今回京都の暑い夏国際ワークショップには世界各国から様々な講師が来ています。
それぞれのクラスはそれぞれの講師のダンスに対する考えと実践が満載です。
受講生も国際的で、韓国、フランス、フィンランド、日本各地津々浦々から多くの踊る人々が集っています。
様々な国の様々な文脈を持った体が語るのを見ていると、飽きる事がありません。
そんな様々な考えと体を持った人々の中に混じっていると、自分はどう考えているかということに意識的にならざるをえません。
自分にとって踊る事は生活すること以上に、世界に参加している実感が持てることだと、考えてきました。
今まではそこまでで考えは止まっていたのですが、ここ二、三年で、その考えも少し進展してきました。
たとえば、一口に世界といったところで定義は曖昧で、今回のワークショップなどを受けるとその範囲は日々更新されていきます。
また、世界に参加する実感とは、もちろん痛みを伴うことも含めた実感のことで、それがゆえに踊る事を止めたくなることがしょっちゅうあるということ。
そしてそんなとき、自分を踊りにつなぎとめているのは「どんなに辛いことでも、悲しいことでも、何も感じないことの空虚感よりはましだ」という案外あっけない答えだったりすること。などなど。
しかしながら自分に何が出来て、何が出来ないかを知るためには、とりあえずやってみるしかないわけです。
様々な踊る人たちを見ながら、そんなことを考えていました。
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