本日からKYOTO DANCE CREATION vol.2小屋入り一週間前という事で、今回参加していただく振付家、団体を一組づつ紹介していこうと思います。
先月から私は、それぞれの稽古場に実際にお邪魔して、稽古の様子を見学させていただきました。
小屋入りまでの一週間、私が実際に稽古場で感じた事、作家の声を中心に、稽古場レポートといった感じで、各団体の様子を順番にアップしていこうと思います。
あまりネタバレにならないように、現場の様子をお伝えできればと思います。
と、いうことで、まず第一回目は東京から石山優太さんとの新作デュオで参加してくれる宝栄美希さんです。
彼女の経歴は言わずもがな、NEWS欄の作家プロフィールをチェックしていただければわかるので、割愛しますが、彼女自身本当に身体能力の高い、華のあるダンサーであります。
そして今回、彼女がデュオの相手として選んだ石山優太氏も、体のしっかりした頼もしいダンサーです。二人とも、実際、共に稽古をしたことがある私が言うので、間違いありません。
この二人がしっかりとした個々の身体能力とコンタクト(ダンサー同士が体を接触しながら展開していくダンスのテクニック)を駆使しながら踊る姿は、見ごたえ十分です。
やはり基礎って大事だなぁと、二人の動きを見ていて思いました。
そして今回、この現場では、そういったダンスの美しさだけではなく、徹底的に「振付」というものにこだわり、振付を言葉に、如何に互いに会話ができるか?ということをやっているように私は感じました。
異なる体の最たる例であり、最小単位でもある男女のデュオにおいて、異なる振付を互いに落とし込み、それを使って如何にコミュニケーション出来るか?
そしてそれによって浮かび上がってくるものを、現場で、ひたすら検証していく。
リハーサルは和やかではありましたが、常にその試みに厳密に展開しているように思えました。
印象的だったのは完全に決められた振付を様々な角度で展開し、その都度「どんな感覚になったか?」という事を検証していく稽古です。
石山さんと宝栄さんが、決められたふりを互いに正面を向いてやった場合と、背中合わせにやった場合、あるいは一方は背中を向け、一方は正面と、様々な角度で試していく。
その都度「どんな感じだったか?」を互いに語り合い、次の角度を検証していく。
私たちが生きる時間軸の中で、同じ瞬間は二度とないというのが自明の事実ですが、決まった振付(たとえばある時間)で同じ相手(たとえば恋人同士)と少しずつ角度を変えて(態度を変えて)同じ時間(同じシチュエーション)を何度も「やりなおせる」事など不可能です。
あの時、あの時間、あんな態度であの人と向かい合わなければ、あんなことにはならなかったのにみたいなことを誰もが思ったことがあるでしょう。
二人のリハーサルを見ていて「角度を変えてやりなおす」事の出来る世界と、そこに存在する二つの体の“やりなおせる関係性”という事を勝手に考えてしまいました。
タイトルの「ヤドカリ」に付随する文章の中で、宝栄さんは「体の成長に合わせて住む家を探し取り替えるヤドカリのように自分の求める形を探す二人が手探りで探し当てた作品」と書いています。
男女のデュオに付きまとうジメッとした男女観から逃れ、あくまでヤドカリと貝のようにドライにというのが今回の宝栄さんの狙いでもあるようです。
私の想像した“やりなおせる関係性”はまさに、何度もしつこくやり直すという事ではなく、かなりドライに何度も、後腐れなく関わるというようなイメージだったので、あながち間違いではなかったかもしれません。
しかしながら、ヤドカリを見つめている私たちは、勝手に様々なことを考えます。それはただ生きるための手段として行動するヤドカリと、ただあるだけの貝殻の無為が私たちの想像を逆に掻き立てるからです。
二人のダンサーは極力情緒的な表現を抑え、あくまで淡々と動きを展開します。
だからこそ彼らの体は、見る者の想像の自由を誘発するのです。
そして、やはり私は、その世界観を支えているのは他でもない、宝栄美希、石山優太という二人のダンサーの身体能力の高さであると思うのです。
その高い身体能力の上に、様々な現場で二人が勝ち得てきたモノが、要所要所に散りばめられ、いとも簡単に見えるその動きは、ヤドカリと貝殻のように無為的だが、美しく、躍動的です。
この作品が如何に今後ブラッシュアップされて京都にやってくるか?それを思うだけで、私の妄想はさらに果てしなく広がっていきます。
ハードルを上げるわけではありませんが、この世界観が、より洗練されて京都に届くことは間違いありません。ぜひ、劇場に二人のデュオを体感しに来てください!
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