郎
19:00 野村香子

21日(日)
13:00 高田麻里子

各回トーク時間は30分です。

ゲストで参加していただく三人は、前回のKDCに参加し、その後も再演や、また違った現場で活躍しているダンサー、振付家の皆さんです。

今回のトークは観客の皆さんの声をより振付家に届けるという目的と共に、振付家同士の交流も目指しております。京都のダンサー、振付家と京都外からの参加者が一堂に会し、交流を深めていく。これもKDCの大きな役割の一つと考えております。

ということで、観客の皆さんには休憩中や、終演後に感想や質問をメモしていただき、終演後のトークに臨んでいただきたいと思います。

強制ではないので、それぞれの楽しみ方で観劇していただいて結構なのですが、「直接、振付家の生の声を聴きたい!」という方「一言物申したい!」という方のご協力をお待ちしております!


2013/07/13

KYOTO DANCE CREATION vol.2 振付家、団体紹介パート3

とうとうKYOTO DANCE CREATION vol.2まで一週間を切りました!
振付家、団体紹介も三組目。
今日は山口から参加の集団:歩行訓練、谷 竜一さんを紹介させていただきます!

集団:歩行訓練、谷 竜一さんと初めて会ったのは、私がTPAM in Yokohama 2011で、ソロダンス『カイロー』を上演した時のアフターパーティーだったと思います。

海外のディレクターや東京、横浜界隈の舞台関係者が多い中で、お互いに地方から参加した者同士、肩を寄せ合ったというか、話があったというか、同じ地方で、同い年で頑張っている仲間がいるという事が、お互いに嬉しかったという思い出があります。
 
そんな矢先、集団:歩行訓練はFESTIVAL TOKYO 2012の公募プログラムに選出され、実際に僕も池袋に公演を見に行きました。
その公演は演劇を使って演劇を批評していくような作品で、あくまでその表現方法は“演劇的”なものでした。私自身も彼らは“演劇を作る集団”だと思っていました。

ところが今回、彼らは“ダンス”を作ると言い始めました。正直、彼らのダンス作品を見たことがなかったし、果たして彼らにKYOTO DANCE CREATIONに参加してもらうという事が、どういうことなのか?プロデューサーとして悩みました。

しかし谷さんが「ダンスを作る」と表明したこと、送られてきたリハーサル映像を見て、私は「自分の知らないダンスの生成方法が見られるかもしれない」と思ったのです。

実際、送られてきた映像を見て、選考委員会のメンバーからは「これはダンスではない」という意見が出たり「ダンサーの体が硬い」という指摘が出たのは事実です。しかし私は映像を見た時点でダンサーの中村洋介さんが基礎のしっかりとした踊れるダンサーであることは一目でわかったし、そのぎこちない体の所以が強固なコンセプトによるものだという事は、容易に想像がつきました。

私は谷さんのF/Tでの作品『不変の価値』を見たときに「谷さんの強固なコンセプトに役者が追い付いていない」と感じていました。
だからこそ今回送られてきた映像に映る、中村洋介さんの体を見た時に「これは谷さんと対等に戦える体が見えそうだ」と思ったのです。

彼のFTでの作品を見ていなければ、今回、参加していただくことには、ならなかったかもしれません。しかしそれは山口を越えて、全国に作品を届けようという谷さんの理念と意気込みの勝利であり、力なのだと思います。

だから実際山口に行って、リハーサルを見ることを、私は本当に楽しみにしていました。
実際、彼らが拠点とするスタジオイマイチはオーナーの自宅兼、宿泊施設兼、稽古場兼、イベントスペースという素晴らしい場所で、なるほど、ここで生まれる作品のクオリティーはここが支えているのかと思うと納得がいきました。
さらにここに滞在して実感した事は、谷 竜一という作家が作品にかける情熱と、それを支える仲間たちの存在でした。

とにかく谷さんはダンサーが感覚的に、あるいは過去の経験から生み出していくような“振付”というものを、ずいぶん遠回りして、こねくり回して、論理的かつ分析的に生み出していきます。
それには恐ろしい時間がかかります。なんとなく作った振りをダンスのセオリーにのせて展開していけば、5分、10分ですぐに出来てしまうようなことを5時間、10時間かけて徹底的に構築していく。納得いかなければ何度でもやる。それが彼の“振付”です。

今回のコンセプトである「地図をつくる」という事について毎日そのコンセプトをダンサーに5分間、喋らせ、それを毎日録画し、そこで語られた言葉をピックアップし、それらをフレーズに分けて、一つ一つに振付をあてて、再びそれを喋らせ、録画し、、、という気がふれるような作業の果てに、全く関係ない振りがぽろっとこぼれ出る。最終的にそれが採用されたりする。というような果てしない作業が稽古場では延々繰り返されていました。

彼の稽古場は画家、あるいは彫刻家のアトリエのようです。果てしなく書き直し、削り取り、また重ねて、何かが立ち上がっていく。その傍らで無造作に散らばった絵具や木くず。不意に窓から、その行為と結果すべてに、等しく光が降り注ぐような瞬間を、その瞬間だけを待ちわびている男のいるアトリエ。まあいいように言えば。
悪く言えば「小難しいことやってんなぁ谷くんは。」といった感じ。

そしてそれらの要求全てを受け入れ、実現して見せる中村さんの凄さと、いい距離感でそこに立ち会うミュージシャンの古富 努さん。この三人の三角関係が図形の証明のように場を立証していきます。しかしその定理は意外とポップだったりして。

実際、今の時点で作品がどんな形で京都に届くのか、4組中、最も謎なのがこの組です。もしかしたら全然、期待外れかもしれない。しかし私は彼の作品を作る姿勢と、その作品がいかにして作られているかも含め、京都に持ってくる意味があると思っています。

今回京都公募にほとんど応募がなかった事に対して、他の地方から同年代が作品を持ってやってくるという事が、京都をもっと面白くすると信じていますし、彼らを見て京都の同年代に火がつけばと考えています。

実際、こうして実際に彼らのリハーサルを見ることで、私自身が一番火がついているのも事実です。

実際、制作環境的には山口には京都ほど情報もなければ、場所もありません。

そんな中で、全国に向けて、あるいは世界に向けて発信していこうとしている人がいるという事に私は勇気をもらうし、尊敬の念を持ちます。
そして互いの作品をケチョンケチョンに批判しあったり、競争し合ったりしたい。

集団:歩行訓練の「:」は常に半角表記にしてくれと、谷さんは言います。
そんな細かいこといいじゃないと思うかもしれませんが、そこが谷クオリティーなのです。私は今回、本当にいい競争相手と巡り合いました。
ぜひ彼らのパフォーマンスを劇場に観に来ていただきたい。心からそう思います。

2013/07/11

KYOTO DANCE CREATION vol.2 振付家、団体紹介パート2

さてさて、KYOTO DANCE CREATION vol.2本番まで10日を切りました!
ということで今日は愛知の暑い男たち、afterimageを紹介します!

私が初めて彼らのパフォーマンスを見たのは、四、五年前。京都の小さなスタジオでした。血気盛んな男達が四人、プロレスとも思えるような激しいコンタクトを駆使し、決して洗練されない、野蛮な、しかしどこか憎めない20分程度の短いパフォーマンス。
そこで初めてafterimageという、実際の彼らのパフォーマンスとはかけ離れた爽やかな団体名と、私と同い年だという振付家、服部哲郎さんを知ることになったのです。

それ以来、服部さんとはWSで出会ったり、フランスのダンスの企画にダンサーとして起用されたという活躍を聞いたりと、直接、関わることはなかったけれど、お互いの存在は知っているという状態が二、三年続いていました。

そんな中、去年のKDC参加振付家、野村香子さんの作品に服部さんがダンサーとして参加することになり、直接話すようになり、afterimage結成十年という節目の作品上演の際には、名古屋まで駆けつける仲になったのでした。 

そして今回、とうとうafterimageは、演出家のトリエユウスケさんと共に、KDCに新作を届けてくれます。
高校卒業の時点から団体を組み、10年という長い月日を経てきた彼らのパフォーマンスは、何とも言えない“味わい”を持っていると、私は思います。

“味わい”と表記したのには訳があります。それは作品的に洗練されているとか、技術が高いとか、新進気鋭という事とは別に、afterimageを見ることは、10年何かを続けた男たちを“味わう”時間であり、その“味わい”はまさに今、成熟の兆しを見せていると思うのです。

先日、初めて彼らのリハーサルにお邪魔させていただいた際の雰囲気は、完全に男子校ノリ。絶妙なボケと突っ込みのバランス。さすが10年と言わざるを得ないコミュニケーションに驚かされました。
どこか危なっかしく、突っ込みどころ満載と見せかけて、急に男気を見せたり見せなかったり。彼らはこうやって今まで作品を作ってきたのかと、その秘密を垣間見る気がしました。

彼らの特徴は振付家と演出家が分かれており、一つの作品を二つの視点で作り出しているという点です。これは日本のコンテンポラリーダンスの現場(特に若手)においてあまり見られない光景です。
今までの彼らの作品はどうやら振付家の服部さんが「こういうことをしたい!」という断片的なピースを作り、それを演出家のトリエさんが繋ぎ合わせ、実現化していくという作業をしてきたと言います。
しかし今回は演出家であるトリエさんが主題を提示し、振付家の服部さんがそれに基づいてピースを作っていくというスタイル。

私はこの環境は実に羨ましいなと思いました。稽古場に二つの目線があり、試行錯誤の幅を広げていること、そしてさらにはダンサーの堀江善弘さん、松竹亭ごみ箱さん(←こういうところが憎めない)が彼らを信頼して参加しているということ。それぞれがそれぞれの経験を持ちより、重ねていく事でafterimageは彼等でなくては成立しないものを目指しています。

しかし私は彼らに一つだけ、偉そうにも問いかけました。それは「afterimageとは何か?」という実にシンプルな事。
彼ら自身、10年の歳月、様々なことがあり、決して平たんな道ではなかったという事は容易に想像できます。
メンバーの話では「自分たちには一体、何が足りないのか?」そのことを様々な人に尋ねた事もあったと言います。しかし本当に必要なのは「何が足りないのか?」ではなく「何があるのか?」「我々には何がある」と言えるのかという事だと私は思うのです。

リハーサルの中で印象的だったのは、ある曲に合わせて服部さんが振付けた振りに対して、別の曲を当ててみたらどうなるか?という実験をしている際の事です。
「この曲だとafterimage的な動きになる」「afterimage的にこの曲はどうなんだろう?」
部外者の私にはわからない「afterimage的」という言葉が飛び交い、どうやらメンバーの共通認識として「afterimage的」な何かというものがあるようでした。

服部さんの振付の緻密さ、堀江さんのダンサーとしての技術力、松竹亭さんの存在感、そしてそんな男達の魅力を独特のユーモアを交え構成していくトリエさんの采配。それらが一体どこに向かい、何を目指しているのか?「afterimage的」とは一体、何なのか?それを思いっきり見せてほしい。と私は思いました。

今まで彼らは稽古場に人を呼んで見てもらう、という事をしてこなかったと言います。
だからこそこの「afterimage的」なるものは門外不出の概念であったのです。

しかし私のような部外者がひょっこり現れたことで、彼らの中で自分達でも本当のところよく見えていなかった「afterimage的」という言葉の意味が少しずつ露わになってきたのではないかと思います。
それは別に私が来たからという事ではなくafterimage10年かけてそれを作り、それを公開することを選び、自ら勝ち得たチャンスなのだと思うのです。

常に新しいもの、新鮮なものが求められるのは、ダンスに限らず、どの業界にもある事です。既に名声を得たもの、定評のあるもの、安定したクオリティーが求められるのも当前のこと。
しかし私はその間にあるもの、これからどう変容していくのかわからないものにワクワクしたいとも思うのです。

私も京都に来て10年の年月が過ぎました。苦しい時期を越えそうなのか、まだまだその道は続くのか、全く分からない。そんな自分自身の道行のさ中に、同じ10年という年月を共に過ごしてきた彼らと出会いました。

afterimageとは何なのか?その問いはそのまま自分自身に返ってきます。「自分には何があるのか?」私も探さなければなりません。今回、私自身もこの問いに晒される機会を得た事、それは逆に私が勝ち得たチャンスでもありました。

だからこそ、この問いに彼らが如何に応えてくれるのかを、私は友人として、そしてライバルとして、誰よりも楽しみにしているのです。

2013/07/09

KYOTO DANCE CREATION vol.2 振付家、団体紹介パート1


本日からKYOTO DANCE CREATION vol.2小屋入り一週間前という事で、今回参加していただく振付家、団体を一組づつ紹介していこうと思います。

先月から私は、それぞれの稽古場に実際にお邪魔して、稽古の様子を見学させていただきました。

小屋入りまでの一週間、私が実際に稽古場で感じた事、作家の声を中心に、稽古場レポートといった感じで、各団体の様子を順番にアップしていこうと思います。

あまりネタバレにならないように、現場の様子をお伝えできればと思います。
 
 
 
 
と、いうことで、まず第一回目は東京から石山優太さんとの新作デュオで参加してくれる宝栄美希さんです。

彼女の経歴は言わずもがな、NEWS欄の作家プロフィールをチェックしていただければわかるので、割愛しますが、彼女自身本当に身体能力の高い、華のあるダンサーであります。

そして今回、彼女がデュオの相手として選んだ石山優太氏も、体のしっかりした頼もしいダンサーです。二人とも、実際、共に稽古をしたことがある私が言うので、間違いありません。

この二人がしっかりとした個々の身体能力とコンタクト(ダンサー同士が体を接触しながら展開していくダンスのテクニック)を駆使しながら踊る姿は、見ごたえ十分です。

やはり基礎って大事だなぁと、二人の動きを見ていて思いました。

そして今回、この現場では、そういったダンスの美しさだけではなく、徹底的に「振付」というものにこだわり、振付を言葉に、如何に互いに会話ができるか?ということをやっているように私は感じました。

異なる体の最たる例であり、最小単位でもある男女のデュオにおいて、異なる振付を互いに落とし込み、それを使って如何にコミュニケーション出来るか?

そしてそれによって浮かび上がってくるものを、現場で、ひたすら検証していく。

リハーサルは和やかではありましたが、常にその試みに厳密に展開しているように思えました。
 
印象的だったのは完全に決められた振付を様々な角度で展開し、その都度「どんな感覚になったか?」という事を検証していく稽古です。

石山さんと宝栄さんが、決められたふりを互いに正面を向いてやった場合と、背中合わせにやった場合、あるいは一方は背中を向け、一方は正面と、様々な角度で試していく。
その都度「どんな感じだったか?」を互いに語り合い、次の角度を検証していく。

私たちが生きる時間軸の中で、同じ瞬間は二度とないというのが自明の事実ですが、決まった振付(たとえばある時間)で同じ相手(たとえば恋人同士)と少しずつ角度を変えて(態度を変えて)同じ時間(同じシチュエーション)を何度も「やりなおせる」事など不可能です。

あの時、あの時間、あんな態度であの人と向かい合わなければ、あんなことにはならなかったのにみたいなことを誰もが思ったことがあるでしょう。

二人のリハーサルを見ていて「角度を変えてやりなおす」事の出来る世界と、そこに存在する二つの体の“やりなおせる関係性”という事を勝手に考えてしまいました。

タイトルの「ヤドカリ」に付随する文章の中で、宝栄さんは「体の成長に合わせて住む家を探し取り替えるヤドカリのように自分の求める形を探す二人が手探りで探し当てた作品」と書いています。

男女のデュオに付きまとうジメッとした男女観から逃れ、あくまでヤドカリと貝のようにドライにというのが今回の宝栄さんの狙いでもあるようです。

私の想像した“やりなおせる関係性”はまさに、何度もしつこくやり直すという事ではなく、かなりドライに何度も、後腐れなく関わるというようなイメージだったので、あながち間違いではなかったかもしれません。

しかしながら、ヤドカリを見つめている私たちは、勝手に様々なことを考えます。それはただ生きるための手段として行動するヤドカリと、ただあるだけの貝殻の無為が私たちの想像を逆に掻き立てるからです。

二人のダンサーは極力情緒的な表現を抑え、あくまで淡々と動きを展開します。
だからこそ彼らの体は、見る者の想像の自由を誘発するのです。

そして、やはり私は、その世界観を支えているのは他でもない、宝栄美希、石山優太という二人のダンサーの身体能力の高さであると思うのです。

その高い身体能力の上に、様々な現場で二人が勝ち得てきたモノが、要所要所に散りばめられ、いとも簡単に見えるその動きは、ヤドカリと貝殻のように無為的だが、美しく、躍動的です。

この作品が如何に今後ブラッシュアップされて京都にやってくるか?それを思うだけで、私の妄想はさらに果てしなく広がっていきます。
ハードルを上げるわけではありませんが、この世界観が、より洗練されて京都に届くことは間違いありません。
ぜひ、劇場に二人のデュオを体感しに来てください!